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2009/01/21

「決算なくして支出なし」~予算から決算への重点転換~

「日本人の経済政策観って何?」~すなふきんの雑感日記~ より
http://d.hatena.ne.jp/sunafukin99/20090117/1232158785

 まとめてみると日本国民の平均的経済対策観とは

・景気対策を優先して財政再建路線からの後退は望ましくない。政府の借金を返すため財政再建が最優先されるべき。

・そのためにはさらなる歳出削減が必要で、まっさきに公務員の給料や人数の大幅削減が必要。

・官僚の天下りも無駄の温床なのでこれを完全撤廃する。彼らだけ特権を食むのは許せないという感情論つき。

・消費税増税は将来的には必要かもしれないが、政府の無駄遣いを徹底是正して国民が納得してからでないとダメ。

・定額給付金は有効に使われないバラマキなので話にならない。撤回すべき。

・道路やハコモノを作る公共事業は無駄を残すだけなので反対。

・介護や福祉、医療や教育への財政支出はもっと増やすべき。

・銀行金利は低すぎるので利子が増えない。日銀の政策金利を上げてほしい。

というところでしょうか。まあ個別イシューでは人それぞれ対立もあるかもしれないですが。

 様々なアンケート調査において、「社会福祉の充実」と「無駄使いの排除」(=「小さな政府」かな?)とが並立して、国民意識として出てくることは良くあり、それを矛盾していると評価する向きもある。しかし、これは「矛盾」しているというよりも、「税金の使い方に、我々国民(実際には、個々人)の意向が反映されていない」という不満の表れではないかと思う。

 「すなふきん」さんのこのエントリーで指摘されている「そして国民多数派の「改革」観はおそらく財政再建路線が中核になっていて、」という総括には少し疑問を持つが、多くの人が結果的に、内在的に持っている不満感と「財政再建」という言葉を関連づけてしまっているということ自体は、否定できないと思う。かくいう自分も、自分自身を内省してみれば、一種の「税金の使い道が悪い、だから財政再建」と思っていることがあったのだから。

とはいえ、個別の選挙などで表明される国民の政治的意思の表明とは別に、このような民主的プロセスに対する閉塞感が、社会の中に溜まっているという状態は不健全だ。勿論、具体的な政策決定プロセスに対して、国民がなんの不満もなく従っているという状態は、カール・シュミット流の「人民の意思は拍手喝采によって民主的に表現可能」という政治体制になりかねないので問題。しかし、やはり憲法的にも財政統制は、この国の民主主義体制にとって重要な構成要素なのだから、多くの国民が「税金はちゃんと使われている」という実感を持てるようになることが、本当に大事だと思う。

 そのためには、財政支出の効果を評価することが大事なのではないかと思う。

 この国の財政統制は、予算中心であり、国会は予算審議には時間をかけるが、決算審議はあっさりとしたものだし、マスコミでも予算については「識者による評価」なんて形で大々的に報道するが、決算の報道なんてほんとどされない。
だから、「財政支出の効果」については、国会審議における野党からの不適正支出に関する暴露質問とか、マスコミによる不適正支出暴露報道のように、成果を生まない財政支出について、散発的に情報が開示されるだけ。これでは、「まだ無駄な支出があるのではないか」という疑心暗鬼を増幅させるだけだろう。

 この国の財政統制が予算中心主義になっているのは、日本のかってのマクロ経済状況を前提とすれば、予算統制中心の仕組み(国会審議など)と政治家のインセンティブとが整合的であったからだろう。つまり、特に高度成長期を中心に、国の予算規模がネットで増加するのが当然で、政治家あるいは政党は、その増加分をどのように配分するかで、政治的支持を獲得してきた。とすれば、決算にコストをかけて、「何に支出され、どのような効果があったのか」を根掘り葉掘りほじくり返すのは、「百害あって一利なし」。決算に見向きもしないのは当たり前。
 しかし、短期の景気対策については別途、今後の日本の財政はネットで支出規模を減らさなければならなくなる。少なくとも、増加はしない。とすると、政治の決断は、「どこに配分するか」ではなくて、「どこを減らすか」という形でなされることになり、正論からすれば、「効果」のない支出を減らすということになる。

 要すれば、「何をどうしたい」という目的・目標を定量的に確定して、とりあえずの予算を編成し、目的・目標が達成されたかどうかを決算でチェックするということが、政治的支持の獲得方法に変わるということだ。
 公的事業は、営利事業ではないのだから、金銭的評価になじまないという批判もあるが、だれも金銭的に評価しろといっているのではない。ある政策の対象となる人々に対する満足度調査でも良いのだ。満足度調査のコストは必要であるし、政策評価としての調査手法の改善の研究も必要だろう。しかし、これは、定量的目標設定をしないことの理由にはならない。

 やはり、全体として財政統制を定性的「予算中心主義」から定量的「決算中心主義」に転換して、政策効果について定量的に検討されるような、国会審議の転換が必要なのだと思う。
 決算のプロセスをしっかりして、予算審議以上のコストを国会は決算審議にかけ、行政も政策効果の測定にコストをかける。そして、政策効果についてきちんと情報が(開示というよりも)生産され、それが国会審議に曝されれば、行政の現場にとっても、止めたいと思っている予算を止めることができるようになると思うけど、どうだろう。

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