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2009/02/12

行政処分決定に関与したものの責任を問う仕組み

『変革の時代における理論刑法学』

 第10章 薬害エイズ帝京大学病院事件第一審無罪判決をめぐって P172~p173

 本判決が問題としたのは、あくまでも昭和60年時点の本件被害者の治療について過失があったかどうかであった。マスコミ報道やジャーナリストによる事件解説などでは大きく取り上げられ、また、検察官の主張に含まれていた論点として、被告人が厚生行政を左右する立場にあり、国内における血友病治療の方法を決めるにあたり大きな影響を持っていたところ、非加熱製剤の使用を抑えクリオ製剤への転換を奨励する方向への厚生省の方針変更を阻害したではないかという問題がある。しかし、この点につき、本判決は「本件公訴事実との関係が明らかでないというほかない」とした。
~中略~
 この点は証拠評価に関わることであり論評の限りではないが、多数者が関与する厚生行政の方向性に対し、被告人がどれだけの影響力を行使したのか、また、被告人の作為・不作為と具体的な発生結果との間の因果関係があるか、またそこに過失を肯定できるかを具体的に明らかにすることがきわめて困難であることは容易に想像できるところである。本判決の争点が、帝京大学病院における治療方針に決定・指示をめぐる過失の存否とならざるを得なかったことは、事案の性質上やむを得なかったと思われる。


 この事件は、既に世上では忘却の彼方に置かれている事件だろう。
 しかし、審議会の委員を含む公務員(審議会委員は、非常勤の公務員である)が、行政処分の決定をした場合に、国民に損害を与えた場合の事後的責任のとらせ方というのは、今でもアクチュアルな問題だ。
 例えば、生活保護給付の詐取事件について、その詐取された2億円について、首長が、市役所の職員の給与を削減して補填させる方針であることが、報道されている
 この首長の決定の可否はともかくとして、具体的な行政処分を行った広義の公務員について、その責任を追及する仕組みは、まっとうな行政を確保する上で、土台であるといえよう。しかし、その法的土台が整備されているとは言えない。地方自治については、住民代表訴訟という仕組みがあるのでまだしも、国の行政、さらに、その行政処分決定に関し、薬事行政のように、審議会が関与する場合の狭義の公務員、審議会委員などの非常勤公務員に対する責任追及の仕組みが整備されていない。
 
 この判決や井田教授が、この被告人の厚生行政への関与を刑法的評価の対象から外さざるを得なかったのは仕方がない。そもそも、このよう行政処分決定に関与した者に対する、その行政処分によって生じた(社会的)損害に関する応報的責任の追及の仕方及びこのような事態が再現されないようにするための一般予防・特別予防のための責任追及の方法として、刑事的方法が適さないのだから。
 井田教授の論文に出てくる「因果関係」や「過失」という言葉は、刑法(解釈)学において、非常に緻密な議論がなされている重要概念であり、それが、国家の刑罰権発動の正当化根拠を与え、かつ、被告人の人権を守るために機能しているもの。その壁を乗り越えてこそ、懲役などの刑事罰という最高度の人権侵害が許容される。
 おそらく、生活保護詐取事件についても、市役所の職員に、詐欺罪の共犯(幇助犯)の成立を認めることは相当難しいであろう。
 
 しかし、このような刑法的評価に釈然としないものが残るのも間違いない。繰り返すが、このような行政処分決定に参画する者の責任追求の方法として、刑法、少なくとも現行の刑法典が予定する犯罪類型を適用することは、適当ではない。とすれば、このような行政処分決定に参画した者に対し、応報的というよりも、一般予防的、特別予防的な効果を及ぼすためのサンクションを別に講じることが求められるということだ。

 政策決定を行った政治家(議会議員及び公選制下の首長)は、政治的に責任を追及される仕組み、つまり選挙で落選させることで、不当な政策決定に対する責任を負わされるkとが原則となっている。
 一方、試験任用の一般職の公務員及び審議会委員のような非常勤公務員ついては、実際には、殆ど行政処分決定に対する責任追及の方法が存在しない。確かに、人事任用及び懲戒処分で対応することになるが、これは、収賄のような刑事犯であったり、職務のサボタージュや政治活動など、公務員一般の職業倫理に反する行為についての分限処分であり、まさに今従事している具体的な行政行為についての結果責任を問うものではない。
 ここに無責任行政の病根があるだと思う。

 このためには、特別刑法を作って対処するというよりも、行政的手法、民事的手法で責任追及する方が望ましいだろう。
 そのためには、
 ・公務員の分限処分の処分事由に関し、(過失ではなく)「努力不足・誤認・意図」により、具体的な行政処分決定によって、損害を市民に与えた場合を追加(いきなり罷免が問題であれば、降格など)。かつ、この場合の「具体的な損害」の認定要件をあらかじめ明確化することを、特に許認可事務や法定給付事務については義務化する。
・非常勤公務員についての分限制度の新設。例えば、爾後、非常勤公務員への就任禁止、あるいは各種の「師」業法や免許・許可制下におかれる関連事業における資格停止。
 
 さらに、民事的には、やはり国家賠償に関して、
 ・原告によって、国等の行政処分主体だけではなくて、行政処分に関与した公務員全体を被告とできるように、被告適格の拡大
 ・国家賠償が確定した場合の国による、個人責任求償の義務化(裁量性を与えてはいけない)

 行政処分は、どうしても集合的な意思決定となり、かつ直接の「実行行為」を行う法的主体が、国や自治体になってしまうことから、自然人が実行行為を単独で行うことを基本とする刑事法的な仕組みによるサンクションは適合的でない面が否定できない。この当たりを一般的に拡張してしまうと、市民の自由に及ぼす悪影響が大きすぎる(例えば、いわゆるコンスピラシーの議論など)。
 とすれば、公務員に特有の法的サンクションの仕組みを刑法ではない仕組みで作るべきなのであろう。社会をより良くするための道具は選ばなければならない。


追記

 ちなみに、同じ論文の「結びにかえて」で、井田教授は、次のように述べている。

 それにしても、本件ほど、刑事裁判の機能について考えさせられる事件は少ないであろう。これほどに社会的関心を集める事件について、他に適切な真相究明の場が存在しないのであれば、その機能が刑事手続に期待されることは当然である。その意味において、本件にように、多数の人の作為・不作為が複合的に関与し、構造的原因を濃厚に持つ薬害事件において、特定個人を切り離してその刑事事件を明らかにするという刑事責任追及の困難性にもかかわらず(「綱渡りの立証作業」ともいわれた)、本件は起訴されるべき事件であった。

~中略~

 そして、そうであるからこそ、本件のような事件については、過去に向けての刑事責任の追及がそれ自体は非生産的で不毛な側面を有することもまた痛感されるところである。被害者の救済と同種事件の再発の防止のためにいかなる建設的な対応が可能であるのか、法律家はこの点についても衆知を集める必要があるだろう。

 この警句が、うまく世上に広く普及していれば、例の事故米の問題などは起きなかったかもしれない。
 一方、マスコミに一時の論調に左右されることなく、刑事法の理屈を徹底させた、この判決は、「平成の大津事件」とでもいうべきか・・・

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