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2009/09/18

八ツ場ダムについて

八ツ場ダムの工事が中止になる見込みだが、この中止について、地元の住民や地方自治体から反対や補償を求める声が上がっているそうだ。しかし、かなり奇妙な感じだ。
 
 まず、問題を「転居を求められた住民個人」と地元の地方自治体とに分けて、法的主張として成立するのかどうか、少し考えてみた。

 まず、住民個人について、どのような法的主張が可能なのであろうか。この点について、行政法学の中で、信義則が「行政法上の法律関係においても、しばしば法源として機能している(桜井・橋本『行政法(第2版)』32ページ)」とされており、また、さらに進んで、これを信頼保護原則と定式化する見解も有力であるという(同上)点が、議論の出発点となろう。
 これに関連する最高裁判例では、自治体の工場誘致政策が首長選挙の結果、正反対に変更となったという事案において、

「社会通念上看過することのできない程度の積極的侵害を被る場合、代償的措置を講じることなく施策を変更することは、やむを得ない客観的事情によるのでない限り、当事者間に形成された信頼関係を不当に破壊するものとして違法性を帯び、地方公共団体の不法行為責任を生じせしめる」

と判断している。


 この最高裁の判断枠組みを踏襲するとすると、地元の住民に「社会通念上看過することのできない程度の積極的侵害」が生じているかどうかがメルクマールとなろう。この最高裁判例にいう「積極的侵害」とは、自治体の工場誘致政策に応じて工場を操業するべく支出した機械設備代のことである。ここから推察すれば、完成された八ツ場ダムにおいて釣り船を営業することを特に国などから推奨されて、釣り船に投資した資金などが該当することになろう。しかし、そのような国からの特別な働きかけに基づく、特別な支出などという物が想定できるだろうか。
 また、生活基盤が破壊された補償云々ということもまたぞろ出てくるのであろうが、それは、そもそも転居の際の補償によって補償されるべきものであり、既に解決済みに問題であろって、ダム建設計画が中止されたことと因果関係のある新規の負担とは言えまい。 勿論、ダム完成時には、ダム管理事務所での雇用を保証し、その代わりに特に転居時の補償が他の住民と比して少ない額としてというような特殊事情があれば、また別の議論であろが、この問題とても、ダム完成を停止条件とする契約についての民法130条の問題ではないのだろうか(また、ダム計画中止や続行が、国という法人の意思に過ぎないとすると、そもそも民法134条により、この法律行為自体が無効ということも考えれる)。
 いずれにせよ、最高裁が、このような選挙による政策変更に関する事案について、「選挙によって政策変更がなされることは地方自治制度の根幹であり、政策変更それ自体が違法であるとは考え難いが、判例は、信義衡平の原則に基づき信頼関係の不当な破壊を根拠に、地方公共団体の不法行為責任を導いている(同上)」以上、不法行為法の枠内で、今回の問題は処理されることなる。とすると、(新規の)補償(賠償?)を求める住民は、ダム建設中止と因果関係にある損害を証明する必要があるが、そんな損害があるのだろうか?


 一方、地方自治体が拠出した負担金については、状況が違う。
 都道府県などが拠出した金銭については、その支出の法的根拠や位置づけが様々ではあるが、特定多目的ダム法に基づく負担金には、建設計画廃止の際の返還規定について規定があるし、河川法に基づく受益者負担金についても「ダム建設完成」による受益分が特定できるのであれば返還というのが筋であろう。
 ただ、こちらの検討がむなしいのは、仮に返還があっても所詮は役所間の資金のやりとりであって、「無駄に」支出された公金が国民に返済される訳ではない点。国が筆頭であることは間違いないが、資金を拠出した地方自治体も、政策変更に追い込まれるような無謀な計画に参画したいわば共犯みたいなものであり、そこに資金が戻っても釈然としない。どうせ、また無意味な地方公共団体の財源になるだけなのだから。


 長期的に停滞していた計画について、もっと早期の見直しを行うことができなかったのだろうか。数千億円というストックとしては無駄となる巨額損失ではあるが、所詮は一事業計画でしかないものについて、一々政権交代がなされなければ物事が止められないというのは、どうかと思う。
 もちろん、だからこそ政権交代に意味があるし、こういった促進派と中止派が対立する問題について、すぐに司法で解決するための行政手続、行政救済手続を法整備というのも、「司法による解決」と「選挙による選択」の役割分担を無視した議論だとは思う。
 また、こういう計画を闇雲に惰性で継続した公務員についても何らのペナルティが課されないというのはどういうことなのだろう。以前のエントリで、行政処分に関与した公務員の責任を追及する制度整備について論じたが、今回のような長期にわたる行政計画について、その見直しを一定に期間内に行わなかった当該計画の実施に関与する公務員(当然、地方公務員を含む。)については、人事政策上のペナルティーが課されてしかるべきだし、法整備を行って退職後の個人についても責任追及できるようにすべきだ(もちろん、所詮金銭「賠償」が基本で、かつ全額の賠償なんて不可能で一種の課徴金的なものだろう。ただ、併せて爾後の公民権停止、公職就任資格の剥奪は必要では)。
 とにかく、個人責任を追及できないと緊張感のない役所仕事の払拭に、一々何(十)年かに一度の政権交代が必要となるという、ばかばかしい事態になるのだから。


追記:
 「中止になるともっと費用がかかる」という議論があるそうだ。しかし、法的主張として、住民個人の新規の「補償」というのは、相当限定的であろうと思う。また、地方公共団体への負担金の返還は、国と地方公共団体の間の資金のやりとりであり、国民の負担としてネット増がある訳ではない。
 工事途中ののり面などの安全確保工事にしても、ダム工事を続けるよりも費用を要するなどとということがあり得るのだろうか?
 とすると、個人補償に関して、悪くいえば「口封じ」「手切れ金」という政治的配慮が働いてとんでもない賠償を行う(これこそ立法がいると思うが・・・)でもない限り、工事継続「より」も工事中止によって、より多くの費用が発生するというのは、プロパガンダ以外のなにものでもないのでは。

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