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2009/09/29

財政政策と金融政策の実質的差異とは何なのか?

新ケインズ派DSGEからみた経済政策に関する教訓

~ハリ・セルダンになりたくて~より


 今のところ、矢野の理解する「新ケインズ派DSGEからみた経済政策に関する教訓」は以下のようにまとめることができます。

1. 景気対策の中心は中央銀行による金融政策である
2.中央銀行は政策金利がゼロ金利になっても将来の期待に働きかけることで景気回復へ貢献できる
3. デフレ期待は投資を抑制する(投資に摩擦がある場合のトービンのqによる)
4. 流動性制約下の家計が一定の割合いる場合には財政政策もそれなりに効果がある
5.資産価格を取り入れたフィナンシャル・アクセラレーターDSGEにおいてもインフレ率安定が最重点政策であることは変わらない


マクロ経済政策を実施する手法として、「金融政策」と「財政政策」のどちらが優れているのかという議論がある。近時のマクロ経済学の進展においては、上記の整理のように、金融政策を評価する論調が強くなっている(私個人は、上記の整理に強く同意するもの)。財政政策の積極論拠とされた乗数効果の存在も否定されれつつあるのだから(例えば、小野「不況のメカニズム」を参照 )。

 しかし、そもそも財政政策と位置づけられる具体的な財政(支出)活動と金融政策として通貨当局、つまりは日銀の活動/オペとの間にある実質的な効果に関し、差異/境界戦線は実は曖昧なのでではないか。

 例えば、「天下の愚策」とされた先だっての定額給付金は、財政政策なのか、金融政策なのか?
 給付金が、市中で運用されていない国の資金、つまり国庫に帰属する実物資産を「原資」として実施されたものであれば、金融政策的効果を持つものではない(実物資産を処分して、給付金の原資となる市中の通貨を一旦吸収してはき出しているだけだから)。しかし、国債増発、特に日銀の長期オペが追随する形で行われる増発によって歳入が図られたのであれば、その効果において金融(緩和)政策であったと評価できよう。それは、一般の金融緩和策とはことなり、作り出された信用が、市中の金融市場を経由して無人格的に拡散するのではなくて、政府の人為によってその拡散の方向付けがされたということである。
 日銀のオペと連動しない場合であっても、市中の実物資産が国債に代替する形であれば金融緩和政策的効果を生じよう。金融資産と国債が代替してしまう場合には、評価が微妙となるが、金融(緩和)政策的効果は期待できまい。
 他方、増税によって賄えば、市中から通貨を国庫に吸収して、それを市中に戻すだけであるので、金融政策的効果は存在すまい。これは実物資産を処分して原資を調達した場合と同様である。資金の国庫への吸収が、任意の経済取引によって生じるか、税収という強制措置によって生じるかの違いでしかない。

 とすると、結局、金融政策と財政政策の効果においての差異とは、国の移出・歳出をどのようにファイナンスの方法にあるのであって、その実施機関の差異によるものではないということだ。それゆえ、上記のエントリの「1.景気対策の中心は中央銀行による金融政策である」の「中央銀行による」の部分は割り引く必要があろう。勿論、通貨当局が財政支出に追随する必要があるという点を強調するのであれば、その通りだが。
 ただし、通常想定される通貨当局による金融緩和施策と、国債の日銀引き受けを原資として財政支出の拡大を行う場合とでは、(特に、支出が直接の移転支出とされるとすると)資金の経由機関、拡散メカニズムの差異が生じるということになる。逆にいえば、その程度の違いでしかないということになる(まあ、この点では、日銀のオペの遂行方法に対する不信を表している点では、中央銀行中心主義を信頼しないという意味で、非常に重要な含意を持っているのかも知れないが)。

 こう考えると、財政政策という手法は、独自のマクロ経済手法として存在してはおらず、課税理論で議論されているような、デッドウィエイトロスを生み出す所得財分配効果しかないってことでしょかね。この辺りは、上記の「4.流動性制約下の家計が一定の割合いる場合には財政政策もそれなりに効果がある」という財政政策に対する評価と整合的な理解ということになるのでしょうか。


更に、こで注目しないといけないのは、政策手法により、「資金の経由機関、拡散メカニズムの差異が生じる」という点。
 近時の民主党の直接給付措置の重視という姿勢がはっきりと看取することができる。
 国が具体的な財・サービスの直接購買に支出するのではなくて、相対的に流動性制約、資産制約に陥りやすい市民層への移転支出に回すという政策活動に正当性があるように感じられるということだろう。言い換えれば、国が具体的な財・サービスを合理的に選択するという能力が欠如していると評価されているということなのであろう。一時期の公共事業神話のように、国一丸となっての成長というコンセンサスがとれなくなっているということだ。
 一方、いわゆる日銀の行う金融政策についても、その政策が依拠する金融市場の「自律」メカニズムによって、予定調和的に市民の公正概念に適合するような資金の拡散・分配が実現するなどという「幻想」も剥落している。
 よって、マクロの分配は財政=金融政策として、国庫を通じた人為的購買力分配を図りつつ、個別の財・サービスの選択は(一定の価値財志向を残す範囲で)個々の市民の選択に任せるという仕組みでの対応が、そこはかとなく出てくるのであろう。この辺り、社会保障について、バウチャー的発想、措置から契約へという議論は、こういう思想的、市民感情的潮流を反映していると評価できるのではないだろうか。

 同時に、国債を原資とする直接給付というマクロ経済政策が志向されるとすれば、それは、以前のエントリーでも指摘した「官僚パッシング」と「小さい政府」が政策志向として共存しているということであり、「税金の使い方に、我々国民(実際には、個々人)の意向が反映されていない」という不満の表出が政治的に「くみ取られた」ということなのかもしれない。
 ちなみに、ここでも述べたように国債を相当程度発行することは、それを適切に日銀に引き受けさせれば、将来世代への負担の先送りになどにはならないので念のため(若干のインフレはあるかもしれないが、今日発表の消費者物価指数(平成21年8月分、同9月中旬東京都区部速報)はまたまたデフレ傾向(前年同月比マイナス)を見せているのだから問題なし)。

 いずれにせよ、こういう動静は、政治社会学として、「選挙とマクロ経済政策の関連」という興味深い課題を提供していると思う。

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