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2009年1月11日 - 2009年1月17日

2009/01/17

政府と日銀の協調はなるか?

 2009年1月16日の経済財政諮問会議では,会議の場で次のような議論があったようだ。

アメリカはリスク資産を買って信用を緩和する政策をFRBがとっている。これは、日銀の量的緩和とは違うのではないだろうか。また、米国においては、FRBと財務省との連携プレーが多いことも目立つ。(発言者不明)

 この発言は,誰がしたものなのだろうか。明らかに,先日のバーナンキのLSEスピーチを踏まえての発言だと思われる。また,FRBと(米国)財務省との連携のあたりは,

 日本銀行とFRBの政策の違いの究極的な理由にもなるのだが、日本の政府は事実上、日本銀行との政策協調に失敗している。もちろん当事者は失敗しているとは絶対に認めないだろう。しかし景気減速(しかも多くの政府関係者はお馴染みのレトリック「100年に一度」を使っているので相当深刻な意識をもっているのだろう。まあ、ただいってるだけ、という可能性もある)に対して、政府と日本銀行は協調しては本当に何もしていない。

 例えば現状で、日本政府と日本銀行が政策について直接議論ができる場は、経済財政諮問会議しかない。久しぶりにこの会議の要旨をさきほどみて愕然とした。まったく日本銀行の取り組みについて言及はないのだ。メインテーマは毎回、財政再建だけ! 「100年に一度」の不況がメインテーマになることもない。ただ単に役所主導の文書を作成するための証拠(発言)を保存しているだけが役目である 苦笑

 アメリカの経済政策と日本の経済政策の究極の差異は(もちろんこれが結局は日銀とFRBの差異にも繋がる)、~(引用者中略)~深刻な不況ならば協調して事態にあたらなくてはいけない政府と日本銀行の共通の政策交渉の場がまったくないこと、また議論する場(経済財政諮問会議)でもまったくスルーされている(こと)。

~給付金反対60%超と本当に何もしてない麻生政権 「Economics Lovers Live 」より

を読んでいるのではないか。バーナンキのスピーチにアンテナを張っているとすれば,学者議員の岩田氏か吉川氏であろう。
 いずれにせよ,日本銀行総裁が議員として参加している経済財政諮問会議で,こういう議論が出てきているというのは,少しは本格的な金融政策への光明が見えてくるということだろうか。
 議事録が出てきたら,是非,誰の発言で,日銀総裁が,どのように応答したのか読んでみたいものだ。

2009/01/15

生活保護給付における就労インセンティブ

 2008年から09年の年末年始にかけて、大きく話題となったことの一つに「派遣村」の騒動があった。この「派遣村」騒動をきっかけとして、失業者に対する「生活保護」の重要性がクロースアップされている。例えば、これ。

 そもそも、派遣労働者に失業給付が的確に措置されていないこと自体が大問題であって、それは社会保障制度の在り方として、きちんと検討すべきものである。しかし、失業保険制度の再構築の成就を持っていては、既に生じている失業者、そして2009年問題を契機として、年度内にもさらに大量の派遣労働者解雇には間に合わない。
 そこで、まさに今緊急的に活用が期待されるのが、生活保護制度による社会不安の払拭ということなのだろう。

 ただ、「派遣村」村民の皆さんになされたような、生活保護の「要件緩和の特例」的措置に対して、予想される批判が、失業者の「就職えり好み」問題。つまり、求人はあるのに、求人に応じない「失業者」の生活保護を与えるなという批判。

 失業給付を受けるのであれば、その場合、制度の当然の前提として、求職活動か職業訓練を受けることが義務づけられる。一方、生活保護の場合、この点が必ずしもはっきりしない。生活保護法上も60条において、「被保護者は、常に、能力に応じて勤労に励み、支出の節約を図り、その他生活の維持、向上に努めなければならない。」として、勤労義務が訓示的には定められています。しかし、雇用保険法32条1項・2項のような条項は、生活保護法にはない。
 
 勿論、生活保護法27条によって、保護実施機関(社会福祉事務所など)は被保護者に対し、「指示」をすることができ、同62条によって、その「指示」が守られない場合には、生活保護の支給を止めることができるようにはなっている。
 この指示として、求職活動や職業訓練を被保護者に対して義務づけるということが手続的には考えられる。ちなみに、生活保護についても、生活保護法17条において「生業給付」として技能取得訓練用の費用も支弁できることとなっているので、生活保護の枠組みの中で行う求職活動の指示は、それほど不自然なことでもない。
 
 しかしこの場合、社会福祉部署と公共職業安定所の連携、情報共有が問題になる。失業保険の場合、給付と求職活動等のモニタリングを共に公共職業安定所が行うことになっているが、生活保護の場合には、この部署が社会福祉事務所と公共職業安定所に分離する。
 社会福祉事務所が、求職活動等についてモニタリングしようとすれば、公共職業安定所の協力を得られないと難しいで。現場での工夫が求められる。
 この辺りの自治体と公共職業安定所の連携は勿論模索されているのだろうが、もっとシステム化、効率化が求められよう。要すれば、厚生労働省の中で、社会援護局と職業安定局とで、生活保護受給者の求職活動に関するモニタリングの仕組みについて、通知、要綱の形で、システム化することが必要だ。
 なお、個人情報保護法制上の手当も必要(職業安定法5条の4参照)か?
 
 生活保護給付については、求職活動・職業訓練をする誘因・インセンティブをどうやって被保護者に強力に与えるかという工夫が大事で、その方策の一つが、この求職活動についての丁寧なモニタリング(と本当はカウンセリング、コーチング等のモチベーション管理)。

 他方、「あめ」の形で、インセンティブを与える方法もある。例えば、昨年末の厚生労働省の「クリーン・ヒット」施策として、「就職安定資金融資」事業がある。この融資事業の肝は、返済開始時点(半年後)において就職していた場合、返済額の一部免除措置を講じている。融資額にもよるが、この仕組みは、それなりの就労インセンティブを与えるだろう。ただし、確信犯的に働かない者については、機能しないが(その場合、そもそも返済意思が最初からないので)。

 生活保護の場合には、この返済免除という「あめ」の仕組みで就労インセンティブを与えることはできないので、「むち」を考えなければならない。
 例えば、罰金刑が確定しているが、無資力のために払えない場合には、刑法18条で、労役場留置という措置が用意されている。この類推で、生活保護法(場合によっては、雇用保険法)を改正し、給付を受けていながら求職活動や職業訓練を行わない悪質者に対し、生活保護法63条のように金銭返還義務を課し、その返還命令に従わない場合には、上記の労役場留置に入れる(ただし、あくまで行政処分であり、前科とはしない)という「ムチ」を用意するというのはどうか。
 
 いずれにせよ、ヨーロッパの経験から分かるように、失業者を、長期の無業状態という社会的スティグマ状態に排除するのは、経済効率・経済厚生の観点から得策ではない。この人口減少国家においては、特に。
 政策的に、できれば安定した有業状態、つまり社会的包摂状態へと移行させなければならない。そのためには、一見無慈悲でも、きめ細かい事実認定に基づく「脅し」も必要なのかも。

日本銀行も市場に「まみれる」べきでは

 本日1月15日の報道によれば、「日銀は、14日、企業が資金調達のために発行する社債を買い取る方向で検討に入った。」そうである。
 この措置の実施は、今月の金融政策決定会合で定めるそうであるが、その具体的内容は、

「日銀は現在、金融機関から売り戻し条件付きで社債を買い取り、市場に資金を供給している。検討しているのは、企業が発行した社債を保有する金融機関から完全に買い切る手法。売り戻し条件がないため、金融機関は安心して企業から社債を購入でき、資金繰り緩和効果が見込める。」(同上記事)

というものだ。


 こういった枠組みは、2008年12月19日の金融政策決定会合で定められた「金融調節手段に係る追加措置について」の中の

(2)CP買入れを含めた企業金融面での追加措置の導入・検討

 今後、年度末に向けて企業金融が一段と厳しさを増すおそれがあることを踏まえ、時限的に、CPの買入れ(買切り方式)を実施することとする。それとともに、企業金融に係るその他の金融商品についても対応を検討することとし、それらの検討結果をできるだけ速やかに金融政策決定会合に報告するよう、議長から執行部に対し指示した。これらの措置は、結果的に個別企業の信用リスクを負担することになるものであり、中央銀行としては異例の対応となる。この点を踏まえ、議長からは、中央銀行としてどの範囲でどの程度の期間行うことが必要かつ適当か、また、中央銀行の財務の健全性と通貨に対する信認を確保するために、政府との関係も含めどのような対応が必要か、といった点からの検討を求めた。

の延長線上で出てくる発想であることは想像に難くない。


 しかし、この後に及んで、なぜまだ「社債」の「金融機関」からの買い入れという段階にとどまるのか、理解しがたい部分がある。問題点は2つ。

・買い入れ対象資産を社債に限定していること
 そもそも、創成期の日本銀行はもっと、政府と協調して、より積極的な金融政策を実施していたのである。
 例えば、高村直助『会社の誕生』 によれば、

 もともと、日本銀行条例第一二条は、不動産・株券を抵当とする貸金を禁じていた。しかし実際には銀行の実状を無視することはできず、手形割引の担保として八四年下期に横浜正金銀行株、八五年五月に日本鉄道会社・第十五銀行株を認め、その後増加しつつあった(『日本銀行百年史』第一巻)。そして九〇年(1890年-引用者註)恐慌時に、これを制度化せざるを得なくなったのである。(P152)

 このように、既に日本銀行は、株式担保融資を経験済みであり、中央銀行の資産として管理する経験はできているのである。にもかかわらず、未だ取得資産について、徐々に進捗するという姿勢は、不思議である。

 しかし、さらに問題なのは、次の点であろう。

・買い入れ先が金融機関に限定されていること
 日本銀行とFRBの政策スタンスについての「至言」として、次がある。


「FRBのはマクロ金融政策、日本銀行のは金融システム安定化政策である」


 また、日本銀行とFRBの政策スタンスの差異についてのサンフランシスコ連銀総裁の発言が注目されているが、その中では次のような評価がされている。

 日銀の場合、超過準備の拡大は、明示的な数値目標の意図的な適用によりもたらされた。日銀の操作の背景となった理論は、保有する短期国債を現金に代替することにより、貸し出しのインセンティブが生まれるのでは、ということだった。この考えの問題点は、金利ゼロ近傍では、短期国債と現金はほぼ完全な代替物になることにある――どちらも、基本的にゼロないしゼロに近い金利の無危険資産であり、従って、片方をもう片方に交換することは、銀行の貸し出し意欲にほとんど影響を与えるものではなかった。実際、2000年代初めの量的緩和における日本の経験は、単に銀行の超過準備を拡大することは――いかに巨額にせよ――銀行の貸し出し、ないし経済全般にほとんど影響しないということを示している。

~ジャネット・イエレン「FRBは日銀とは違う」 『himaginaryの日記』より~

 金融機関を経由しての市場調整では、実体経済に与える影響が非常に限定的になることは、過去の経験から明らかだということであろう。とすれば、金融機関の保有する社債の購入ではなくて、市場から直接購入してしまうのが得策ではないのか。

 折しも、「ほふり」の一般社債統計では、2008年第4四半期の社債増加高は、07年の同時期と比較して大幅に低下している。

 ここで日本銀行も、どうせ社債の買い切りにのぞむのであれば、社債の市場からの直接購入に乗り出して、「金融システム安定化政策」機関から脱却して、「マクロ金融政策」機関へと脱皮するべきではないか。

2009/01/14

目下の労働問題を検討する視点

1.避けるべき検討過程における「陥穽」「地雷」

・恒久的制度改正と緊急時対策を峻別する
→ルール・特別措置を廃止するコミットメントの獲得方法

・マクロ経済政策と雇用政策(法制度改善)との峻別
→ネイティブで大量雇用を作り出すのは、マクロ経済政策であり、雇用制度改善ではない。
 ただし、雇用制度が景気変動の振幅に与える影響については慎重な配慮必要。

・ルール変更には、パレート改善、ヒックス=カルドア改善、所得の一方的移転となるものがあり、この点を峻別。


2.雇用政策検討が当面目指す目標

・緊急対策として、失業が大量に発生することを、如何にして防ぐか。
→緊急対策であるので、「悪影響」が恒久化しないような時限的・徳政令的であって、政治的反発の少ない選択肢を提案しなければならない
→特に、この仕組みは、所詮「所得の一方的移転」となる蓋然性が高いので、政治的正当性の獲得のための倫理的ロジックの精査が必須

・恒久的対策として、労働分配率の向上を如何にして実現するか。
→労働分配率の趨勢的低下は、人身の荒廃を招く。この点を経済のグローバル化を免罪符にして思考停止に陥ってはならない。
→労働分配率を上げるためには、①資本・経営者ストックの供給を増やし、労働の相対価格を上げる、②労働集約的で海外との競争の相対的に少ない産業を促進する(おそらく、それは、幼児保育、学童保育、高齢者介護、障害者支援、医療などの生活支援サービス分野)
→さらに、セーフティネットを再構築して、労働の留保価格を引き上げること


・恒久対策として、人口減少国家における人的投資を如何にして涵養蓄積するか。
→情報技術の進展により組織マネージの効率性が上がっているので、いわゆる組織特殊的人的投資は価値が無くなりつつある以上、自然体で、経営者の人的投資インセンティブが高まることはあり得ない
→そもそも、人的投資が必要な分野とはどこなのか。ちなみに、ケアワークは非常に個別性の高い人間相手の労務であるので、高度な情報処理スキルによって、顧客満足を大きく向上させることができることから、人的投資が有望な分野
→これらの分野の経営者に対し、人的投資インセンティブを強く与える仕組みとして、従業者と経営者の人格的一体性の確保、資本拠出者から経営者への圧力を緩和する組織法制などが必要
→また、人的投資を優先する産業分野における起業=雇用の増加のためには、当該産業に対する潜在需要を顕在化させることが必要であり、生活支援サービスへの公的資源投入を大幅に増加させること

・恒久対策として、働き方の多様性を如何にして確保するか。
→正規雇用者の残業率はつい最近まで恒常的に高止まり。そのためワークライフバランス論浮上。同時に、長期労働の緩和という視点も込めて、ワークシェアの議論も浮上。
→日本の硬直的、組織間没的な正規雇用者の労働条件は、結果的に辺縁労働力との二極分化を招き、失職者、ワーキングプアと、これらの存在によって脅される長時間労働者とを生み出している
→その本質的な要因は、経営側の裁量を広く認める人事権(就業規則及び処遇処分)と解雇権濫用法理による正規労働者の囲い込みにあり、この2つの制度はコインの裏表
→解消方策としては、①就業規則の拘束性の緩和、特に兼職制限の原則的禁止(労働者にとって不利なものだけを無効とする片面的強行規定化)、②パートタイム労働者に対する社会保障参加イコールフィッティングの提供、③生活支援サービス等他の企業での労働参加についての分離課税と累進強化、④年金制度、退職所得課税における長期雇用優遇の見直し、⑤残業割増率著増、法人課税における外形標準課税の強化など労働者を長時間働かせることに対するディスインセンティブの付与
→大事なことは、複線的な職業人生を日本人が過ごせるようにすること


3.目標にしてはいけないこと
 雇用安定を最優先として、雇用を安定化させること、つまり、解雇のコストを「一律に」高くするような、制度ルール変更は、現状において「正規雇用」になっている強者を、さらに強く保護し、現在保護の網からあぶれた弱者、これから労働市場に参入する弱者を、より弱い立場に追い込み、労労対立を煽るだけになる。


4.個別的に留意すべき事項

①派遣法制
 派遣法制については、そもそも一般労働者派遣事業という事業類型がなぜ必要なのかという点についての精査が必要。期間の定めのある直接雇用と何が違うのか。結局、「期間の定めのある直接雇用」に経営者にとって不合理な面があるので、その逸脱として使われているのではないか?
 直接の有期雇用ルールが変われば、不自然な3面契約となる一般労働者派遣事業は不要になるのではないか。
 本来、他社雇用は、就労調整のために必要な情報マッチングのために必要としか思えず、その場合には、上記の意味での有期直接雇用の柔軟化と職業紹介の効率化が本丸であり、いわゆる登録型と称される一般労働者派遣は、いたずらに間接コストを発生させているだけではないのか。

②制度のきめ細かさ
 制度の再構築を検討する場合に、類型化と一般ルールの組み合わせによって、穴はなくとも肌理の細かいルール制度を設計する手間を惜しんではならない。
 社会保障への参加ルールについては、制度が歴史的に縦割りに作られている(歴史的経緯による過度の類型化の)ため、類型間の狭間に落ちる者が生じがちであり、そのような「狭間」を訴訟によって埋めるということの繰り返しとなっている。

 一方、給付ルール(生活保護を含む)については、当該制度類型内において、制度の形骸化により過度の一般化の悪弊に陥っており、本当に必要なニーズへのマッチがなされていない。ミーンズテストは、一部論者が主張するのとは逆で、もっとコストをかけて丁寧に行うべきなのである。
 職業訓練とリンクした失業給付についても、その支給条件をもっと緩和し、かつ、職業訓練状況のモニタリング/カウンセリングをもっと丁寧に行うべきなのである。ここ数日の報道では、くだんの派遣村の村民に対し、「ハローワークに行けば、求職はあるのに、仕事のえり好みをして、就職しない」等の批判が寄せられるケースも出てきている。しかし、職業選択というのは、非常に慎重な検討が必要であるし、能力の涵養には時間とコストが必要なのである。この点、非常に機械的な裁定では問題が多い。

 労働ルールについては、労働基準法、最低賃金法等の雇用に関する規制(一部は強行規定)と団体協約(や就業規則)によって構成されているため、労使関係の個別化による厚生改善がなされない状況となっている。労働条件規制について、情報コストの観点から、常に個別事情を全て斟酌して、その合理性を判断することが難しいものの、きめ細かい類型化によって、この一刀両断的な一般ルール(集団ルール)の適用される範囲を縮小するような制度設計上の手間を惜しんではならない。
 例えば、ホワイトカラーエクゼンプションなども、適用対象を単に年収で二分でするという乱暴な類型化ではなくて、もっと職能について細かく考える、あるいは、残業手当についても段階化する等のきめ細かい設計をすべきであったと思われる。それが、ひいていは職能描写(ジョブ・スクリプション)を進め、組織内での人格的支配のような経済厚生を引き下げる「悪弊」の防除になったのではないか。

 なお、上記のうち、労働条件を定める制度ルールと社会保障参加ルールについては、制度であらかじめ肌理細かく類型化することで行われるべき問題である。
 一方、給付や職業訓練の問題は、より多様性、個別性の高い現場裁量、現場のエンパワーメントの必要な仕組みによって、きめ細かさが達成されるべき問題であるので、いかにきめ細かい対応をし、真のニーズにマッチした給付をしたかを、事後的に補足する(政策評価)ことで、当該事業に従事する者の業務上の評価を行うことが必要となる。


③雇用制度のビルトイン・スタビライザー機能
 それが日本の典型であったという「通念」が幻想であったとしても、解雇権濫用法理によって保持された長期雇用は「辞めさせにくく、雇いにくい」という性質を持っているので、景気変動のビルトイン・スタビライサーとして機能していた。
 逆に、景気後退局面では、派遣労働、そして有期労働という、景気安定化機能のない雇用形態において、問題が集約的に現れるのは当然といえば当然である。ただ、これらの形態のウェイトが低い場合には問題が大きくならないが、ウェイトが大きくなると、景気後退を助長する要因となることは論をまたない。
 そこで、雇用制度の改変を検討する場合には、このビルトイン・スタビライサー機能をどう評価するのかという問題に若干意を配る必要がある。

 近時の様々な「構造改革」はフラット化を進めるものであり、法人税や累進所得税の改変により税-財政の当該機能が弱くなっているとも言われる。失業保険も当該機能を有していたが、そのカバレッジの低下によって、機能を弱めている面がある。
勿論、ビルトイン・スタビライザー機能を強化すると、景気後退時に景気の下支えにはなるが、景気拡大期には雇用抑制効果を持つことから、拙速に安定雇用を強化すべきと評価することは禁物である。
 雇用を企業内に留めることの方が良いのか、失業給付等の社会保障の形で景気悪化時の下支えをして、社会全体で景気の影響の平準化を進めることとするのか、検討が必要である。

2009/01/13

IT技術振興策と環境省エネ技術振興策

 昨今,環境省エネの技術を日本の潜在力と見立てて,この技術を梃子に経済成長しようという論調がある。
 確かに,環境省エネ技術の進歩が世界的に望まれていること,それ自体は否定されまい。
 しかし,それと日本政府の環境省エネ技術振興策が成功して,日本企業が環境省エネ技術の実装ビジネスで世界を牽引できるかどうかは,別問題ではないか。

当時のOS市場での成功要因がカーネルやファイルシステムの技術力だったとしたら、到底IBMに付け入る隙はなかった。マイクロソフトよりもOS技術としてはIBMやDECが、UI技術としてはXeroxやAppleが遥かに先行していたけれども、ソフトウェア工学に拘り過ぎず、当時の限られたメモリでそこそこ動くものを、技芸的につくったところが他社と違っていた。 現在在のパソコン市場だけをみて、日本にも基盤ソフトをつくれる技術力があるはずだなどと力んでいる人々は、この辺の歴史的経緯を全く総括できていない。 ~日本のIT振興策はなぜ失敗するか~ 「雑種路線でいこう」より

 この楠さんのブログのエントリー自体は,2006年のものなのだけれども,上に引用した部分の記述は,その中の個々の要素技術を,「太陽光発電パネル」とか「水質浄化繊維」と読み替え,IBMなどを「日本」と読み替えると,10年後の状況になっていたりしないだろうか。
 10年後には,「日本の環境省エネ振興策はなぜ失敗するのか」という論点が提起されないようにするには,どうすればよいのだろうか。
 巷では,マスキー法の例を単純に踏襲して,電気自動車の導入などの環境省エネ規範を法的に義務化すればよいといった乱暴な議論もあるが,そんなことをしても,結局,海外製品・システムに日本市場も席巻されるだけになるかもしれない。
 そんな単純なことではなくて,この楠さんのエントリーにあるように

先行企業の背中をみて真似る戦略では展望は開けず、独自の技術革新や事業モデル、価格戦略などでルールを書き換える競争を促すような施策
が必要なのかもしれない。  ただし,その施策は決して,補助金事業や技術開発委託事業のような,既存大企業の雇用維持に使われる支出ではないことだけは確かだと思う。

オプション理論と労働法制

 オプション理論から見た場合、期間の定めのない「正規雇用」と期間の定めのある「有期雇用」との関係については、実体と異なる理論的帰結が導かれる場合がある。

2009/01/11

タイミングのずれた派遣法制見直し

 雇用に関するルールの見直しとは,そのルールの対象が,売買契約のような取引に関する債権債務関係が時間的に1回で終了する法律関係と異なり,一定の期間に渡って法律関係が継続する,いわゆる「継続的契約関係」であるため,見直されたルールが効力を有することとなる時期と,その見直されたルールの対象となる契約関係がいつからのものかということあ,そのルール変更の目的達成に関して,非常に重要な影響を及ぼすことになります。

雇用情勢悪化の波は、派遣労働者など非正規労働者だけに押し寄せるものではない。
 ~中略~
非正規労働者保護だと思い込まれた規制強化は、明らかに正規労働者保護策に化ける結果となる。

~「官邸斜め向かい~霞門の眼」 1月10日~

 
 製造業への派遣労働をより制限するような規制の見直しが検討されているようであるが,このタイミングで行う単純な派遣禁止措置は,

 ・現在及び近い将来(派遣禁止措置が有効になるまでの間)に契約が解除されることを防げない
 ・将来に渡って経営者の派遣労働者雇用意欲を大きく減退させる

という機能を果たし,目下の失業を減らす効果もなく,将来の雇用拡大の芽を拡大することもないという帰結になることが予想される。

 とすれば,まずは「徳政令」のような発想で望むことが必要なのではないか。

 ・一定の過去及び現在,有効な契約に基づいて雇用されている派遣労働者の者の解雇を違法行為とする
 ・この違法行為となる期間は厳格に期限付きとする(例えば,今年いっぱい 等)

 このような特別措置立法を行うのである。これであれば,現在の失業を防ぐ効果を持ち,かつ将来に長期に渡って雇用意欲を減退させてしまう効果を持たない措置を講じることができると思われる。
 なお,この立法における「違法行為」とは,行政取締法規上違法で,行政的な罰則があるという法律では全く意味がない。目下の労働基準監督署の機能では,違反をやったもの勝ちになるのは目に見えている。
 そうではなく,民法上の不法行為であることとして,かつ,損害賠償を違法状態が継続する期間内の賃金及び福利厚生費と法定してしまうのである(場合よっては,訴訟費用,弁護士費用を含めることも有効)。民事的に金銭支払いの義務化がなければ,この規律を無視する企業が多数叢生することは目に見えている。
 よって,時限的な民事ルールとして導入することが効果的と思われるがどうか。

 

自足型国家への転換

○目下(2008年第4四半期)の国際的金融情勢から明らかなように、当面国際的な資本移動は停滞することになろう。また、世界の(浪費的)需要を支えていたアメリカ経済が数年間は需要停滞期に入り、また、複数期にわたる民主党政権となる場合、経済の面で内向き指向となり「国産回帰」となることが予想される。いわば、ニューディール期のアメリカのようになるものと予想される。

○そもそも日本の経済規模に対する対外経済の比率は低いことは周知である。例えば、GNPに対する輸出の比率は1割程度であり、純輸出(本来の国民所得への寄与)としては、ほぼ0となりつつある。

○確かに、輸出産業による稼得によって、企業収益が下支えされたことは事実であるが、外需は基本的に振幅が大きく、日本のコントロールの及ばない需要項目である。近時のマクロ経済学において、経済の振幅(景気変動)があること自体に起因する経済厚生損失が、行動経済学の発展により明らかとなりつつあるところ、コントロールの難しい景気変動要因の国内の経済活動に与える影響力を下げることが、経済厚生上望ましい。

○勿論、日本経済が自給自足のアウタルキー経済になれる訳もないので、輸出や輸入を阻害する必要は全くない。特に、エネルギー資源や食糧については輸入が必要であるし、これらを輸入すること自体は、ベネチア共和国(食糧を100%輸入したが、そのような経済体制を500年近く継続できた)の例にあるように害悪ではない。大事なことは、エネルギーや食糧といった生存に必要となる資源の物質代謝の範囲を明確にし、その範囲での輸出入を指向し、輸出入や外資導入などを促進するなどという政策アジェンダの設定は止めるということである。

○そして、一部の輸出産業の収益に「逃避」「依存」して、国内経済、地方経済、社会の中位より下位で転落の危機にある者の現実から目をそらしても、何も改善しない。外よりも、内への「投資」に注力すべき。かかる意味では、上記の「逃避」「依存」を助長した、「選択と集中」=金銭的投資価値が高いと思われる事業への集中という、所詮一企業レベルの適応戦略をそのまま国家レベルの経済政策に導入することは戒めるべき。それは「清算主義」「しばき主義」の失敗を繰り返すことに繋がる。

○まず、日本という国自体を包摂型の社会へと転換することが必要である。後期高齢者、ニート、貧困母子家庭の児童などの社会的弱者を置き去りにすることによって、社会や国家が受けるメリットなどは存在せず、彼らを社会コストを分担する市民(単なるオムではないシトワイヤン)へと包み込み参加させることとなる社会でなければ、その社会は持続できず、立憲主義的な意味での国家の存立基盤(闘争からの回避)やその正当性(社会契約)が維持できないであろう。

○以上、まとめれば、輸出志向の効率よく資本収益を稼ぐビジネスを指向するのではなく、物質代謝を維持できるだけの輸出入確保を基本として、包摂型社会に転換できるような生活支援型サービスに徹底的に公的資源を投入して、これらのサービスが経済的に発展可能となるような政策へと転換し、変動の大きく、コントロールの及ばない海外経済の影響が、日本の国内の生活(弱)者の経済条件に影響を与えないような、安全ゾーンを作ることにエネルギーを注ぐべきである。全ての国民に「無限のマラソン」を強要するような経済成長志向は、近代の産物であり、所詮、何世紀も持続させることはできないことを悟るべきである。

○補足すると、足下円高傾向が維持されていることは、この自足経済への移行をサポートすることになろう。円高により急激に交易条件が「改善」するので、日本が輸出する必要のある経済成果の量が大きく減少することになる。つまり、日本経済に占める輸入財のウィエイトが下がることになるからである。

人的投資としての社会保障観への転換

○社会福祉、社会保障の強化をさらに積極的に正当化する論拠として、「投資としての社会福祉」という概念がある。これは、社会保障国民会議でも提起されている概念であり、EUでは、若年労働者や女性の社会的包摂を検討する政策立案における思想的基礎となっている。

○昨今の様々な経済論断(床屋談義が多いが・・・)において、知識社会や人的資本という言葉が、マコトシヤカニ語られているように、今後の経済運営を考える場合に、「人」の問題を看過することはできない。ただし、それは、これらの床屋談義が論じているような高等教育(理科離れ問題)や科学技術振興などという軽薄な議論ではない。必要レベルの教育を含む「健康で文化的な最低限の生活」から排除され、労働力として社会参加する機会も意欲も奪われている者を、どのように社会(再)参加への道筋を確保するのかというギギギリの深刻な論点として把握する必要がある。

○今後日本は人口減少国家になることは再三述べているところであり、かつ物的ストックの生み出す付加価値が著しく低下しており、量的には充足しており、基本的に物的資産についてはメンテナンス・モードに入っている。

○よって、将来の日本人のニーズや欲求を満足させるために必要なのは、生活支援サービスに代表される人的資産によって提供されるサービスなのである。これは、マズローの「欲求段階説」からしても当然の帰結である。

○とすると、日本人の高度要求を満足させるサービスを生み出す人的資本について、その需要は拡張していくことが必然である一方で、その供給は先細ることが同時並行で生じる以上、労働力の外に社会的排除される者を放置することは、壮大な社会的な無駄ということになる。

○将来の経済厚生、人間の満足を発生させる生産要素を蓄積するという「投資」の根源的定義に照らせば、少子高齢化とサービス化が同時に生じた日本においては、安定生活から排除されえている者を、安定生活と生活支援サービスの供給システムへと包摂する社会保障は、今後の日本にとって最も必要な「投資」なのである。

○若年層、障害者、女性、失業者に対する生活保護、医療、保育(学童)、就労支援等の社会保障は、この意味での典型的な「投資としての社会保障」である。

○「高齢者医療、年金や介護については、この「投資としての社会保障」という概念では正当化できない部分があるのかもしれない。ただし、ここで考えなければならないのは、これらの生活能力の減退した高齢者の生活レベルを維持することを社会でユニバーサルに保障しなかった場合、これを個々の親族等が救済することになってしまう。これが、本当に効率的な人的資源の活用と言えるかどうかが問題となる。

○つまり、高齢者医療や介護のニーズを社会的に放置して親族等に「押しつける」場合、その親族等は何らの専門性を発揮することなく、サービス提供へと「引きずり込まれる」ことになる。これは、資源配分上の効率性を著しく害している。とすると、生活支援サービスを非経済(親族提供)から解放し、経済化させることには、「投資」という側面が著しく強いということができる(社会保障を充実することにより、スキルへの投資=人材育成が増強されることも確実である)。

○年金については、どのような負担構造(賦課方式か、積立方式か、税か社会保険料か)をとったところで、現役世代が生み出した財・サービスを高齢者世代が消費するという仕組みを支えるものであること自体は、実物経済的観点からは、変わりがない。

○とすれば、高齢期の生活ニーズを顕在化させて、現役世代の労働成果とのマッチングを効率的に図るために、どの程度の年金支給水準を確保することが、資源配分を効率化するかという観点から、精査されるべきものとなろう。この点では、年金については、投資という側面を肯定できない要素が強いと言わざるを得ない。

○ただし、動学的効率性条件(投資収益率、金利が経済成長率より高い)が成立しない経済においては、消費によって経済は「成長」するのであり、年金制度による世代間移転(世代内相互扶助)の強化は、その限りにおいて、経済成長にプラスの効果をもたらすことなることは、付言することができよう。

産業の担い手についての考え方の変更

○補足的ではあるが、制度の維持可能性という観点から重要なのは、生活支援サービスを提供する事業主体の在り方である。米国のチャンドラーが「組織は戦略に従う」という経営学・経済学上の極めて重要な命題を提出しているが、生活支援サービスを提供する事業体にふさわしい組織形態とは何かということをあらかじめ検討していくことが望ましい。

○サービス提供に事務所が少なくとも1つ必要かもしれないとは言え、生活支援サービスでは、必ずしも巨額の固定設備を本質的に必要とせず、かつ、サービス提供の現場における多様性が求められる。そのような性質の「ビジネス」には、現在の株式会社(営利法人)という仕組みが適当ではないと考えられる。

○そもそも株式会社とは、19世紀末期にその有効性が認められて普及した比較的新しい仕組みであり、巨額の固定設備投資を賄うため、多数者から資金を集めるべく、配当収入の分配を受ける権利を、一括化・規格化して分かりやすくした仕組みであるというのが、歴史的な理解である。

○とすると、巨額の設備投資を必要としない生活支援サービスについては、株式会社によるサービス提供というのは、チャンドラーのいう「戦略」と「組織」の適合性が確保されないのではないかという懸念を生じさせる。その一例が、介護におけるコムスンの撤退なのではないだろうか。

○つまり、大規模設備を必要としないので、株式で資金を調達したところで、その資金は、フローの支出に充当されることになる。少なくとも、固定資本形成には充当されない。とすると、外部資金の拠出者は何を持って経営のオペレーションをコントロールするのであろうか。サービス産業で、大きな資本を調達する事業の典型的な姿が、スーパー等のように他店舗展開か、フランチャイズ形態であることから分かるように、(能動的)投資家はパッケージ化されたビジネスモデルの善し悪しとその実施状況をモニタリングすることになろう。

○一方、生活支援サービスは、サービス需要者の足らざるを補うビジネスであるが故に、多様性を本質に求められる産業であり、「パッケージ化」がふさわしくないのである。とすると、外部者による事業コントロールが困難となるので、資金拠出者とオペレーションの一致が求められることとになる。つまり、生活支援サービスは、本質的に(所有と経営の分離を指向する)大規模株式事業体にはなじまないビジネス属性を有しているということであろう。

○とすれば、今後は、株式会社ではない小規模事業体が、円滑にビジネスを行うことができるような法体系を作る必要がある。法人組織が本当に適当かどうかの検証も必要である。つまり、民法の組合契約による事業運営の税法上や公共支出法上の取り扱い、合名会社等への有限責任制の導入によるリスクカットと資金流入確保のための金融取引法制(債権総論、担保物権法制)、事業主体と労働者との関係が完全対立型ではない場合の労働法制(特に、労働協約締結や団体交渉等を巡る労働組合法制)、雇用保険や被用者保険等の社会保障法制を検証する必要がある。あるいは、場合によっては、生活支援サービスの「振興」のために、これらの横断的な法律分野についての特例法を整備することが適当かもしれない。

従来型の産出構造からの脱却

○日本経済の国内総生産に占める第2次産業の割合は既に5分の1を下回っており、狭義のサービス産業だけでもほぼ同じ水準なっている。これに非営利サービスを追加すれば、製造業の割合を「サービス業」の割合が超えることになる。

○これらのサービスの中で、需要が増加するのは、生活(支援)関連サービスであることは論をまたない。より具体的に言えば、保育サービス、障害者や高齢者の介護・生活支援サービス、医療・看護サービス、地域安全関係(ニート指導等)サービスであることは論をまたない。

○ただし、これらの生活支援関連サービスは、これまで家計や地域共同体といった非市場関係に不当に「押し込められてきた」ため、その提供のための基盤整備に資源が振り向けられてこなかった。

○経済成長に向けた動員型国家から脱却し、本来の支援(生活安全確保)型国家へ転換する上では、これらの生活支援サービスの供給基盤に、経済資源を投入するべく、経済や財政の仕組みを転換する必要がある。

○これらの生活支援サービスにおいては、個々の提供現場に相当程度の多様性が求められることが当然であり、今後、そこに従事する労働者については、動員型国家における典型的労働者像たる壮年男性労働者像に限られない、多様で自律的な労働者像が求められる。

○よって、社会福祉や社会保障と不即不離の関係にある生活支援サービスへの経済資源投入、より具体的には財政支出の大幅投入によって、女性やニート等に対する『正社員』ニーズを増加させることが必要となる。勿論、そのためのスキル向上の仕組みを作ることが必要であるが、公的な資源投入が増加すれば、生活支援サービスに必要とされる介護や保育、生活支援のためのスキルを涵養することが、経済的に引き合うことになるので、そのスキル向上も経済的インセンティブに基づいて促進されることは、火を見るよりも明らかである。

○よって、生活支援サービスに対する資源割り当てを大きく増加させることにより、目下の雇用情勢の改善に寄与するとともに、内需型産業への産出構造に不可避的に転換することができることになる。今や、物作り立国などという幻想は振り払うべき時である。

財政支出の改造

○もはや、日本列島の在住する日本国籍を有する者の人数については、外部からの移民を制度的に全面肯定しない限り、将来的に、ほぼ100年近くは増大しない(これは人口学的に既に決定している事情である)。

○日本の平均的生活水準レベルは、十分高度になっていることから、今後は、これを共通的・公平的に分配することにより、最低限レベルの引き上げに政策転換して、社会厚生の発展を図るべき(ロールズ的価値観の徹底→最低保障の徹底化、権利化)。

○今後、「高度成長の追求」などということは、人口減少という冷徹な現実の前では、政策目標として無意味であり、それよりも、現在の人的資源(可能労働人口)を前提として、その人的資源を無駄使いせず、かつ、その人的資源を、先の最低生活水準の引き上げに活用すべきである。

○これまでの日本政府の政策は、高度成長を前提に、財政収入の増分を裁量的・戦略的に配分することによって、国民の行動を誘導し、一定の政策を実施してきた(成功したかどうかは別)。そのため、既往の財政支出構造は、国民の行動変化の前提与件であり、政策効果の確実性のためには、「動かさない」ことが必要であった(操作結果の予見可能性を高めるためには、操作変数は小さい方が合理的)。

○財政収入が増加しなくなった現時点においては、「政策の実施」とは、増分の分配ではなく、支出分野の変更ということに必然的にならざるを得ない。

○勿論、中央銀行引き受けによる国債発行、すなわち決済ツールとして使用が義務づけられている通貨の増発という形での資金調達もあり得る・この方法では、インフレ税という国民負担が生じるが、この通貨発行益による「増分」という政策資源の調達は、先験的に否定されるべきものではない。ただし、目下のようなデフレ経済期においてはという留保条件つきであり、かつ、10年程度は継続できるが長期継続的には実施できないことには注意が必要だが。

○今後、日本経済にとって、少なくとも国の公的支出としては、将来の経済成長のための固定資本形成への支出に、積極的意味がなくなっている。構造改革期の一種の「しばき主義」「清貧主義」「米100俵主義」によって、科学技術振興等に資金が振り向けられたが、このような支出は実態としては、何の成果も生み出しておらず、ポスドクや成果のない大學や研究者の雇用維持ツールや大企業の「遊び金」に堕している。また、社会インフラ整備と称する大規模失業対策事業も、その成果物に対する満足が著しくゼロに近い状態(昨今のダム等に対する地方自治体の反対表明は重要である。また、道路関係諸税の一般財源化は、道路事業への政治的支持の低下の現れと解される)では、その支出の正当化は難しい。

○ノーベル賞の獲得などは、待機児童の解消や老人の生活安心確保に比べれば、国民生活にとって、何の政策価値もない措置であり、各研究機関が自助努力でやれば良いだけの話。科学技術振興費をネットで削減してでも、国民の最低生活水準の向上を図るべき。公共事業については、そもそも、江戸時代まではその地域地域で必要なインフラ整備を行ってきたのであり、国家的動員の価値が低下している現在では、地域主体のインフラ整備に戻るべき。よって、これまで国が負担してきた公共事業の負担及びその使途は、地域の自律的判断に任されるべきである。つまり、地方財政計画上地方公共団体は、社会保障負担として13兆(国の義務負担分が5兆程度あるので、8兆が純負担)の負担をしているので、この負担を大幅に軽減すれば、地域インフラ整備を地域が自律的に行う財源は確保できるし、その範囲で行うべきである(いわゆる地方財政計画上の投資的経費は15兆程度であるが、国からの義務負担が3兆程度)。

○よって、これらの公共事業支出や大學・研究機関(独立行政法人を含む。)への支出は、大幅に削減し、それらによって生じる20兆(公共投資18兆、科学技術振興費2兆)を社会保障に順次充当していくことにする。

○要すれば、ナショナル・ミニマムの確保は、公共事業によって実現するのではなく、より直接的に社会保障で行うように、国家の構造を作り替えるのである。つまり、医療や保育のユニバーサル・サービス化を国の政策として徹底し、どの地域に住んでいても、社会保障によって、健康で文化的な最低限の生活が保障される社会に変化するのである。

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