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2009年7月26日 - 2009年8月1日

2009/08/01

政権交代は「手段」に過ぎないのか?

 次の総選挙に向けて、「交代は手段であって目的ではない」と宣っている方が居るそうだ。また、このマスコミも、この命題に一定の理解を示し、いわゆるマニフェストの中身について、できの悪い論評を繰り返している。

 しかし、日本国憲法が、間接民主制、あるいは選挙による代表民主政(議会民主政)を採用する以上、政権交代は、「手段」ではなく「目標」だと思う。

 時々刻々変化する与件を前提とすれば、マニフェストなどで、事前に開陳された政策メニューが、成果を上げるものであるかは保証などされていないから、そのマニフェストが実現されるであろうことを前提に、統治者集団を選択するというのは、結局、博打である。
 また、現在の日本国憲法の標準的解釈においても、選挙される「代表」とは、命令委任ではなく、せいぜい半代表とされているのであるから、代表を選挙することが、政策メニューの一つ一つの実現について、法的義務や責任を課すことを意味する訳ではない。
 事前開示された施策メニューの実現自体を、選挙というプロセスは、選別された統治機構に義務づけるものではない以上、選挙が政策(何を実現するべきかという点)を直接的に選択するものではないということだ。

 つまり、日本の代表民主政における選挙とは、統治の中身を選挙によって選択するのではなく、本質的に「誰に統治を任せるか」を選ぶものなのだ。言い換えれば、政権選択こそが、日本の選挙の本質的要素であり、濫発されるマニフェストは、政権選択の材料ではあるが、その政策メニュー自体が選択の対象となる訳ではない。

 畢竟、選挙とは、統治者の人格(統治を担当する人間集団)を入れ替えるために存在するのであり、政権交代は手段ではなく、目標。
 これを否定するのであれば、「権力は腐敗する」というテーゼを前提に造られている、国会議員の任期という発想を否定し、随時、政策についての信認を得る手続きへと憲法を変更することを主張するべきだ。ただし、これは、一種の翼賛政治であり、まさにナチスのとった政治手法ではありますが。

 統治の集団は、時間経過に伴って、その入れ替えがなされることが、立憲主義(特に、そのプロセス重視的志向)に適合的であると思われる。まさに、その表現が、戦前の大正デモクラシー期の「憲政の常道」という理念であったろう。
 一般論としても、政権交代は、議会選挙の目標であると思うが、こと戦後60年立って様々な制度疲労が生じている現在、統治主体の人格を大きく入れ替える必要がいや増しに増している、今回の選挙の主課題はそこにあるとすべきであろう。

 とにかく、今回の選挙における目標は、政権交代なのだ。
 とにかく、統治機構の人心刷新を。

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