« 2009年1月11日 - 2009年1月17日 | トップページ | 2009年1月25日 - 2009年1月31日 »

2009年1月18日 - 2009年1月24日

2009/01/22

今日の日銀、金融政策会合

 本日2009年1月22日、日銀の金融政策会合において、昨年2008年末に決まっていたコマーシャル・ペーパーなどを直接購入して、市中に直接、信用=流動性を供給するべく、具体策を決定した。
 しかも、その規模は、事前のマスコミ等の予測であった2兆円をを超える、3兆円とのことだ。(「企業金融に係る金融商品の買入れについて」の別紙 「コマーシャル・ペーパー等買入れの概要 」)

 これは英断として評価されると思う。
 これで明日以降のマーケットにおけるスプレッドの動向、更に、90円前後を推移する円高基調の為替レートについても、どういう影響が出てくるのか注視されるところだ。

 ただ、残念というか、やはりというか、国債の買い入れ方針については、変更はなく、年間16.8兆円が上限となっている。(「長期国債買入れの当面の運営について 」

 既に、2008年の二次補正予算が参院で審議中であり、2009年本予算についての審議の緒にもついていないが、既に、2009年の補正予算という報道も出てきている。例えば、ここ

 昨日就任したオバマ大統領へのクルーグマンの「アドバイス」にもあるように、世界全体、特に欧米において、財政出動機運が高まっている。その動機において、政治的側面が強い、もっと直裁にいえば、選挙目当てではあるとはしても、さらなる財政出動へと日本も舵をきろうとしている。しかし、特別国会の剰余金などで賄えなくなる時期もそう遠くない。
とすれば、内閣と日本銀行の協調を演出して、「ビッグ・イベント」「レジーム転換」が求められることになるではないか。そのためには、例えば、長期国債の買い入れ上限なども、次年度の新規発行国債約33兆円に相当する分を買ってしまうというのも一つの考え方ではないか。
 いずれにせよ、レジーム転換が、日銀引き受けなのか、長期国債の買い入れ上限の撤廃なのかは分からないが、デフレ期待の払拭のためにも、慎重居士ではなくて、思い切ったスタンドプレーが必要だ。

 白川総裁も、

日本の場合には、相当、足もとの状況が悪化しているが、米国に比べれば、悪化の度合いは限られている。そうした中、日本が米国と全く同じ措置を取ると、金融資本市場の機能を低下させてしまう。FRBもバランスを取りながら、政策設計を財務省と相談して行っているが、日本銀行も、先般、決定会合で議論を行い、CPの買取りも含めて他の金融資産についてどういった対応があり得るかということを、現在、真剣に検討している。

(平成 21 年第2回経済財政諮問会議 議事要旨 10P)


などといっていないで、「異例の措置」でいいから、できることは全部して欲しい。また、国会の方も、定額給付金の話ばかりではなくて、財政法5条ただし書の発動を真剣に議論して欲しいものだ。


4年前の電子ブックについての『日記』

 エントリー本体にではなくて、コメントに脊髄反射していることを、まずお詫びします。


日本じゃ電子ペーパーはコケたがAmazon Kindleみたいの面白いよね。米国ほど書籍の電子化が進んでいない中、コンテンツを確保できるか。あと、青空文庫のDS版がやたら売れていたけれど、それで十分って可能性もあるかなあ。電子ペーパーの良いところはリフレッシュがなくて目に優しいところだが、動画を扱えないし、どれくらい市場があるかは謎。

「ITの6年前、そして6年後」~雑種路線でいこう~ のコメントより


 このmkusokさんのコメントを読んで、 相当前に拝読した電子ブックに関する「K.Mmoriyama's diary」を思い出した。


▼人にメールで言ったことなのだが、ついでなのでこっちにも書いておく。Σブックをはじめとした電子ブックの話だ。
▼僕は今のコンセプトの電子ブックの一番ダメなところは、汎用ビューワーにしようとしているところだと思う。「汎用」というのはマルチメディア云々のことではない。「いろんな本が読めますよ、外にも持ち出せますよ」というコンセプトそのものがダメだと思っている。
▼ではどういうコンセプトならありなのか。僕が考える電子ブックのコンセプトは、メディアとビューワーが一体になっていて、基本的に普段は書棚におさめておくが、見たいときには膨大なコンテンツを検索でき、しかもそれをパっと見られるようなものだ。
▼具体的に言うと、DVDをいっぱい持ってる人ならイメージしやすいと思うのだが、棚に収めているDVDのパッケージをパカッと開くとそのまま中身が見られるビューワーになっているようなイメージだ。
▼では、中にはどんなコンテンツが入っているべきなのか。僕は、まずは雑誌のバックナンバーだと思う。たとえば、「日経サイエンス」20年分が中に収められた電子ブック。「月刊アスキー」10年分が入った電子ブック。こういったものがそれぞれバラバラのパッケージで書棚に並んでいてもいいはず。こういうこと言うと、PC系の人はソフトだけ売ればいいじゃないかと言い出すと思う。でもそうなると、著作権だの何だのと非常にややこしい問題が発生する。また、どちらにせよディスク等メディアを保存する必要もある。そんなのめんどくさい。端末の数をケチるのもバカくさい。
▼また、実際に雑誌記事を検索したことがある人なら分かってくれると思うのだが、何はともあれ、「読める」ということがまず必要なのだ。大量の雑誌の束を保存するかわりに、それ一個買えばすむようなものがあったら、無茶苦茶便利だと思う。その目的のためには、「いろんな本」が見られることは全く必須ではない。むしろ「その端末」を開けば、必ず求めていた情報が見つけられる、ということのほうが遙かに重要である。
▼つまりこれは、以下のように言い換えることもできる。取りあえず現状では「書棚を省スペース化できるアイテム」として電子ブックを発想してはどうか。電子辞書はまずそっちから普及したわけだし、ちょっとした検索機能をつければ、それで十分オッケーだと思うのだ。
▼思うに、今の電子ブックのコンセプトは、所詮、供給側の発想でしか考えられていない。そのため発想が逆さまになっているんだと思う。
▼たとえば、今週発売された「週刊少年ジャンプ」を電子ブックで読みたいと思いますか、ということだ。そんなの紙で読めば十分でしょ。それよりも、10年分の少年ジャンプが重さ数百グラムの端末で全部読めるほうが嬉しくないですか? まあ「ジャンプ」は例として良くないが、たとえば廃刊になっちゃった雑誌とかね。
とにかく、一媒体につき、一つの端末。そういう発想があってもいいんじゃないかと思うんだけど、どうかな。少なくとも、個人は買わなくても図書館は絶対買うと思うね。10年前だろうが20年前だろうが、パッとバックナンバーを読むことのできる端末のほうが用途はある。間違いない。
▼汎用なんていうのは、その先にあるものだ。まずは一つを極めることのほうが、絶対にニーズがある。特にマニア向け雑誌とかだと、古本屋でコンプリートしようとする人たちがいっぱいいるわけでしょ。開発者の人たちは、どうしてそういうニーズを見ないのかな。


 この『日記』は、ほぼ4年前のものだけど、状況は殆ど変わっていないようにも思える。最近は、本当に古い貸本時代のマンガが復刊されていたりする。だから、古いコミックの大人買いニーズは根強いと思うけどな。
 テラバイト級のメモリスティックなんかも視野に入ってきているとすると、折りたためる電子ペーパーで、ドラゴンボールのコミック全巻とか、ドラえもんのコミック全巻とか、パトレイバーの全巻とか、最近だとガンダム・オリジンの全巻とかが、3000円くらいで買えたら、速攻買いだと思うんですけど。

 こういうのって、権利関係の処理が難しいから、実現可能性は低いのでしょうかね。
 でも、メモリスティック用のチップを内蔵させて、外とのデータやりとりをしないように、つまり森山さんの『日記』にあるように、電子ペーパー一枚(一台)ごとに、1作品としてしまえば、デジタル・コピーの問題は無くなるから、良いと思うのだけれど。

2009/01/21

「決算なくして支出なし」~予算から決算への重点転換~

「日本人の経済政策観って何?」~すなふきんの雑感日記~ より
http://d.hatena.ne.jp/sunafukin99/20090117/1232158785

 まとめてみると日本国民の平均的経済対策観とは

・景気対策を優先して財政再建路線からの後退は望ましくない。政府の借金を返すため財政再建が最優先されるべき。

・そのためにはさらなる歳出削減が必要で、まっさきに公務員の給料や人数の大幅削減が必要。

・官僚の天下りも無駄の温床なのでこれを完全撤廃する。彼らだけ特権を食むのは許せないという感情論つき。

・消費税増税は将来的には必要かもしれないが、政府の無駄遣いを徹底是正して国民が納得してからでないとダメ。

・定額給付金は有効に使われないバラマキなので話にならない。撤回すべき。

・道路やハコモノを作る公共事業は無駄を残すだけなので反対。

・介護や福祉、医療や教育への財政支出はもっと増やすべき。

・銀行金利は低すぎるので利子が増えない。日銀の政策金利を上げてほしい。

というところでしょうか。まあ個別イシューでは人それぞれ対立もあるかもしれないですが。

 様々なアンケート調査において、「社会福祉の充実」と「無駄使いの排除」(=「小さな政府」かな?)とが並立して、国民意識として出てくることは良くあり、それを矛盾していると評価する向きもある。しかし、これは「矛盾」しているというよりも、「税金の使い方に、我々国民(実際には、個々人)の意向が反映されていない」という不満の表れではないかと思う。

 「すなふきん」さんのこのエントリーで指摘されている「そして国民多数派の「改革」観はおそらく財政再建路線が中核になっていて、」という総括には少し疑問を持つが、多くの人が結果的に、内在的に持っている不満感と「財政再建」という言葉を関連づけてしまっているということ自体は、否定できないと思う。かくいう自分も、自分自身を内省してみれば、一種の「税金の使い道が悪い、だから財政再建」と思っていることがあったのだから。

とはいえ、個別の選挙などで表明される国民の政治的意思の表明とは別に、このような民主的プロセスに対する閉塞感が、社会の中に溜まっているという状態は不健全だ。勿論、具体的な政策決定プロセスに対して、国民がなんの不満もなく従っているという状態は、カール・シュミット流の「人民の意思は拍手喝采によって民主的に表現可能」という政治体制になりかねないので問題。しかし、やはり憲法的にも財政統制は、この国の民主主義体制にとって重要な構成要素なのだから、多くの国民が「税金はちゃんと使われている」という実感を持てるようになることが、本当に大事だと思う。

 そのためには、財政支出の効果を評価することが大事なのではないかと思う。

 この国の財政統制は、予算中心であり、国会は予算審議には時間をかけるが、決算審議はあっさりとしたものだし、マスコミでも予算については「識者による評価」なんて形で大々的に報道するが、決算の報道なんてほんとどされない。
だから、「財政支出の効果」については、国会審議における野党からの不適正支出に関する暴露質問とか、マスコミによる不適正支出暴露報道のように、成果を生まない財政支出について、散発的に情報が開示されるだけ。これでは、「まだ無駄な支出があるのではないか」という疑心暗鬼を増幅させるだけだろう。

 この国の財政統制が予算中心主義になっているのは、日本のかってのマクロ経済状況を前提とすれば、予算統制中心の仕組み(国会審議など)と政治家のインセンティブとが整合的であったからだろう。つまり、特に高度成長期を中心に、国の予算規模がネットで増加するのが当然で、政治家あるいは政党は、その増加分をどのように配分するかで、政治的支持を獲得してきた。とすれば、決算にコストをかけて、「何に支出され、どのような効果があったのか」を根掘り葉掘りほじくり返すのは、「百害あって一利なし」。決算に見向きもしないのは当たり前。
 しかし、短期の景気対策については別途、今後の日本の財政はネットで支出規模を減らさなければならなくなる。少なくとも、増加はしない。とすると、政治の決断は、「どこに配分するか」ではなくて、「どこを減らすか」という形でなされることになり、正論からすれば、「効果」のない支出を減らすということになる。

 要すれば、「何をどうしたい」という目的・目標を定量的に確定して、とりあえずの予算を編成し、目的・目標が達成されたかどうかを決算でチェックするということが、政治的支持の獲得方法に変わるということだ。
 公的事業は、営利事業ではないのだから、金銭的評価になじまないという批判もあるが、だれも金銭的に評価しろといっているのではない。ある政策の対象となる人々に対する満足度調査でも良いのだ。満足度調査のコストは必要であるし、政策評価としての調査手法の改善の研究も必要だろう。しかし、これは、定量的目標設定をしないことの理由にはならない。

 やはり、全体として財政統制を定性的「予算中心主義」から定量的「決算中心主義」に転換して、政策効果について定量的に検討されるような、国会審議の転換が必要なのだと思う。
 決算のプロセスをしっかりして、予算審議以上のコストを国会は決算審議にかけ、行政も政策効果の測定にコストをかける。そして、政策効果についてきちんと情報が(開示というよりも)生産され、それが国会審議に曝されれば、行政の現場にとっても、止めたいと思っている予算を止めることができるようになると思うけど、どうだろう。

2009/01/20

財政法5条ただし書

 日本の予算立案を律する基本法として、財政法という法律がある。
 この法律の第5条によって、日本国政府は、中央銀行引き受けで国債を発行することが禁じられている。しかし、この条文には、重要な「ただし書」がある。

第五条

 すべて、公債の発行については、日本銀行にこれを引き受けさせ、又、借入金の借入については、日本銀行からこれを借り入れてはならない。但し、特別の事由がある場合において、国会の議決を経た金額の範囲内では、この限りでない。


 孫引きとなり恐縮ですが、次のように、この国債の日銀引き受けは、昭和恐慌からの脱出を実現した「高橋財政」において実施された「切り札」であった。


 そもそもなぜ高橋財政において、岡田・安達・岩田(2004)は二段階のレジーム転換という整理を行うのだろうか。その理由は、a)金本位制の放棄により「金の足枷」から脱出した日本経済の為替レートは大幅に下落(対米為替レートで31年2.05円/ドルから32年3.56円/ドル)し、インフレ率は大幅に上昇(31年マイナス9.8%から32年マイナス1.8%)したものの、その水準は1920年代後半とほぼ同様であり、「井上財政」からのレジーム脱却が十分でなかったと解釈できるためである。事実、株価は32年2月から、卸売物価も4月から再び下落に転じ、景況感は急激に悪化し始めたのである。本格的な「井上財政」からのレジーム脱却は、b)赤字国債の日本銀行引き受けという金融緩和によってなされた。この二段階レジーム転換という主張は、岩田編『昭和恐慌の研究』中の第六章に収められている予想インフレ率の推計で具体的に論証されている。


「昭和恐慌、およびその脱却の経験から何がいえるのか(その1)」~Econviews-hatena ver.∞~

 確かに、昨年末、2008年12月19日の日銀金融政策会合では、国債の市中買い切りオペや、CP等の買い切りといった方策も措置されることになったが、この点については、次のような指摘もあった。

 ごく短期的な金融政策としては、市中への貨幣供給を徹底的に増加させることである。ただでさえ金融機関などの縮み志向は強まっており、貨幣保蔵動機が強まっている。 金融機関を経由する間接的措置ではなく、一定規模のCPを日銀が大幅に買い切るといった直接的措置も必要となっていくだろう。金融機関の他律的信用創造に頼らずに、直接市中に貨幣を大量に供給すべきである。 信用創造が弱まっている時には、手元に貨幣を豊富に持たせるという形で流動性を確保させなければ、経済活動の活性化、特に消費低迷の打破にはつながらない。 では、どの程度の規模での「信用」の創造が必要となるだろうか。これについては様々な考え方があろうが、一つの考え方をここで提起しておきたい。 先ずCPに関しては、CP市場の昨年水準を平時と見れば、現在は当時から約2兆円縮小しているため、最低限それに見合った規模のCP買い入れを行うべきだ。 次に国債に関しては、市中市場の中立化を目指すべく、来年度の新規増発分の約33兆円規模の買い入れを目指すこととしてはどうか。買い入れ規模の目標を暫定的に設定し、経済情勢に応じて随時見直すことも並行して行われたい。 目下、CPを約2兆円、国債を約33兆円というのが、必要最低限の買い入れ規模であると考える。


~「日銀の金融政策に関する一考」:石川和男 東京財団研究員~


 この内、CPの市中買い切りについては、この報道のように明日以降の金融政策会合で2兆円程の規模で具体化が進みそうだ。
 しかし、国債の買い切りオペについては、そのマグニチュードがはっきりしないところがある。とするならば、いっそのこと国会で国債の日銀引き受けを議決してしまったらどうだろうか。
 バーナンキFRB議長から、厳しい指摘を受けている日本銀行に任せるよりも、「国権の最高機関」たる国会議決によって、高橋財政の切り札を行使してみるのも悪くないと思うが。

21世紀の傾斜生産方式

 第二次大戦後の日本の経済を復興させるために行われた「傾斜生産方式」という政策がある。
 要すれば、他産業への生産波及効果、石炭や鉄鋼など、当時の技術水準で、特に他の産業の中間投入となる産業分野に重点的に資金や資源を投入することで、日本の供給能力を再構築しようという政策だ。

 さて、最近の厚生労働省の資料では、「雇用誘発係数を主要産業と比較すると、社会保障分野(特に介護分野)の雇用誘発係数は高い。」つまり、社会保障分野における需要を増加させると、雇用を増加させる効果が大きいということらしい。

 第二次大戦後の供給能力不足と異なり、需要不足の日本の現状では、雇用誘発力の大きいサービス分野、特に潜在的ニーズが、資金制約や事業所不足によって制約されている保育(学童保育を含む。)、医療、介護(障害者援助を含む。)といった生活支援サービス分野への公的リソースの投入を「傾斜配分」してみたらどうだろう。
 道路については、需要があると「強弁」するくらいなのだから、こういった自然的な需要が、支払い制約によって制限されている分野に、公的リソース、要すれば予算を配分すれば雇用は一気に安定化するでしょう(勿論、労働異動のための時間とコストは必要ですが)。
 
 勿論、介護分野や医療等の分野については、人手不足が問題なのではという議論もあるだろう。だから、厚生労働省は、雇用対策として介護福祉士の集中的な育成をするらしい。
 でもちょっとまって欲しい。


「介護」にしろ、「農業」にしろ、なりたい人が少ないのでは無く、なっても食べていけないから「働き手」がいないのである。実際、毎年何万人もの若者が介護福祉の専門学校や大学を卒業し就職しているが、給与や労働の待遇に納得いかず多くが辞めていく。ほとんどの職場で人手不足なのは、なり手がいないからでは無く「定着率」が悪いからだ。雇う施設側も、利益を出す為にはギリギリの人員でまかなうしかない。


                         ~まるでテトリス。緊急雇用対策になぜ?「介護」。~


 介護分野で人手不足なのは、勿論、介護スキルの蓄積が薄いという側面もあるでしょうが、基本的には、賃金を筆頭とする労働条件が悪いからでは。とすると、介護労働に支払われる報酬の原資を広げないことには問題の解消にならない。勿論、長期的に介護スキルの涵養が必要であることが否定されないが、賃金原資を制約したままで、介護市場への労働者供給を増加させれば、賃金水準はさらに悪化。勿論、人手自体が増えれば、一人当たりの夜勤が減少するといったことで、労働条件の改善は図れるかもしれませんせんが、介護等の分野はワークシェアではなくて、投入される人的資源のネット増が求められているはず。
介護報酬への公的支援の大幅増を行わずに、介護人材だけを育成するというのは、順番が逆。そもそも、税の投入を増やして、利用者負担を増やさずに、生活支援サービスの報酬を大きく上げれば、自ずと人材育成はなされるに決まっているのだから。

 保育、介護、医療といった生活支援サービスに分野に重点的に、予算を経常的に投入することが先ではないか。そうすれば、自ずと、こういった分野に必要な人的資本への投資が、労使双方のインセンティブに基づいて促進されると思うが。これが、今の日本に求められる「公共投資」なのではないのかな。
 そういう意味で、保育、医療、介護といったサービス給付型の社会保障への租税投入こそが、21世紀の日本に求められる「傾斜生産方式」なのではないか。


蛇足
なんとなく、ニューディールという言葉が飛び交っているので、違うフレーズで攻めてみました。
う~ん、まじめに考えると「保育、介護(高齢者、障害者)、医療」に労働力を動員する経済政策に「傾斜生産方式」というフレーズを冠するのは、傾斜生産方式は効果がなかったという説もあるから、あまり適切なメッセージではないのかな。

2009/01/18

フロー重視の住宅政策

今後当分の間は、日本は人口減少社会であり、世帯数は減少する。よって、単純な住宅数については、現状以上は基本的に必要ない。その一方で,ネットカフェ難民や派遣村騒動のように,明日の住まいに困窮する者がいる。
 とするならば、とりあえず政策資源は、次の要素に投入されるべきということができるだろう。

  ・市場のミスマッチの解消(特に、地域偏在の解消)
  ・居住の質の向上(特に、低いレベルの底上げ)

 ただし、「地域偏在の解消」は、過疎対策や産業立地の調整など、国民の生活拠点選択を大きく変動させることが必要であると同時に、国全体の都市(配置)政策全般の中で検討される必要がある。そこで、大規模な人口移動を前提とせず、個々人の現住地において、良質の住宅を確保できるような政策として、どんなものが必要なのか考えてみたい。


 改めて再確認すれば,長期趨勢的に人口減少国家であり、かつ、目下のように「明日住むところがなくなる」という者、あるいは劣悪な住居に追い込まれてしまう世帯が増加するという世情における政策目標として、従来型の「優良な住宅ストックへの投資拡張」(都市整備を含む。)を政策目標として設定するという発想自体が、日本のおかれているデモグラフィックな条件と適合的でないと言えるだろう。

 これから必要なことは、「住宅賃貸市場」の「機能強化」だろう。つまり,住宅ストックの蓄積の強化ではなく,住宅への居住サービスというフローをより,低廉なコストで効率良く使う仕組みを構築することなのだと思う。つまり,品質に比較した賃貸料や賃貸条件(敷金条件、保証人条件)が利用者に有利な方向に動かない現状をどう打破するか、ということ。

 ごく短期的には、まず雇用対策の一環として,失業者への賃貸住宅提供環境の改善が必要であり,次のような施策が試みられるべきであろう。

・公的機関の保有する遊休住宅ストックの解放

→公的住宅ストックの空き情報等をハローワークで提供

→派遣労働からの解雇等特に劣悪な条件下にある者に対し、再就職上不利にならないように安定した住所地を提供する(これにより、例の低額給付金も受け取れる)べく,公的住宅ストックにおける無償居住期間を3ヶ月以上確保


・私的住宅ストックの有効利用

→雇用対策で講じられている地方特別交付金事業や基金事業において、派遣労働者等を追い出すことで「空き」になる民間住宅を、公的に借り上げる事業を認める

→派遣労働者等に住居を提供した住宅オーナーに対し、引き続き解雇された労働者に住居を(低廉に)提供し続ける場合に、固定資産税を減免(類似目的の助成は,雇用調整助成金で措置されようとしている)


 中期的には、賃貸条件(単純な家賃レベルだけではなくて)において、低所得者の入居・住み替え等の障害となっている条件、より具体的には、入居時・転居時に必要となる「敷金・礼金」と「保証人」というハードルの高さを低くしていくことが,課題となるだろう。
このためには,「敷金・礼金や保証人を求めない賃貸住宅事業に対する政策支援(おそらくは,金融支援)」も考えられるが,より本質的な解法は,入居者リスクをカバーするコストを下げること。敷金・礼金や保証人は,つまるところ賃料未払いと原状復帰費用の発生という「事故」に対する保険なのだから,これを公的にシェアする仕組みを作れば良い。
 問題が多いとの指摘もあるが,民間の賃借人保証会社に対する公的関与を強める形で,入居者リスクをプールして引き下げるということもあり得よう。また,より直接的に,生活保護世帯については,相当の範囲で,入居者リスクを生活保護(あるいは失業保険)の中で賄うことを宣言すれという手だてもあり得よう。

 
 さらに長期的には,低所得層に提供される賃貸住宅の質の向上が問題となる。この点では,「低コストアパートに対する設備投資減税」などの改修インセンティブの付与もあるが,より抜本的には、URや自治体の住宅供給公社等が、子育て世代や単身若年労働者向けの30m程度の住宅を、既存住宅ストックを活用して大量に提供するという方策が有効。いわば,私的に供給される質の低い住宅を「民業圧迫」の形で市場から追い出し、私的に建設・維持される住宅の質を上昇させるように、公的住宅供給が民間ディペロッパーを下から突き上げる仕組みということができる。

 ただし,これらいずれの仕組みも、地方公共団体が、管轄下のどの地域に住民という担税力を集めたいかという観点で、町作りの構想、職住接近,生活支援サービス拠点との接合の構想と整合的に進めることが適当であることから、各種の独立行政法人の窓口と市町村が連携することが重要であり、国の資金を交付税等のメカニズムで分配する形で実施する方が良い。

 よって、以上を生理すると,今後の日本における住宅政策の具体的な目標は、次のようになる。
  ①遊休住宅ストックの有効利用の確保(公的ストックの活用と私的ストックの取引)
  ②低所得世帯の入居者リスクのシェア
  ③現状の住宅の機能性・可住性の維持(メンテナンス)への投資確保
最低水準の住宅の質向上への投資確保(ロールズ的価値観)
 
 しかるに,今のところ提示される住宅政策とは,既存の施策の延長であり、住宅ストックへの投資を維持・加速するという視点が徹頭徹尾貫徹している(例えば,これ)。

 これらの政策の背景にあるのは、住宅ストック投資の「拡張」によるトリクルダウン論という景気刺激策(思想)であるが,このような発想は、
 ・住宅ストックの数量的需要が人口学的に減少する日本においては、スットク投資は無意味であり、これを強行すれば住宅バブル(将来的なローン破綻潜在者の蓄積)を招く
 ・住宅ストック投資への税制面、金融面での優遇は、資金保有者(信用力の高い者を含む。)への助成政策であり、逆進的な面が強い
という観点から、不適当である。

 とにかく、スットク重視とトリクルダンウン論という発展途上国的発想から、既存の住宅ストックから生まれる住宅サービスというフローの質の向上と円滑流通(フローの資源配分の効率性重視)という先進国的、成熟国家的発想への転換が必要。

« 2009年1月11日 - 2009年1月17日 | トップページ | 2009年1月25日 - 2009年1月31日 »

2014年9月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ