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2009年10月4日 - 2009年10月10日

2009/10/10

家賃バウチャー制度という卓見

 学習院大学の鈴木教授の卓見が披瀝されているレジュメを発見。

2. 住宅弱者への居住支援対策は、家賃補助・ケア補助への一本化が優れた施策

(2)家賃補助(バウチャー)への政策転換
・こうした問題は、欧米諸国が行なっている利用者への家賃補助政策に切り替えることでほぼ対処可能な問題である。
・その際、フランスが行なっているように、家賃補助を受けることができる住宅に一定の質基準を課すことが望ましい。
→質のコントロール。自治体の住宅や建設部門が対象となる住宅・施設の質を審査し、一定の質以上のものにしか家賃補助を認めない。
・現状の限定された対象者にしか支給されない住宅扶助を、ドイツのように生活保護制度から切り離し、家賃補助政策の中に組入れることも一案である。ドイツでは、生活保護よりも緩い所得基準を設定し、それを満たせば必ず家賃補助が受けられるという「資格制度」を採用。
→対象を生活保護受給者以上に広げるハウジングファースト施策。
・また、アメリカで採用されているように、低所得者が家賃を別の目的の支出に使わないために、使途を限定する「バウチャー制度」の導入も望ましいと考えられる。
  →不正や浪費の防止。
・その他のメリットとして、地域偏在への対処(ハコモノと一体ではない直接補助なので、どんな地方でも支援可能)、公営住宅の利用促進(家賃補助により高い家賃を取ることができるため、自治体も利用に積極的になる)、質の確保された民間賃貸住宅の新規供給増(家賃補助により、採算性が増すために供給増。また、家賃補助により家賃不払いのリスクが低くなることも重要。家賃不払いの保障を公的に付けることも一案)
・一方で、居住支援、宿泊所等のケアコスト、アフターフォローについては、別途、必要経費+αの補助金を創設すべきである。アフターフォローについては、必要経費をはるかに超える公費の節約が可能であるとの研究(資料)。宿泊所のケアコストについては、大阪市立大学都市研究プラザの稲田七海によるタイムスタディーによる萌芽的研究。居住支援についても、同様の手法が考えられる。
・東京都の地域生活移行支援事業を積極評価すべき。過渡期には住宅扶助単給付も推進。
・他の住宅弱者(高齢者、障害者)も家賃補助に切り替え、統合化すべき。民主党的。


 ここで、既存のスットク拡充型施策が現実的な問題解決機能を喪失していること、つまり鈴木教授の捉え方では、

「建設補助の問題→民間賃貸住宅への居住支援施策としては、圧倒的に「建設補助」が中心。①「民間賃貸住宅建設融資」、②「特定優良賃貸住宅等供給促進制度(特優賃)」、③「高齢者向け優良賃貸住宅制度(高優賃)」の3つの制度とも、直接、必要とする人に行き渡る部分が少ない。」

とされている問題意識は共有しているが、その問題点の解消策として発想した解決指針は、いまだ中途半端であったようだ。

 鈴木教授の提示する「家賃補助バウチャー」というのは卓見であると思う。
 勿論、この仕組みが直接給付型(古い言葉で言えば、措置制度)に比べてコストが引くからということではなない。提供される「サービス」の質・クオリティーを適切にコントロールしようと思えば、バウチャー対象の監視は不可欠であり、要はクオリティー・コントロールにはコストはかかる。
 バウチャー制度が、(政治思想的に)優れている点は、当事者(提供者と利用者)の「自己決定」の側面が広がるからである。

 中央・地方を問わず行政組織、要すれば役所の支援対象を選別する能力に対する不信が蔓延している。これは、一時的な例外というよりも、このブログのタイトルである「動員型国家」が終焉を迎えつつある中で必然なのだと思う。
 住宅政策についても同じであり、そもそも当事者の選好に大した知見もあるはずもないお役人、それもその地位にあることにそれほどの正統性がある訳ではもなく、人数も限られているお役人が、机の上で練り上げた事業対象が、千差万別のニーズをくみ上げることが可能な訳がない。
 資源制約のある中で、経済資源を一定の方向に動員して経済成長しようという場合の「一定の方向」について、他者の成功体験に照らしたコンセンサスがある時代はともかく、そのような里程標、羅針盤がなくて、自ら「新しい成功体験」を作らなければならない時代には、官僚制によってスクリーニングされる事業対象選定は、その適合性、適正性を保障しない。
 その弊害が噴出しているのが現代ということであろう。

 話が大きくなったが、いずれにせよ、役所が決めるターゲット政策戦術(政策手法)が破綻している以上、鈴木教授が展開する「家賃補助バウチャー」という政策戦術が、今後の住宅政策の根本に据えられることが望まれよう。
(鈴木先生におかれましては、高いところからの物言いをいたしまして、お詫び申し上げます)

大山鳴動ねずみ一匹

<貸し渋り法案>返済猶予実績を点検・公表 義務付けはなし  10月9日 毎日新聞

 金融庁は9日、中小企業向け融資や住宅ローンの返済を最長3年間猶予する制度などを盛り込んだ「貸し渋り・貸しはがし対策法案(仮称)」の最終案をまとめた。金融機関に返済猶予は義務付けないが、金融庁が検査などを通じて金融機関の猶予の実績を点検・公表する。会見した大塚耕平副金融相は「実効性を持つように努める」と説明した。
 昨秋の金融危機後に急速に悪化した中小企業の資金繰りを支援するのが狙い。今月下旬召集予定の臨時国会に提出し、年末の資金繰り改善につなげる考え。
 猶予期間中に企業が破綻(はたん)した場合、中小企業向け融資の損失に公的保証をつける信用保証協会を活用して、金融機関の損失を穴埋めし、事実上の政府保証とする。返済猶予で金融機関の財務が悪化しないように金融庁の金融検査マニュアルを弾力的に運用することも盛り込んだ。
 猶予期間は最長3年とし、元本だけでなく利子も含めて返済猶予を可能にする。将来の業績回復が見込める中小企業を対象とし、金融機関や信用保証協会が審査する。勤務先の倒産などで住宅ローンの返済ができなくなった個人も返済猶予の対象とする方針だ。
 法案は1年間の時限立法とするが、延長は可能。取引ごとの返済猶予の可否は、金融機関と借り手の協議に任せ、強制はしない。だが、制度に実効性を持たせるため、金融庁が検査などで猶予の実施状況を点検したうえで、猶予の件数や金額などを国会に定期的に報告する。

 結局、返済猶予の義務づけは見送りとなった模様。
 そのことの是非はともかく、仮にこの記事のような内容のものだとすると、法律的に必要なことというのは、
 ①信用保証協会の保証対象に返済猶予した債権を含めること
 ②金融機関に猶予の状況の報告義務を課すこと
の2つということだろう。
 でも、この程度のことは、現行の銀行法や信用保証協会法で可能なのでは(ただし、協会の保証枠を実質的に増加させるのであれば、予算措置は必要)。
 かてて加えて、 「返済猶予」したり、「保証」するかどうかは、金融機関や信用保証協会の審査によるということであれば、この法律って、何のために必要?


 あっちこっちの顔を立てなければならない大人の世界は難しいとうことですね。

2009/10/08

「門番責任」という理屈

痴漢は逮捕する必要なし

 だから痴漢の責任は、その状況を作り出している鉄道会社にとってもらうしかないと思うんです。
 こんな仕組みはどうでしょうか?
 痴漢にあった女性は、鉄道会社に申しでる。鉄道会社は「痴漢がなかった」ことを証明できない限り、被害者に対して補償する義務を負います。被害の程度に応じて、数十~数百万円払うというのでどうでしょうか。金で解決するのか、と言われそうですが、金でももらわなきゃ被害者もやってられないでしょう。無理に犯人探しをすれば、今回の女子高生みたいに、逆に加害者になってしまいます。
 痴漢被害者への補償金の額が馬鹿にならなくなり、鉄道会社も痴漢をできない車内環境を本気で実現しようと努力し始める。
 こうでもしなきゃ、鉄道会社が本気で対策をとってくれるとは思えないんですよね。

 ここで展開されているのは、鉄道会社に「痴漢被害のコスト負担をさせて、痴漢防止の実のある実効を行わしめよ」という提案。
 この手の問題は、実は現代市民社会に共通する問題である。
 つまり、現代市民が活動・生活する場・空間を設営して、利益を上げている者は、その空間・場でその空間の利用者に損害を与える他の利用者の行動をどこまでコントロール責任を負うべきか、負わせるべきかという問題。

 一般化すれば「ゲートキーパーの責任(門番責任)」とでも言えるだろうか。
 これは、相当普遍的に発生している問題でありながら、近代私法体系、さらには、近代立憲主義(人権思想)が抱える問題を提起している。
 というのも、ここで提案されている「痴漢事案が生じる現場である鉄道内について、痴漢が生じないような対策を講じる責任を鉄道会社に負わせ、その不備により、被害者、鉄道会社以外の第3者である利用者の痴漢行為による損害が発生する場合には、その損害を賠償する責任を負わせる」という仕組みについては、近代私法の

・過失責任主義(自己責任原則と過失責任原則)

に抵触するからだ。

 例えば、ネットオークションやネット通販市場において、そこでの出品店や出品者の詐欺行為などにより、そのシステムの利用者が損害を受けた場合に、その場の設営者はどのような責任を負うかという形や、ネットの掲示板やブログなど不特定多数がアクセス可能なネット上での誹謗中傷、著作権侵害などについて、コンテンツ自体を提供している訳ではない、システム・プロバイダーがどこまで責任を負うのかという問題と、実は構造は全く同じ。
 このネット上での問題については最終解決がなされている訳ではないが、事態は改善の方向に向かっている。
 問題が顕在化した紛争当初は、システム・プロバイダー諸子も、この「過失責任主義」を盾に、自分(社)の行為ではない、自分(社)に過失はないとして責任を否定していた。勿論、現在も全面的に責任を認めてはいないだろうが、実際には、個々の利用者との規約において、コンテンツの削除甘受を義務づけたり、損害保険による代金返還などを措置することで、被害の拡大の予防・損害の補填の面で一定の責任を負担するようになっている。
 このような、一定の作為を行うことが、法的にも商業倫理的にも正当化されることの背景になる論理が、使用者責任を根拠づける「報償責任論」(伝統的民法解釈学の論理)、さらに「最安価損害回避者理論」(ロー&エコノミクスから導入される比較的新しい民法解釈思想)。

○報償責任

 使用者の責任は他人(被用者)の不法行為責任について代位責任であるとの位置づけが提唱され、その根拠として報償責任(利益の存するところ損失も帰する)・危険責任(危険を支配する者が責任も負う)が主張された。報償責任や危険責任はもともと無過失責任を基礎づける根拠であるから、それが使用者責任の根拠となると、過失がなかったという免責は容易に認めるべきではないことになる。このような制度理解は、その後の企業活動の拡大とともに生じた社会的要請にも合致したため、代位責任説が支配的となった。
 内田「民法Ⅱ(第2版)」p455

○最安価損害回避者
 

仮に交渉費用が高くて交渉できないとしよう(それが現実により近い仮定である)。そのような場合は、損害を最もやすく回避できる者(最安価損害回避者という)に賠償責任を課すように不法行為法を定めるべきだ、とカラブレイジはいう。
 しかし、もし誰が最安価損害回避者か分からない場合には、最も安く最安価損害回避者を捜し出してこれと交渉できる者(最安価交渉者という)に賠償責任を課せという。
 このような理論を駆使して、カラブレイジは、交通事故に関する無過失責任賠償制度を正当化する議論を展開した。
 内田「民法Ⅱ(第2版)」p308


 場や空間を設営し、その利用に料金を課金している事業者は、ゲートキーパーとして報償責任を一定の範囲で負うであろう事は、感情論的に受入れ可能であり、相当程度一般化が可能であろう。
 また、利用者の出入りに課金している以上、利用者の選別に関しては、当該場の利用者よりも安価に実施できるし、少なくとも単なる利用者よりも「最安価交渉者」であろうという点についても、同意が得られるかと思う。
 もちろん、被害発生の防止方策が、利用者の選別及び交渉による行為抑制(利用の禁止を含む。)だけだとすると、場の設営者だけに責任を負わせてもという感じがしないでもない。ここで、参照すべき概念として出てくるのが、ハーバード大学の憲法学者レッシグがCODE以下の著作で展開したアーキテクチャという概念だ。

アーキテクチャ(Wikipedia)

 人間の行為を制約したりある方向へ誘導したりするようなウェブサイトやウェブコミュニティの構造、あるいは実際の社会の構造もアーキテクチャと呼ぶ。ローレンス・レッシグは、著書『CODE―インターネットの合法・違法・プライバシー』において、人間の行動を制約するものとして、法律、規範、市場、アーキテクチャの4つを挙げた。

 取締りと刑罰によって行動を制約する(法律)、道徳を社会の全員に教え込んで行動を制約する(規範)、課税や補助金などで価格を上下させて行動を誘導する(市場)といった手法のほかに人間の行動を制約する手法として、社会の設計を変えることで社会環境の物理的・生物的・社会的条件を操作し人間の行動を誘導するという、「アーキテクチャによる制約」が考えられる。社会の仕組みを変え、ある選択肢を選びやすくする・ある行動を採ることが不快になるようにするといった環境に変えることにより、社会の成員が自発的に一定の行動を選ぶように誘導し、取り締まりを行ったり子供たちに規範を教育するよりも安いコストで社会を管理することができる。

 掻い摘んで言えば、場・空間の利用者の行動は、その場・空間の設計・実装の仕方によりコントロールが可能であり、それが実質的な権力あるいは法規範の役割を果たしているという理論である。特に、技術的、経済条件的、規制的に他の代替できる場や手段が存在しない場合、その「唯一の」空間・場の有り様=アーキテクチャは決定的な制約として機能することになる。
 この「アーキテクチャ」という概念は、元々はコンピュータ・システムの作り方の話であり、具体的には、例えば掲示板の書き込みにNGワード設定がされており、NGワードを含む書き込みを弾くというようなものがイメージされる。
 もちろん、元々が設計や建築学の用語であったのであり、リアルの世界にも適用できる概念だ。今回の満員電車における痴漢問題ということであれば、現在すでの行われている、混雑時間の女性専用車という利用ルールも一種の原始的なアーキテクチャだ。ただし、乗車サービスという無形のものの「設計」ということであるが。現在、改札のICチップ化が急激に浸透しているので、様々な「選別」が可能だろう(まさにゲートキーパー)し、嫌な話ではあるが、監視カメラの常設化みたいことも、アーキテクチャとして実装可能だろう。
 
 「報償責任」「最安価損害回避者理論」「アーキテクチャ」といった概念道具を使うと、鉄道会社が満員電車の中の痴漢被害について賠償責任を負うという仕組み、責任関係の有り様はそれほど荒唐無稽なものではない。勿論、政治的に実現することは大変だろうし、また虚偽請求、つまり痴漢されていないのに賠償請求がなされる可能性を最小化する要件事実の構成や痴漢認定実務の構想が求められはするが。

 こういう「報償責任」「最安価存在回避者理論」などが政治的軋轢を乗り越えて社会に実装された制度の一つが、先のネットオークションの場合の損害補償制度なんかじゃないかと思われ、嫌なことだけど、全般的な監視社会化の進展とともに、ゲートキーパー責任論は強化はされても、弱まることはないんじゃないかと思う。

国債増発への期待と出口戦略への懸念

リンク: 政府 税収減で国債増発へ - ココログニュース

赤字国債発行へ=税収減不可避、10年度予算編成-政府方針 10月6日 時事通信

 政府は5日、2010年度予算編成に関し、歳入不足を補うため、赤字国債を増発する方針を固めた。10年度税収は09年度当初見通しの約46兆円を割り込むのは確実で、政府は40兆円を下回る可能性もあるとみて、不足分は赤字国債で賄わざるを得ないと判断した。
 鳩山由紀夫首相は就任前から、一貫して国債増発を否定してきた。しかし、昨年秋からの景気低迷で法人税や所得税などの税収が大きく落ち込み、09年度税収見通しは下方修正が避けられない情勢。首相は10年度予算編成に当たり、厳しい現実に直面して路線変更を迫られた形だ。 

 そもそも税収見積もりの見込み違いによる「穴埋め」について、民主党政権を批判するのは筋違い。マクロ政策的には、国債発行はもっと増やして良い、それも市中消化では、税金が原資となる利子を国債を購入する余裕のある資産家に支払うという、非常に所得配分を格差拡大方向に傾けることになるので、日銀引き受けで行うべき。

 その一方で、下記のように日銀は、はやくも出口戦略を検討などと報道され、それに対し「闘志」亀井金融大臣が懸念を表明しているそうだ。

日銀などの臨時異例の措置、出口論探る時期ではない=亀井担当相 10月6日 ロイター

 亀井静香郵政・金融担当相は6日の閣議後会見で、金融危機への対応として日銀が企業金融支援のためコマーシャルペーパー(CP)や社債を買い取る臨時異例の措置などについて「(足元の)景気は回復過程に入っているとは思わない」とし、出口論を探る段階では「ない」と述べた。

 残念ながら、橋本行革時代に唱われた「日銀の独立」などというものが、結局、日銀官僚組織=金融機関支援組織の独善を生んだだけであったということ。
 近時のマクロ経済学の進歩及び各種の金融調整実務の積み重ね、就中、日銀の反面教師を踏まえ、世界中の中央銀行が「期待」に働きかけることの重要性、特に緩和期待の重要性をいかに涵養するかに腐心しているのに、自己の過去の過ちを学ばない日銀という組織には呆れると言わざるを得ない。
 物事、出口を見据えておくことは大事だ、しかし、出口のタイミングを図る基準、契機を曖昧にしたまま、出口戦略をちらつかせるのは、戦術論として愚の骨頂である。マクロ経済上の指標をきちんと明示した上で出口措置を講じる時期を炉汁べきで、「市場が正常化しつつある」などというご託宣はたくさんだ。

 とにかく、日本のマクロ経済状況を自殺しなくても良い状況に復帰させるため、個別の助成先・政策対象を選別し、仕切りたがって、成果を出せない官僚機構にも、与信先選別能力について圧倒的な不信を持たれている日銀・金融機関にも頼れない以上、人為=政治による所得再分配を、国債増発(日銀引き受け)+生活困難層への直接給付という財政・金融政策のハイブリッドで展開するべき時だ。

2009/10/04

こういう条例改正は違憲の可能性があります

リンク: 10分1000円散髪店がピンチ.

 理容師と美容師の混在問題といい、格安理髪店に対する理容組合の「嫌がらせ」はつきませんね。

 薬事法省令による薬のネット通販規制に対する訴訟と同様に、この条例についても、行政訴訟が提起されると良いと思います。

 この条例は、公衆衛生確保のためだそうですが、公衆衛生目的の規制、つまり警察取り締まり目的の規制に対する違憲審査基準は厳しいものです。
 有名な薬事法距離制限規制違憲事件の違憲審査基準に照らせば、この条例は、違憲判断が下される可能性が非常に高いと思います。

 本当にばかばかしいにもほどがあると思います。

自主返納というよりも、交付税交付金との相殺が適当

地方から自主返納も=補正予算執行停止で-野田財務副大臣

10月4日13時29分配信 時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091004-00000027-jij-pol

 野田佳彦財務副大臣は4日、NHKの番組に出演し、3兆円以上の財源を確保するために実施する2009年度補正予算の執行停止について「(自治体に)説明し、理解してもらって自主返納してもらうということも、手続き上、あるかもしれない」と述べ、地方に交付済みの事業も対象になり得るとの認識を示した。そのうえで「あらゆる努力をして減額したい。切り込めるところは、まだたくさんある」と話し、さらなる減額の積み増しを目指す方針を強調した。 


 自主返納というよりも、11月分の地方交付税の交付金額から、返納分=戻入分を控除して交付すればよいのではないでしょうか。その代わり、既に渡された「無駄な」補助金等については、交付要綱の規定にかかわらず、使途の縛りを解除(適正化法の適用場外措置)を講じればよいのでは。どうして「自主」という、責任転嫁を考えるのでしょうか。
 臨時国会の冒頭処理をすれば、地方交付税法や補助金適正化法の改正は速攻で可能でしょう。暫定税率廃止法や国家戦略局設置法が、通常国会に先送りになるですから、臨時国会に時間的猶予はあると思います。それに、すべて議員立法でしょうから、各省協議や内閣法制局審査も不要のはず。明日にでも、大綱は作れると思いますけどね。

 このやり方が、適当でないという論調もあるが、どうだろう。
 地方自治体には、やりたくもない補助事業を渡されて不快に思っているところも多いはず。また、地方の執行だから無駄でhないあというなら、あの千葉県の「体たらく」はなにか、無駄だらけではないか。
 公共機関の歳入-歳出は、年度単位で計られているのであり、年度途中であれば、どんな措置でも適法に行えれば問題ない。
 目新しいというだけ、地方自治体から金銭が国庫に戻るというだけで、脊髄反射するのはどうかと思う。

 憲法という法的ルール、民主的統制=議会統制というルールに反しない限り、無駄排除のためには、あらゆる立法措置が必要だろう。地方自治体が善、地方の住民が善という発想からは、脱却しないと。

民主党の「リフレ派研究会」?

「金融ボーイズ」の血騒ぐ  2009年9月28日 AERA

デフレ音痴の党変える
 もう一つは、鳩山政権の経済政策の中で最大の難所となるデフレ対策。バブル崩壊後、自民党はデフレを克服できず、選挙や構造改革の足を引っ張り続けた。この間、物価や所得の減少によるデフレの痛みと、構造改革による痛みを政治もメディアもあえて混同し、既得権を持つ人たちが「痛み!」を連呼。冷静な経済議論をかき消してしまい、デフレの処方箋は、迷走し続けている。
 2007年の名目GDPは515兆円、10年前の1997年も同じ515兆円で、「成長」の跡は見られない。
 夫が「給料は3万円減ったが、物価下落の影響を除いた実質値は5000円アップになる。昇給したのと同じだからお祝いをしてくれ」と言って喜ぶ妻はいない。やはり、給与の3万円ダウンは深刻に受け止められるが、それがデフレのせいなのか、構造改革が原因なのかを追究する夫婦もいない。
 同じような状況が経済全体で起きているのだ。
 そこで、鳩山首相の側近であり、旧東京銀出身の小沢鋭仁環境相は昨年、「リフレ研究会」なるものを党内にひっそりと立ち上げた。「リフレ」とはマイルドなインフレで物価下落をとめる金融政策で、持ちかけたのは意外なことに道路問題の追及で忙しいはずの馬淵澄夫氏。元財務官僚の大串博志氏らも参加した。だが「日銀にインフレターゲット政策をのませ、2%程度の物価上昇を起こすのが民主政権の課題です」と刺激的に話す識者の勉強会に招かれた当時代表代行の菅直人氏は一言、
「非常に面白いが、民主党の言っていることとすべて逆じゃないか。急に逆はできないよね」
 野党時代の民主党にありがちだったデフレ観は「物価が下がることは暮らしやすくてよいこと」「金利生活者のお年寄りのために金利は上げるべきだ」といった感じで、国民にはわかりやすいが、人気取りを狙った素人感覚の域を出なかった。デフレで不良債権処理にのた打ち回った銀行ボーイズから見れば、「噛みつきたくなるような問答」だったという。
「財政と金融は一体なので政府にマクロ経済がわかるプロが増えることは不可欠。デフレもすべてが悪いわけではないが、行き過ぎは問題で、金融緩和を日銀と一体となって進めるべきです。無駄削りは必要だが、必要な財政投資もあります」(今井氏)


 この辺り、民主党の「庶民派感覚」での「金利低下=銀行ぼろ儲け」という発想は短絡と言わざる得ない。しかし、資本市場(インターバンク市場、国債のバルク市場)を経由した銀行のコスト構造を因果経由とする信用創造について、不信感あるいは、もっと激しい表現で言えば、不公正感があるのも事実。
 とすれば、マクロ経済改善のために政治的に可能な方策とは、日銀にファイナンスを「強制する」財政法5条ただし書を発動して、財政を通じて家計を直接支援するということ、つまり「見える手」による信用拡張=リフレということなのかも。

 国や自治体が「無意味な」道路や構築物(国立マンガ喫茶)を作るという経路を通じた財政政策、金利や金融機関の資産構成の変更といったコスト効果を通じ市場経由の金融政策、こういった旧来型のマクロ政策に対する不信を払拭して、デフレ払拭の効果のある政策を実施するためには、やはり、財政法5条ただし書を発動して、日銀引き受けで国債を発行し、社会保険への「補充」や流動性制約下にある家計への直接給付(価値財的発想からはバウチャーの導入)へそれらの原資を当てるという方策しかないであろう。

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