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2009年10月18日 - 2009年10月24日

2009/10/23

メディア・イノベーション時代の「陥穽」

 「慶安の触書は出されたか」という、非常におもしろし小冊子がある。

 「慶安の御触書」
 日本史のお勉強のとき、江戸幕府が農民の生活統制=年貢確保のために出した「お節介法令」(いわば江戸時代の軽犯罪法)というイメージがある。
 衝撃的だが、この「慶安の御触書」というものは、実は「幕府法令」として実在したものではなくて、原型が別にあり、それが後世(19世紀第2四半期以降)になって、慶安時代(1649年)に幕府によって全国に発令されたものとして「法令集」などに掲載され、多くの藩で採用されたものだそうだ。そもそも、慶安時代に発布された触書そのものというのは、全く発見されておらず、明治期からその実在性については疑念を抱いていた学者もいたというのだから驚きである。

 問題は、なぜ後世の「情報操作」によって、有りもしない幕府法令の存在が広く信じられるようになったのかということだ。
 本書では、松平定信によって試行された「法令を町方に印刷物で配布」という新しい情報伝達ルートの開拓(情報メディアのイノベーション)したことをその背景要因と上げている。時代背景に「天保の飢饉」などの影響で、農村が荒廃しており、その立て直し方策の一貫で、「慶安の御触書」と称する法令が町方・農村に印刷物として配布された結果、全国規模で(その真偽も疑われずに)普及したという仮説である。

 この仮説の妥当性はともかく、情報が新しいメディアで伝達され始める時、その情報の信憑性というか、情報提供者による操作可能性については、そのメディアに関する市民のリテラシーが追いついていない。よって、信憑性の低い情報や操作されている可能性の高い情報が急激に拡散するという視点は、現代においてもウィキペディアやブロゴスフィア、はてブ等のネット上のCGM的メディアで生じている事象の分析視角として有効だと思う。

 いずれにせよ、この「慶安の触書」問題は、情報メディアにイノベーションが生じた折りに、そのメディア、そしてそのメディアによって拡散した情報を後世に受領する人々が陥る「落とし穴」、陥穽を良く示している。
 情報メディアを巡る問題は、江戸時代でも現代も似たり寄ったりということ。

 もう一点、この小冊子との関連でおもしろいと思うのは、つくづく江戸時代というのは、それ以前との対比で、情報大「公開」時代だったのだという点。
 こんな話がネットで出ている。

学問のこと

慶長八年ごろのこと、林羅山や遠藤宗務、松永貞徳といった人々、がそれそれの研究している「四書新注」「太平記」「徒然草」などの、一般の人々への公開講義を行う事を企画した。
人々の間に、学問を広める事を目的とした者である。
ところがこれに、儒学を家学とする清原家などの、京の伝統的な学派が異議を唱えた。
そして彼らはこれを禁止させるため、家康の元に、今川氏真を派遣した。

氏真は言う、
「学問とは、代々それを受け継いだ師が、その伝統の秘伝を含め弟子に教え伝えることで始めて成就するものです。
それを公開し誰にでも学べるようにする、などと言う事は、学問そのものを破壊してしまいます。」

家康はこう答えた
「師につかなければ、学べないようなものは、学問ではない。芸だ。学問とは、何から学ぼうが、学ぶ者の努力次第で、天下万民、誰でも会得できるものでなければならない。」

こうして、公開講座は無事開かれた。さらにこの講義内容は出版され、日本全国に知的な興奮を巻き起こした。
一部の人々にのみ伝わっていた「徒然草」が、日本人に「再発見」されたのも、この時である。
学問の世界が、中世から近世的なものへと切り替わった瞬間とも言われる、有名なお話。

 この話自体は、まあ俗説なんだろうが、中世(平安末期から室町時代にかけて)は、情報の多くは、京都の公家及び寺社内に保存されているものであり、それぞれの「家」に伝承する日記や寺社内の記録として門外不出のものであった。それを最も独占していたのが、天皇家だというのが、天皇という仕組みが戦国時代を生き延びたとする学説もある(本郷「天皇はなぜ生き残ったか」 )。

 また、法律なんてものも、「ポケット六法」なんて手軽に法令を閲覧するものはなかった(いまでは、ネットで検索かもしれないが)ので、訴状沙汰の時には、自分の権利主張を根拠づける法律を自分で裁きの場で主張しなければならなかったらしい。だから、法律の存在の真偽が争われるという現代の裁判では信じられないことが、訴訟古文書として残っている(勿論、国際裁判の場合には、現代でもそういうことが起きるが・・)。
 中世では、情報が囲い込まれ、それが権威と権力の源泉であった訳だし、そもそも一般人は、そういう「情報」があるということ自体を知らなかったし、仮に開示される場合にも、それは、特別な時に特別に開示されるのが当然という時代だったのだろう。

 それが、大きく転換したのが、江戸時代。さっきの逸話は、その象徴。「法令を町方に印刷物で配布」という情報伝達のイノベーションも、イノベーションの常で、今では当たり前のことだが、当時としては画期的だったのだろう。そういう情報大「公開」の時代であったから、「慶安の触書」も一気に定着したのだろう。
 「慶安の触書」の存在というのは、メディアの転換点における、珍奇な事象として、とても興味深いものだ。
  

不動産担保に依存しない信用創造の確保のためには

 ここの続き。

 不動産担保による融資、特に事業用資金の貸出を不動産担保に依存して行われる金融機関の貸出行動は、個別の金融機関の経営行動としての正当性も低くなっているが、不動産バブルに繋がりやすいという観点から、マクロの政策的視点からも正当化されなくなっていると言い得よう。
 では、不動産担保に依存せずに事業用資金に対する金融機関(特に預金取扱金融機関)の資金供給を増加させる制度的基盤をどこに求めれば良いのであろうか?
 バブル期以前から金融機関の貸出姿勢については、「事業性評価スキルのアップをと」、さんざん言われてきているが、事業評価のみによって行う「プロジェクト志向・指向」の融資が非常にうまく回っており、社会の隅々にまで十分な信用を供給する程に浸透していると分析する者はあるまい。ベンチャー融資などについても、散々喧伝された割には、結局ベンチャーとは確率的にレアなものでしかなく、マクロの意味ので資金循環の原動力、いわば吸引ポンプとしては機能してないし、機能させるようにることは定義により不可能。
 安定した資金循環を担うべき預金取扱金融機関としては、「安定した」個人の不動産取得に依存したビジネス・モデルを、日本のみならずアメリカでさえとり続けたというのが実際のところ。

 では、アメリカはともかく、この日本で、不動産担保に依存しない事業用資金の循環を十分に回らせるためには、どうすれば良いのであろうか。ベンチャーの育成などというものは、到底マクロの政策手法としては期待できるものではない。余りに低確率でしか、この回路による信用創造回路は有効に機能しないので、政策効果を見通すことができないし、あまりに投資効率(財政投入効率)が悪い。

 事業としての採算性が見通せるための条件の一つは、当該事業に対する需要が確実であり、かつ、相当の規模あると思われることである。一般的には、「それが分かれば困らない」ということなのだが、社会福祉分野(含む、義務・基盤教育)については、潜在的に需要が確実かつ相当規模あることは明らか。
 その潜在需要が所得配分の不全により抑制されているだけであり、倫理的・政治的に公的ファイナンスを使って潜在的に存在する需要を顕在化させることが可能である。
 つまり、この分野の事業報酬及び労働報酬を確保すれば、関係事業所は、大儲けはできないであろうが、債務返済の計算をすることが可能となる。そのためには、目下の介護報酬や医療の点数制度のように、1~3年で報酬単価をころころ変えるのではなく、少なくともマクロの財政投入の推移について、10年位のコミットを行うべきであろう。勿論、これは選挙によって変えられてしまう面があるのは確かなのだが。こうすれば、当該分野における事業に対す融資は無担保でも回るはず。

 一見この仕組みは、事業融資に対して公的保証をつけているだけとも評価することもできるかもしれないが、金融(機関)対策としての公的保証制度では、結局、対象業種の特定のない「薄蒔き」になるので、投入する資源量比での効果が効率的とならない。

 それ故、社会的需要を確実に満たすという面での政策効果が高く、かつ、信用創造の充実を図る上でも、(バウチャー的性格を持たせた:この点について別で論じている)社会保障/福祉事業の充実、すなわち財政投入によって、当該分野に対する信用創造を拡大することが得策であろう。
 そのような社会事業への資金循環に適合的な金融機関、例えばNPOファイナンス、ソーシャル・レンディング、マイクロ・ファイナンスなどのルーリングを発想することが重要なんだろう。

 昨今は、平成の徳政令である「亀井モラトリアム」もあり、また多重債務者対策としての貸金業法の改正により、NPOで執り行われてきた生活密着型貸金ビジネスが苦境に立たされていたりする。
 資本というか、信用貨幣は、国家権力の力によって、その量をコントロールすることが可能。目下の日本は、明治期から戦後の高度成長期とは異なり(国際収支の天井の消滅)、国家権力外の決済・交換手段を、資本財導入のために必要としていないのだから、資本/信用貨幣の増加コントロールの余力は大きい。
 つまるところ、適切な金融=財政政策(このワーディングの意味はこちら参照)によって、資本/信用貨幣を増加させるとともに、市民経済各層に社会厚生を高めるに目詰まりなく配分する機構・機序を、既存の金融機関のイメージに囚われずに、構想する力が求められている。

2009/10/21

銀行にとっての不動産担保融資のリスク

渡部和孝「ダブル・クラッシュ」日本経済新聞出版社 P110

2.銀行にとっての不動産担保融資のリスク

 以下では、次の2つの疑問に答えることを目的とする。第一に、不動産担保融資が銀行にとってなぜ不良債権になる確率の高いハイリスクの融資なのかという疑問である。第二に、不動産担保融資がハイリスクであるにもかかわらず、なぜ銀行は、洋の東西、時期を問わず、不動産担保融資に系傾倒するのかという疑問である。

  後者の疑問、銀行が不動産担保融資になぜ走るのかという点こそが重要だ。
 とどのつまりは、現在のビジネスモデルで事業を行う限り、ハイリスクでない貸出対象の事業体に比して、預金取扱金融機関の数が過剰だということであろう。だから、ハイリスクでない事業体、それは「堅気の商売」とは限らないが、への融資ではなくて、安易に不動産担保融資、そして不動産業への融資に走らざるを得ないということなのだろう。
 
 金融機関の事業の健全性に政策的関心が向くのは、個々の金融機関の健全性それ自体が問題なのではなくて、資金循環の効率性を維持しつつ、その量的拡大を志向するからだ。 
 とすると、金融機関の事業体としの健全性、例えば自己資本比率の維持のための規制フレームを独立して考えるのは、資金循環における貸し手と借り手の相互作用に配慮しない面があることを否定できまい。

 資金循環上、資金が不動産担保融資に追い込まれないで、社会的に(切実な)ニーズに応える事業体のようなローリスク融資対象に流れるようになる貸し手と借り手のマッチング・メカニズム、そして社会的ニーズを担う事業の拡大につながるような財政支出構造への転換や組織法制の有り様といったものまで、併せて検討することが必要ではないのか。

 以下、続く。

日本の政治はTDLに学べるか

僕がTDLで働いているいた時に一番スゴイと思ったこと

 僕がTDLで働いているいた時に1番スゴイと思ったのは、アルバイトが新しいサービスや既存サービスの改善策を提案してそれがどういうプロセスで実際に現場に反映されるか、全てロードマップとして提供されていて、それを自由に利用することが可能になっていた点。

 何が言いたいかというと、これは政治家とかも良く言うんだが、皆さんのお話聞かせてください!アイディアをください!と言っても、話の通り道とその案内図が無ければ、永久に反映される事は無いと言うことだ。あー、スッキリした。

 憲法上請願権もあるし、そのための請願法ってのもあるけど、これはまあなんの実効性もないというのが、憲法学説上の通説。だから、選挙による選択という方法でしか、日本国民はフォーマルには、政策判断を開示することができない。

 だけど、政策パッケージの選択でしかない。だから、たまたま政治家の耳目を引いたり、官僚機構に恒常的なパイプがないと、個別の政策アイディアを政策検討プロセスに乗せることができない。非常に理不尽なシステムになっている。

 だから、政策実現のロードマップ(それは自動的に採用するという意味ではない)によって、どこに、どういう資格(一定数以上の賛成とか、その賛意を示す人に資格制限を設けるとか・・・)であれば、政策提案ができるのかを、明確にするというのは、民主的立憲主義という思想からして、非常に有効かも。

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