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2009年2月1日 - 2009年2月7日

2009/02/05

単一の雇用主に頼らない労働者になりたい

東芝:工場正社員の「副業」容認へ 富士通子会社すでに(毎日新聞 2009年2月5日) http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20090205-00000011-mai-bus_all

 東芝は、半導体や中小型液晶パネルの工場で働く正社員1万6700人を対象に、一時帰休を実施する2~3月の期間中、アルバイトなどの副業を解禁する検討に入った。減産に伴う勤務時間短縮で減額した賃金を穴埋めできるようにする。富士通の半導体子会社、富士通マイクロエレクトロニクス(FME)も国内3工場の正社員計約5000人の副業を解禁しており、賃下げが長期化すれば副業容認の動きが広がる可能性もある。
 東芝の副業解禁の対象は、半導体工場の約1万3700人と液晶工場の約3000人。就業規則は副業を禁じているが、通常業務に支障を来さない範囲で認めることにした。FMEは勤務時間短縮で賃金を大幅減額する3月末まで認める。
 一方、三菱自動車の水島製作所(岡山県倉敷市)も正社員約3000人の副業を独自に解禁し、1月から40人がアルバイトを始めた。ただ三菱自本社は「事後的に知った。就業規則に反しており、40人以外の新たな副業は認められない」としている。


 今朝の報道を見ると,企業が「副業」を社員に勧奨し始めているそうだ。ただし、あくまで臨時的 特例的なものとして。
 企業、雇用主は、副業を「一般的には」就業規則で禁止したり、雇用主(管理側)による個別承認制にしていることが多い。さらに、この規則に反した場合には、懲戒解雇の対象とされることも多いらしい。

 労働法の世界では、この副業禁止ルールは、「兼職・兼業の規制」と称され、菅野「労働法 第8版」398頁以下では、

 裁判例は、このような兼職(二重就職)許可制の違反については、会社職場秩序に影響せず、かつ会社に対する労務の提供に格別の支障を生じせしめない程度・態様の二重就職は禁止に違反とはいえないとするとともに、そのような影響・支障のあるものは禁止に違反し、懲戒処分の対象となると解している。

二重就職も基本的には使用者の労働契約上の権限の及びえない労働者の私生活における行為であるので、その許可制の規定を上記のように限定解釈することは正当である。

 このように兼職規制というのは、労働法学的には、その効力が「限定的に」解釈されるようであるが、「会社秩序への影響」「労務の提供に格別の支障」といった不都合は、探せば見つかるわけで、こういった要件では、極端に人格を制限するようなものでなければ、結局、兼職・兼業規制を就業規則上で定めることは合法になってしまう。これでは、管理側の都合による,囲い込みでしかない。
 特に、「労務の提供に格別の支障」という要件で、労働者の健康への配慮もしているように見受けられるが、これった規制によるマッチポンプではないか。アナロジーでいえば、人を閉じ込めることは許容しておきながら、その閉じ込められた先の空間の快適さを規制しているように見える。こういう「囲い込み」の有り様が、フーコー流の生政治の有り様だと言ってしまえば、それまでだが、だからと言って、それを見直すことが原理的に不可能ということもでもない。

 以前のエントリでは、こんな風に書いておいた。

・恒久対策として、働き方の多様性を如何にして確保するか。
→正規雇用者の残業率はつい最近まで恒常的に高止まり。そのためワークライフバランス論浮上。同時に、長期労働の緩和という視点も込めて、ワークシェアの議論も浮上。
→日本の硬直的、組織間没的な正規雇用者の労働条件は、結果的に辺縁労働力との二極分化を招き、失職者、ワーキングプアと、これらの存在によって脅される長時間労働者とを生み出している
→その本質的な要因は、経営側の裁量を広く認める人事権(就業規則及び処遇処分)と解雇権濫用法理による正規労働者の囲い込みにあり、この2つの制度はコインの裏表
→解消方策としては、
     ①就業規則の拘束性の緩和、特に兼職制限の原則的禁止
      (労働者にとって不利なものだけを無効とする片面的強行規定化)、
     ②パートタイム労働者に対する社会保障参加イコールフィッティングの提供、
     ③生活支援サービス等他の企業での労働参加についての分離課税と累進強化、
     ④年金制度、退職所得課税における長期雇用優遇の見直し、
     ⑤残業割増率著増、法人課税における外形標準課税の強化など労働者を
      長時間働かせることに対するディスインセンティブの付与
→大事なことは、複線的な職業人生を日本人が過ごせるようにすること


 さっきの兼職・兼業規制に関する裁判例による「限定解釈」についても、こういう定型的な解釈は本当に労働者側の私生活上の「兼職権」確保に寄与しているのだろうか。勿論、この点は、合法性を基礎づける事実、つまり「会社秩序への悪影響がある」兼職であること、「労務の提供に格別の支障を及ぼす」兼業であることの立証配分がどちらにあるかによって大きく異なる。
 とすれば、要件自体は変更しないとしても、単なる限定解釈ではなくて、実定法で、兼職・兼業規制については、原則違法性の推定をし、その規制の必要性(「会社秩序への影響」その職場における労働の特殊性など)と処分の合理性(「労務提供への支障」=その兼職が具体的に弊害を生んだこと)の立証責任について、規則の制定者・処分者=雇用主に負わせるということが必要だと思う。

 この兼職ルールの問題について、昨今話題のワークシェアの議論に、矮小化してはいけないと思う。また、ここ最近の企業の対応のように、臨時特例的な措置ではなく、今後の日本における労働のあり方として考えるべきだと思う。
 そもそも、兼業、副業を持って、一つの雇用主だけに依存しない生活基盤が常にあれば,長時間労働や過労死などという人格的破壊を招き、貴重な労働資源を摩耗に参加しないというパスが、個々の労働者に開ける。また、労働者からして、転職探索のチャンスを実質的確保することも進むだろう(この点、就業中の転職探索中の失業給付につき、部分給付を認めるような制度改正が必要とは思うが・・・)。また,幼児保育、学童養育や障害者介護、高齢者介護などの生活支援サービスに、有償無償のパートタイムという形で、参加できるようになることが期待されたりもする。

 修行規則で、兼職禁止などのルールを定め、そのルール違反による不利益処分をさせないような法的整備は、今日の「労働クライシス」の直接的処方箋にはならない。けれども、今回の事態をきっかけとして、法整備を進めて、臨時的ではなくて、不可逆的に、日本人が複線的な職業人生を生きることができるような仕組みに変えたいよな。職業人生を、一つの組織、同じ時間帯,同じように働くという不気味さを感じようよ。

2009/02/01

賦課方式と積立方式は,何が違うのか?

目前に迫る悪夢のような未来を避ける唯一の手段は、年金、医療、介護の全てにわたる積立方式化です。これは、直ちに負担引き上げを迫る選択肢ですが、それが政治的に難しいのであれば、給付減をあわせて、国民が飲みやすい現実的な選択肢を作り出すことが可能です。

学習院大学・鈴木亘ブログ(社会保障改革の経済学)


社会保障の財源論,典型的には,年金の財源論について,現在の修正賦課方式から,(修正)積立方式に転換すべきだという議論がある。
しかし,積立方式の場合,その積み立てられている資産が,内国居住者向けの金融資産で運用されている(多くは国債ということだろうが)のであれば,それって賦課方式と何が違うのだろうか。
年金給付というのは,要すれば,年々の国民総生産から一定のルールで配分されたものでしかないから,年金の財政ルールとは,所詮現在の総生産配分に対する権利を,「何に」基づいて算定するかというルールでしかない。

とすれば,現在の生産活動に寄与するかどうかは,現在働くかどうかの問題であり,過去に積み立てたから,現在の配分を受けられるって,なんで正当化されるのだろう。

世代重複モデルの発想からすれば,貨幣や金融資産の拠出とは,自分の次世代から資源の割り当てを受けるための切符を現在手に入れるためのコストだけど,その切符の価値は,その切符を次世代がどう評価するかってことに依存する。ある意味,貨幣や金融資産を媒介とする世代間移転は,ババ抜きってこと。

積み立てたこと自体によって,実体経済の生産性があがるといった効果がないのであれば,賦課方式と積立方式って,現在の一定の生産を分配するという意味では何の違いもないのでないか。
勿論,制度参加者のインセンティブ構造が変わるから,現在の賦課方式が政治コストが高い,つまり一見強制性が強く受け取られがちではあるが,積立方式だって,「昨日たくさん働いたから,今日は働かないけど,今日の分の分け前をたくさんよこせ」っていわれているだけだから,今日働いているいる人にとっては,そんなに納得感が強いとは思えない(これって,現在の高齢者が戦後がんばったから,今の日本があるという主張と同じでは)。

唯一の例外は,年金積立金が,非居住者に対する金融資産である場合。この場合,非居住者の労働成果によって,現在の居住者たる高齢者への成果配分がなされるから,実体経済的に財・サービスが「輸入」されることになるので,積立方式であれば,現在の居住者の労働成果を「収奪」することにはならない。
しかし,年金資金,つまり超長期に安定運用されなければならない資産を,公的機関による海外運用に任せるって,とてもリスク・リターンの整合性を保てないのでは。

いすれにせよ,鈴木氏の自著の「要約」に触発されているだけなので,きちんと読んで改めて考えてみたい。

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