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2009年2月15日 - 2009年2月21日

2009/02/21

西川真規子「ケアワーク」

 西川真規子「ケアワーク」の「第4章 有償ケーアワークを専門化する-スキルの拡充と人材育成」から,抜き書き。


 本章の分析結果から、ケアワークの専門的知識は、公式な教育訓練による演繹的学習や目標志向的なフォーマルな人材育成制度、あるいは介護職の専門職としての自律性を前提にしたインフォーマルな制度よりは、その中間であるセミフォーマルな反芻学習を中心とした内省の促進と共同的な対話を通じた参加型学習によって効果的に伸びていく傾向が見出された。つまり、ケアワーク従事者の専門性を向上させるには、「上司-部下」のような垂直関係でも、完全な水平関係でもなく、これらの中間型の「先輩-後輩」型関係が望ましいということになる。これは、いうまでももなく、これまで家庭や地域で実践されてきたケアワークに共通する特徴である。
 本章で議論してきたように、現場での実践に表出される知識がケアワークの主な知識形態だとすると、実践現場での経験に専門的視点から意味づけを行い、また適切なケアワークの実践に必要なコンテクストを現場で利用者とともに構築し、そのノウハウを「後輩」に教示できる「先輩」の役割は特に重要となる。ケアワークの専門的知識を高めるには、経験を積んだベテランを積極的に輩出し、現場での後輩の反芻学習を支援させ、さらには専門職として望ましい行動を強化させていく役割を担わせていくべきである。


 高齢者介護にとどまらず,幼児保育,学童保育,障害者支援,看護付き添いなどのケアワークとされる就労分野は,「感情労働」と呼ばれる。こういった分野のスキルを涵養するためには,現場における(学習的な)実践が不可欠だということ。
 よって,目下の失業問題とケアの現場崩壊問題とを解消するためには,ケア実践の場を大きくし,その実践の場でスキル養成を行うことができるだけの「余裕」「ため」が必要。 そのためにも,こういったケア分野に対する,(恒常的な)公的資金分配の拡張が不可欠なのだ。ここの分野に,資金を投入して,ケア事業所の経営に余裕が生まれれば,この分野における安定雇用も大きく広がる。
 人手を遊休させておく=失業者を放置しておく余裕は,今の二本にはない。人的資源を生活支援分野へと転換・移動させるために,貨幣が必要なら,そんなものはいくらでも輪転機を回して刷れば良いに過ぎない。

2009/02/19

駒村康平「大貧困社会」

 駒村康平「大貧困社会」の「第5章 貧困社会への処方箋」から、抜き書き。


ワーキングプアへの処方箋

P173

能力とキャリアラダー

 現在日本で不足し、公的に支援すべき専門的な仕事とは何か。それは、~介護職、看護職、保育職などの「個人」に対して「社会的な」サービスを提供する職業である。非正規労働からの脱却を望む人に対して公的支援をするならば、こうした資格を取得できるように支援すべきだろう。もちろんこれらの仕事は、賃金は安く、きつく、危険だからワーキングプアの救済にならないという意見もあろう。もちろん介護保険の「介護報酬」や医療保険の「診療報酬」、保育所予算を大幅に引き上げ、介護職・看護職・保育職の賃金・労働条件を大幅に改善させるのが前提である。そして、そのための財政は広く国民が負担すべきである。これらの専門的な知識に基づいて提供される一方で、「感情労働」とも呼ばれるように働いている人がどのくらい気持ちよく働けるかによって、サービスの質が大きく左右される。少子高齢化のなかで、我々日本人が、日本人労働者による質の高いサービスを受けたいのならば、当然、そうした費用を負担すべきである。


ワーキングプアへの処方箋

P176

社会手当の充実と生活保護制度の改革

  最後のセーフティネットである「生活保護」の運用についても、もう一度検討する必要がある。(中略)
 そこで、①保有を認める資産の範囲を拡大し、生活保護を受けてから最初の半年から一年程度は、資産制限を緩和する、②生活保護を受けながら働いて収入がある場合、一定期間については、生活保護の金額を削らない、③生活保護制度を包括的な生活支援制度に組み替え、就労支援の強化や普通の日常生活、社会生活を送ることができるようなサポートを充実させる、といった必要があるだろう。


貧困世帯の子どもへの処方箋

P180

 日本では、保育所の待機児童に問題が注目され、保育所民営化や幼保一元化の是非ばかりが議論される傾向にあるが、そうではなく、もっと対局から子どもと親・家族を包括して支援する仕組みを考える必要がある。(中略)
 日本の家族・子ども向けの公的支援は、先進国中、最低水準である。たとえば、日本では、小学生低学年に対する学童保育(放課後クラブ)の利用者は79.5万人いるが、それに対する公的補助はわずかに200億円であり、その多くは市町村・都道府県・企業負担(企業が厚生年金の保険料と一緒に政府に払っている児童手当拠出金)でまかなっているため、国の負担は実質的にゼロである。利用できない子どもも多く、スタッフの配置もきわめて脆弱である。子育て・家族支援を拡充するためには、2兆円以上の公的資金の投入は絶対に必要であろう。


 逐一、強く同意。
 こういう政策志向を、政治として展開できるようにするためには、僕は何ができるのだろう。次の総選挙における投票行動の前に、こういった政策を「政治的アジェンダ」にのせなければならない。

創発、自由意思、神経細胞ネットワーク

行為・創発・制度~tamuraの日々の雑感~より

 「制度Aは特定の行為Bを強制するわけではないが、それにもかかわらず、制度Aの下で行為Bは生じる(または、生じる可能性が高まる)」と言うことができるようになる・・・だろうか?この場合、制度Aと行為Bとの間に厳密な意味での因果関係は存在しない。というよりも、「因果」ではないからこそ、「創発」なのである。
 問題は、因果関係がないのに、なぜ特定の帰結が生じる(あるいは生じる可能性が高い)と言うことができるのか、ということであろう。そこを「それは創発だから」という表現だけで切り抜けることができるかというと、それは難しいような気がする。実証的なデータを持ち出すしかないのだろうか。


 ある行為の原因なる概念については、刑法学では、その行為に対してなぜ刑法的非難を負わせることができるのかという形で、侃々諤々の議論がなされてきた。その歴史的な対立点は、極めて単純化すると、非難の対象を、違法な行為を行った者の「性格」に求めるのか、「自由意思」に求めるのかという点らしい。
 勿論、現代的な刑法学では、性格や人格的傾向を非難の対象にするではなく、犯罪を行おうとした意思決定、つまり犯罪行為を回避できるのに自由意思で犯罪を行ったという点に非難の根拠を置いている。

 この「自由意思」なるものが、脳、あるいはニューロンの固まりから、いかにして生み出されるのかということは、脳科学の探求対象。
 この大問題については、『前頭葉は脳の社長さん?』では、うろ覚えなのですが確か、

 そして『意思』とは、複数の情報入力にもとづいて脳が生み出す『ただひとつの解』であるといえます。そして、この『解』は、その瞬間における『解』であって、時々刻々と変化しうるものです。

と解説している(はず)。

 これを自分風に解釈すると、

 神経細胞ネットワークの電気的・科学的状態の変化が、意識の実態であり、その変化の中の一定のものが「意思決定」と認識される状態変化を作り出す

てな感じかと。
 こういうニューローンの励起状態って、何となく「創発」っぽい感じがしてしまうのは、僕だけかな?

2009/02/18

生活支援サービスの「自立」のために

障害者自立支援法の見直しの動き。~note304*~より


 障害者が働いて自立することができるようになるには、福祉で働く人間が「自立」できるようでなければならない。
 何を言いたいのかと言うと、現実的な障害者の自立を法律が謳うのなら、障害者をケアする労働に従事する人間があわや“ワーイングプア”な条件で働いているような状況をも見直さなければいけないんじゃないか、と言うこと。
 「低賃金でもやりがいのある仕事」が、単なるやりがいの搾取という構造に回収されないように、障害者の「自立」をケアする労働者にも経済的にも、文化的にも、人間的にも「自立」することができるための「地面」となるようなように、障害者自立支援法が(続くのなら)見直されてほしい。


密着もしくは断絶している、という機密的かつアンビバレントな感覚にさらされる「ぼくら」の「自立」~ note304*~より

 低賃金でもやりがいのある仕事」が、単なるやりがいの搾取という構造に回収されないように、障害者の「自立」をケアする労働者にも経済的にも、文化的にも、人間的にも「自立」することができるための「地面」が、ぼくは、障害者現場では必要だと考えるし、それは施設の自助努力だけでなくて、制度化も含めて、だ。

 これに関して、ぼくはぼく自身の物欲的な欲望も隠さない、と言うのは、ぼくの考える「自立」は、あくまでも最低限の生活が出来るという水準じゃなくて、最低限の文化的な生活ができる、ことが最低限度の自立だと考えるから。

 読みたい本を、見たい映画を、聴きたい音楽を、着たい服を、食べたい物を、描きたい絵を、飾りたい写真を、表現したいことを、そういったことを自分の努力によって受動/能動できる生活が、自立だと捉えたい。

 自分の努力といっても完全な「自己責任」じゃない、それはアンフェアだ。

 「自己責任」である部分を引き受けられる「制度」が整っている社会であることが前提だ。

 現状は、自己責任だと自分自身が引き受けるにはあまりにもフォーマル/インフォーマルな「制度」が乏しい気がする。

 と言うか、自己責任は相手の責任が明確で初めて、引き受ける対象として自分が見えるはずでどこのだれかも分からない対象から勝手に名指されるという矛盾を抱えているのは、本来のそれじゃないだろう。


 だからこそ、そして「今ここにある経済危機」に対処するためにも、政府の資源振り分けを大きく生活支援サービスへとスウィングしないといけない。

 選挙のためになりふり構わなくなっている現政権が、近々に編成するであろう2009年度の新しい経済対策において、この財政支出構造転換を実現させないといけない。


追記

 今年の2月9日の衆議院・予算委員会審議での、枝野議員の質疑が参考になる。
http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001817120090209011.htm

2009/02/16

生活保護不正受給を掣肘するためには?

生活保護費詐取事件-連帯責任の是非~モトケンブログ~より

 たしかに、事件に全く関係のない職員もかなりいると思いますが、この事件は、市の上から下まで、変だなと思っていたのに何も言わない人間がたくさんいたから被害が拡大したものと思われます。
 それなのに、そのような職員が誰も責任を負わないということになりますと、それこそ「責任の分散化で、職員の無責任体質を強めることになる」と思います。
 「業務上生じた損害を、職員の給与で補填すること」をパターン化させないためには、本件のような事件の発生をパターン 化させないことが何より重要です。
 そしてそのためには、おかしいと気づいた人間がおかしいと声を上げ、その上司はその声を無視できない、無視すれば責任を問われる、という空気をパターン化させる必要があると思います。

 これは,北海道滝川市における生活保護不正受給(正確には,現物給付の対価を不正取得したもの)事件についてのエントリー。
 目下,派遣労働者の方の生活困窮を契機として,生活保護の仕組みに変革が求められ,入りやすく出やすい仕組みにしなければならないときに,こういう事件があると,社会のセーフティネットを再構築しようという議論に水を差すことになる。
 しかし、生活保護やセーフティネットの変革の議論を進める上では,この不正受給の問題を逃れることはできない。
 今回の事件において,不正受給者もさることながら、同じく逮捕されている「介護タクシー」の経営者の反社会性というか、違法性は非常に大きいと想う。こうい輩を掣肘にするためには,社会保障給付に対する詐欺として,より具体化された構成要件を定めることはできないだろうか。つまり単なる財産罪としてはなく,公共信用という法益侵害として

 同時に、こういっ社会保障給付の役割を担う(民間)経済主体の管理監督を含め,行政機関の行う個別の行政処分によって生じる「損害」(個々の市民だけではなく、市民の集合体としての自体や国の財政に対するものを含めて)について,個々の公務員が責任を負う体制が必要だ。その点については、先日のエントリーでも触れた。

 そして、こういった責任に見合う毅然とした対応をった場合の心身の安全の保障,つまり行政介入暴力に対する警察権を含む防護の仕組み(並びに議員及びその関係者からの介入に対する防壁の整備として、介入記録の整備と情報公開とこれらの整備を怠った者への懲罰など)も必須だろう。

 しかし、こうやっていくと,刑罰対象が限りなく広がっていくようで,怖い気もする。特に、具体的な不正受給の穴をふさぐためには、その申請プロセスにさかのぼって、刑法的規律を及ぼすことなってしまう。


井田良「変革の時代における刑事法学の在り方」

 現在の傾向は、これまで一般に承認されてきた、刑事法に関する基本原理を根底から動揺させるインパクトを伴っている。実害の生じる以前の段階にまで刑法的規制を及ぼす傾向は、個人の行動が他人に実害を及ぼすときにのみ、それに対する刑法的規制が正当化されるとする思想(侵害原理ないし危害原則)に正面から抵触する。この思想は、戦後の刑事法学において重要性を再認識され、最近に至るまで広い支持を受けており、法と倫理を分離し、純然たる価値判断の領域への刑法の介入を保障するために用いられてきたが、もはや立法上・解釈上の一元的な指針としての正確を失っているいる。刑事法的規制を合理的に限界づけるための立法上・解釈上の原則とはいかなるものであるべきかがあらためて問われざるを得ない。


 こういう現象や立法が必要なのだとは想うが、井田教授の危惧も共有してしまう。


追記

<神戸市>48億円違法支出、判決の返還請求を放棄へ

 ~弁護士落合洋司(東京弁護士会)の「日々是好日」~ より

 どういった条例改正を考えているのか、よくわからない面がありますが、確定判決により債権を有していながら、それを、合理的な理由もないのに無に帰させるような条例改正を行えば、そういった条例改正に賛成した議員を含め、刑法上の背任罪が成立する可能性もあるのではないかと思います。記事では、「現実には市長や外郭団体が返済するのは不可能」とありますが、返還を求める努力すらせずにそのような言い草をしているようでは、合理的な理由があるとは到底考えられません。

 今後の行方が注目されますが、実際に債権を無に帰させるような条例が成立した際には、関わった関係者について背任罪の刑事責任が問題になるという、前代未聞の事態もあり得るでしょう。

 いくら法的な責任関係を整備しようと言っても、これほど無責任な自治体が存在するとは驚きだ。
 これでは、自治体関係者と不正受給者がグルになってしまったら、債権放棄つうじて、丸儲けということでしょうか。本当に暗澹たる気持ちだ。

次の「補正」予算の編成に向けて,「安定財源」幻想を払拭すべきとき

自治体の百人の正職員募集に殺到 全国で2万4千人分の緊急対策

 全国の312の自治体が緊急対策として臨時職員を中心に計約2万4000人分の働き口を確保したことが14日、自治労の集計で分かった。このうち、100人超しかない自治体の正職員募集には派遣切りに遭った人たちなどが殺到。一方、短期の臨時職員には応募数が定員に満たないケースがほとんど。再び不安定な非正規労働の状態に戻るより、正規に働けるチャンスをじっくり探る傾向が強いようだ。


 残念ながら、鳴り物入りの地方交付税や各種基金による「206のモデル事業」の先行きが思いやられる報道。しかし,これは予想されたことであろう。人間は、学習するものなのだから、非正規雇用で、例えば派遣切りにあった人が、臨時雇用に嫌気がさすのは当たり前であり、予想の範囲内。
要すれば、目下の景気対策として検討された臨時雇用では、弥縫策にとどまり、所期の政策効果は発揮できないということだろう。勿論、このような状況に対して、失職者の方に「働き場のえり好みをするな」という批判の声も出てくるのであろうが、それは政策に対する批判とはなったおらず、所詮、説教でしかない。そんな説教は、近所の知り合いにだけ個人的に行うべきであって、より有効な政策を検討するときには、実証された個人の選好=職のえり好み行動を前提として政策は立案されなかければならない。

 政策の優先順位としては、今後の失職者の更なる増加を踏まえた、緊急的なセーフティネットの整備と、安定雇用を確保するための財政政策の出動ということになる。


解雇規制の見直しよりセーフティーネット構築と景気底打ちが先

>ちゃんとしたセーフティーネットができるなら、「まずはセーフティーネット」という順番のほうが私もいいと思います。しかし年金問題などを見てもわかるように、「まずはセーフティーネット」という話になると、また税金をムダ使いされ、政府を肥大させて、セーフティーネットとしては機能しないものができてくる可能性が大きいと私は考えています。またセーフティネットの議論は、税制・年金・医療保険・生活保護などの見直しと一体で考えないと意味がないと思うので(役割の重複や財源を考えても)、その意味では解雇規制の撤廃よりもはるかに大がかりな、手ごわい話になるのではないかと思います。

>そうなんですけどね。どうせ選挙前にさらに雇用問題が深刻なことになるだろうから、今こそちゃんとしたセーフティーネットの構築へ向けて提言すべき好機だと思うのです。役所に任せても難しいけれども、カッチリした議論をぶつけて動かせば意外と早いんじゃないでしょうか。

 にもあるように、総選挙が視野に入りつつ、国会が開会している期間が、まだ5ヶ月近くあるのであるから、現在開会中の国会で、セーフティネットや財政支出改革の議論は十分できる。
さらに、既に平成21年度補正予算編成の議論も出てきている。今後検討されるであろう平成21年度の補正予算では,次にような生活支援サービスへの恒常的な支出=安定雇用を確保する方向での、政策が検討されて欲しい。

・一般会計から介護保険への投入を増やし、利用者負担を抑えつつ、介護報酬を増額改定して、介護人材の賃金水準を引き上げ。

・一般会計から医療保険への投入を増やし、診療報酬について小児科や周産期医療について引き上げるほか、入院付き添い者への助成を再開。

・保育園、学童保育への補助金を大幅に増加し、保育士の賃金水準引き上げ

などなど


 こういった生活支援サービスへの支出を補正予算で大きく増加させ、予算の構造改革への先鞭をつけることが、本当に希求される。大きく予算編成を変えるべき時期であり、補正予算を公共土木事業に費消するのではなく,介護,保育,学童保育,障害者支援,医療などの公共役務事業に向けるべきなのである。
 
 ただ、こういった生活支援サービスに充当すべき財源問題は、例えば、使途限定国債の発行、そして、その国債について日銀の直接引き受けをさせればよい。これで、当面4,5年の間の制度的安定は確保できる。また、そもそも、年金だって,介護だって,医療だって,3~5年程度の期間ごとに,財政再計算に付されるのであるから,恒久財源という議論自体がナンセンス。税だって,法律論から言えば,そもそも国会はいつでも改正できるのであるし,実体面から見ても,毎年度あれほど膨大な租税則別措置法改正がなされているのであるから,法的安定性が確実に確保されている措置という観点では,恒久財源など存在しない。
 必要なであれば、景気回復期以降は、その景気回復による税収増と、人口減少国家にはあまり必要のない土木経費と科学技術振興費を削減して、社会保障中心の財政構造に変わればよい。
 そういう意味では,例の「中期プログラム」というのは,財政支出構造の改変を否定して、本当に大きい政府を志向する、増税のためのデマゴークである。目下の情勢において,増税(及び経済を萎縮させるので,増税論議自体)も全く必要ない。

また、全くの景気対策としてのリフレ政策という視点でも、「潤沢に」供給されたマネーがストック投機に回るようであれば、またも1980年代の「古典的」バブルの再来となる。だから、投機に走る者に対する規制もさることながら、運用の走狗とならざるを得ない金融機関経由のマネー供給ではなくて、生活支援サービスによる遊休労働力吸収へマネーが直接回るような、財政支出の構造的変化と国債の直接引き受けという金融的取組みとの組み合わせがベターであると想われるがどうであろうか。

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