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2009年2月22日 - 2009年2月28日

2009/02/27

岩田正美「社会的排除」

 岩田正美「社会的排除」から、注目される箇所2カ所ほど。


P17

 「参入」というのは日本では耳慣れない言葉だが、「排除」と対になった言葉であり、排除された人々の社会的なコミュニケーションやネットワークの回復に社会の側が責任をもつ、という意味だという。


P23

 したがって、関係の欠如は、同時に声やパワーの欠落でもあるともいわれるわけである。だが、たとえば通常、職場集団などでは権限が上部に集中し、下位にいくほど小さくなるので、正規就業者であっても下位の人ほどパワーは欠落している。そこで、どこまでのパワーの欠落を排除というのかは難しい。この点に関しては、たとえば職場でのパワーの欠落に対抗する労働組合などへの参加によって、自分の意思の表示を行うなど、対抗するパワーを獲得することが可能であれば、必ずしも参加の欠如とはいえないだろう。したがって、そうした声やパワーの発揮が可能であるような社会関係をほとんどもてない状況が、排除として問題にされることになる。たとえば、日本で最近問題となっている日雇い派遣で就業するような人々は、契約した日は確かに就業者として「関係者」のゲートを通り抜けることが可能であるが、彼らがくぐり抜けられるゲートはきわめて限定されていようし、また何よりも既存の労働組合には彼らは包含されにくい。


日雇い派遣だけではなく、派遣切りにあっている派遣労働者や雇い止めにあった期間労働者というのは、個別の違いはあるにしても平均としては「参入」や「参加」の機会を制限されているのだろう。彼女/彼らの「参入」「参加」を進めるためには、既存の労働組合から排除されている非正規労働者のエンパワーのための組織化が必要だ。
 もちろん、非正規労働者のための派遣企業を横断するような労働組合でなければ効果的な活動はできないだろうから、現行の労働組合制度の下ではだめ。
 重要なことは、「職場でのパワーの欠落に対抗」できるように、その労働組合に、派遣先企業との団体交渉権の付与、逆に言えば、派遣先企業への団体交渉の義務づけを行う必要があるだろう。ある程度は判例でこの権利義務は認められているが,きちんと一般化・普遍化することが大事だろう。
 ただし、この措置により、派遣労働と直接雇用のコスト差が縮むので、派遣労働から直接雇用へのシフト(代替効果)と,全体としての雇用減少(所得効果)が生じるかもしれないが、この所得効果を中和するためには、マクロ経済政策を発動するべき。労働法制をいじることでは、本質的な解消はできない。
 いずれにせよ、派遣労働法制や解雇権濫用法理(労働契約法)をいじることで、労働条件に直接介入する前に、組合法制を整備して、派遣労働者らの労使交渉の環境・条件を労働側にエンパワーすることが先だろう。そして、その結果どういう交渉結果が出てくるのかを見極めることが、平時のルールの在り方を見極める上で有効だと思う。


P144

 いずれにしても、雇用から排除されるだけでなく、再就職からの決定的な排除があるために、その長期失業は社会保険の規定を超えやすく、しかしまだ生活保護受給には早いとされる、四五歳から六四歳までの(とくに家族の支えのない単身者の)生活を誰がどう支えるか、それへの福祉国家の回答が回避されてきたことが、九〇年以降の路上ホームレスの基本問題であったといえよう。この点はホームレスだけでなく、中高年男性に集中する孤独死や自殺の背景にある共通問題だったともいえる。


 中高年男性に対する「再就職からの決定的な排除」は、日本では本当に深刻な問題だと思う。というのも、この排除を放置すれば,ホームレス化してしまうほど「排除」されている人だけではなくて、生活はしていけるが税や社会保険料の負担者ではなくて、社会保障で生きていくだけの存在となる退職後の男性が増加することに繋がるから。労働人口減少国家では,これは深刻だ。
 この「排除」の原因として、中高年男性のロールモデルの貧困さがあると思う。つまり、中高年男性像を想像すると、職人、商店主、自営専門職、企業管理職のようなマッチョなロールモデルしかないということ。

 エスピン-アンデルセンの「アンデルセン、福祉を語る」では、「男性のライフスタイルの女性化」の重要性が指摘されている。
 中高年男性のロールモデルを多様化させ、マッチョではない多様なロールモデルを、中高年男性(いやそれだけではなくて,男性全員)の自己認識としてだけではなく、社会全体で共有できるようにならなければならない。そして,中高年男性も様々な職業にチャレンジする上での心理的障害を壊さないと、中高年男性の「再就職からの排除」が解消されることはないだろう。

2009/02/24

予算委員会における「生活支援サービス」についての審議

 2月9日の衆議院での予算審議において、興味深い議論があったので、長くなりますが。


 平成21年2月9日の衆議院・予算委員会の枝野議員の質疑より
  http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001817120090209011.htm


○枝野委員
 まず、大体、今、経済の全体の構造としてどうするのかという話をしているのに、今のような細かい項目を厚生労働大臣がお答えになってもしようがないですよ。全体の話として、子育て支援とか、あるいはふえていく高齢者の皆さんに対するサービスとか、先ほど実は財務大臣が私のお尋ねにはお答えをいただいていないんです。

 これからこの国の雇用は厳しくなっていく。厳しくなっていく中で、しかも、従来のように輸出関連産業の製造業が私は日本の経済の中心にこれからもなってもらわなきゃいけないと思います。しかしながら、雇用の受け皿の中心として従来のような役割を担い続けることができるのかといえば、これは残念ながら、今回の事態で、あるいはこの十年ぐらいの事態の間で、私ははっきりしているというふうに思います。

 なぜならば、圧倒的な人件費コストの差があるからです。中国や東南アジアの国々、新興諸国などは、私たちの国と比べて人件費十分の一とか二十分の一とかと言われていますね。現地でもつくれるようなもの、規格大量生産品であったら、どんなに国内努力をしたって、賃金に十倍の差があったら国内の努力ではどうにもなりません。そういう意味では、大量の雇用を必要とする規格大量生産分野はどんどんどんどん新興諸国にとられていく、これは避けられない、少なくとも自由主義経済をやっている限りは。

 日本の国内においては、そうした中で、でも、付加価値の高い、競争力の高い最先端分野について常に最先端を切り開き続けていくことによって、日本の物づくりというものは日本の経済の中心になってもらわなければならない。

 でも、今までのように、特に日本がアメリカに対して人件費が安いということで高度経済成長してきた昭和三十年代や四十年代のように、大量の雇用の場としての、受け皿としての物づくりということでは、これからはとても困難だ。これからの時代、雇用の受け皿になり得るのは、まさにふえていくのは、お年寄りの皆さん、介護や医療、間違いなく人手がたくさん必要になるんです。そして、少子化に少しでもブレーキをかけたい、子育て支援のサービスを供給すれば供給するほど、当分はそれに応じて需要が掘り起こされる。つまり、お子さんの数がふえることが期待できるんですよ。

 この二つの分野を雇用の受け皿として成長させることがなければ日本の雇用を守っていくことはできない、私はそう思います。違いますか。


○枝野委員
 例えば介護や、例えば保育や、もちろん、介護施設をつくるとかあるいは保育所をつくるという初期インフラは要るかもしれません。でも、初期インフラの話も、実は、これから建物は日本は余ってくるんです、全体としての建物数は。人口が減っていくんですから。それは、改修、改良で幾らでも応用できる余地はたくさんあります。

 そうすると、基本的に、例えば介護のサービスを充実して提供するために中心になって必要なのは人件費です。まさに給与として支払われる、雇用の場として生まれる部分です。保育についてもそうです。例えば医療だって、もちろんでっかい病院の建物も必要だというところがあるかもしれませんが、医師や看護師の人件費です。つまり、出ていった公的資金は給与という形で大部分が国民の皆さんの懐に入って、それはその人たちの可処分所得をふやすことにつながって、それが消費につながっていくんです。

 ところが、もちろん土地の取得費だって日本の国民の皆さんの懐に入るわけですが、たまたま土地を持っていたという人にどんと入るだけで、それが使われる保証はありません。

 それから、さらに言えば、建築とか土木とかというところの資材のかなりの部分は、これは実は、時間があれば国土交通省に調べていただいて、きょうお答えをいただこうと思ったんですが、週末からちょっと時間がなかったので出てこないようなので、きょうはあきらめますけれども、恐らく、公共事業予算で使われている中のかなりのパーセンテージを輸入資材に頼っている部分もあるでしょう。これは、公共事業費として、例えば景気対策として支出をしても、それは外国に出ていってしまうお金です。国内の消費につながっていくような、国内で循環をしていくお金にはなっていきません。

 これだけの少子高齢社会で、必要なニーズが、高齢化対応と少子化対応のサービス、そこの人件費というところにお金を注ぐ需要がこんなに一方ではあるんです。そこに出たお金は国内で循環をするんです。

 さて一方で、これはこの間、野田先生だったでしょうか、自民党の議論の中でも、高齢化の中で、高齢化に対応して予算がどんどん必要になっていく、だから消費税が必要だみたいな話になっていましたが、これから人口は減っていくんですね、この国は。日本列島を走る自動車の台数は減っていくんですよ。日本国民の皆さんが消費する水道の水の量は減っていくんですよ。日本の国内に建っている建物は余っていくんですよ。そういった部分に今までと同じ発想でお金を使い続けることの効果というのは、圧倒的に少なくなっているんじゃないですか。

 例えば、私も、団塊世代や団塊ジュニアではありません、その合間ではありますけれども、小学校の教室が足りなくて校庭にプレハブ校舎を建てている、こういう世代ですよ。プレハブ校舎での授業を小学校のとき受けましたよ。でも、これから、少なくとも、少子化がこれだけ進んでいて、学校の教室が足りないという話はないです、耐震強化はしなきゃいけませんけれども。この人たちが大人になっていったら、どんどんその人たちが必要としている施設が減っていくわけですよ、従来に比べて。

 新しい道路は全く要らないとは言いませんよ。だけれども、今までと同じペースで道路工事する必要なんか全然ない。今までと同じペースでダムをつくる必要なんか全然ない。今までと同じペースで建物をつくる必要なんか全然ない。その分の金をそっくり、例えば介護のサービスや保育のサービスという、少子高齢社会の中でふやさなきゃならないサービス関連の人件費に回せば、直接雇用がふえるんですよ。そして、この人たちは、自分たちでもらったお金を国内で消費するんですよ。このことによって、高齢者の皆さんは、安心が高まるほど貯蓄を切り崩してくれる可能性が高まるんですよ。

 こういう大きな時代の転換に合わせて税金の使い方の転換をするというのが、百年に一度の経済危機だったらやらなきゃならないことじゃないんですか。それが全くそういった方向性が見えない、みんな横並びだということを指摘しているんです。


 大臣というか政府側の答には見るべきものはないので、ご関心の向きは上記のURLから直接議事録をお読みください。

 それにつけても、こういう議論がやっと国会の場で始まりました。是非、この議論が続くことを期待します。

何度も引用させてもらっている

「低賃金でもやりがいのある仕事」が、単なるやりがいの搾取という構造に回収されない


ようにするためにも、心の底から、こういう議論が国会の場で継続され、そしてそれが予算措置の形で実現することを期待。
 もちろんのその予算措置では、障害者支援サービスに、この記事にあるような200億、5%などという小規模ではなく、ケアサービスを提供する人々の自立と自尊を確保できる程の大胆な引き上げでなければならない。

 ただし「lessorの日記」での、この指摘にも注意した上で。

[障害者支援]689単位!?~lessorの日記~より

 ただ国事業部分の金額を上げるだけのことをするなら、そこで拡大する矛盾(というか不均衡)があるということを、せめてここを読みに来てくださる方には知っておいてほしい。真っ当なことと同時に、大変奇妙なことも起きている。どこもが誰もが手放しで喜ぶ話ではないのである。

2009/02/23

またまたタイミングのづれた法律の見直し論議

派遣切り賠償 法明記へ 「責任」さらに強化 政府・与党方針

拡大する派遣労働者の契約の中途解除に歯止めをかけるため、政府・与党は、派遣先企業が事前の予告なしに中途解除した場合、派遣元や労働者に対し、損害賠償を支払うことを労働者派遣法に明記する方向で検討に入った。損害賠償に関しては、厚生労働省が定めた派遣先が講ずる指針に盛り込まれているが、順守されないケースが増えているとみられ、法律に格上げし、派遣先の一方的な契約解除に歯止めをかける。


 以前のエントリー「タイミングのずれた派遣法制見直し」での嘆息と同じため息が出てくる。
 結局、緊急時に講じるべき措置と平時における「あるべき姿」との混濁がある。

企業間の労働者派遣契約は、単なる企業間の取引契約であり、派遣法上も実体法上の特別な規律、つまり契約の内容を「拘束」する任意規定や強行規定は存在しない(派遣先企業が派遣労働者を労働基準法や労働安全衛生法に抵触するような労働者の扱いをした場合の解除権の設定等があるだけ)、いわば民法典がそのまま適用される契約であった。
 だから、契約の一方的解除に伴って、損害賠償が他方当事者に発生するのは当たり前であったはず。この点、上記の記事の中で、「法律に格上げされれば、派遣雇用に対する派遣先の責任は重くなり、「派遣切り」抑制につながる期待は大きい。」としているが、損害賠償の権利義務関係自体は、既に法的効力を有している。

 目下の情勢において、派遣労働契約を契約期間満了前に解除しても、派遣元企業に何の賠償もされないのは、
 ・そもそも、労働者派遣契約において、損害賠償が派遣元企業によって放棄されている
 ・契約上損害賠償の責任が規定されている、あるいは少なくともその権利が放棄されていないが、派遣元企業が取引関係を円満に維持する観点から、賠償請求をしない(あるいは個別に放棄する)
から。

 まあ、「損害賠償を支払うことを労働者派遣法に明記する」というのは、損害賠償の放棄を禁じるという趣旨の強行規定を作るということなのだろう。例えば、消費者契約法では、

 

第八条 次に掲げる消費者契約の条項は、無効とする。
 一 事業者の債務不履行により消費者に生じた損害を賠償する責任の全部を免除する条項

として、債務不履行(契約の中途解除も債務不履行である)に起因する賠償責任免除=放棄の条項を無効としている(逆に、消費者の損害賠償責任を免除する条項は有効)。

 しかし、損害賠償は派遣元企業が派遣先企業に請求しなければ、そもそも、この国では実現しない。派遣事業者が派遣先企業と取引関係を重視すれば、実際には行使されることはないであろう。裁判費用もかかるし。
 さらに、立証(要件事実)上の問題として、派遣契約を中途解除した場合に積極的に立証しなkればならない「損害」とは何なのかが不明。例えば、派遣事業者にその契約で派遣する労働者の雇用義務が残置し、そのための給与等が派遣事業者の「損害」となるのだろうか。しかし、実際には、派遣事業者は、労働者を解雇しているのだから、この意味ので「損害」は発生していない。
 また、一般的には、債務不履行による損害賠償は履行利益の補償だから、その履行利益分、いわば労働者のピンハネ分が損害として認定されることになるというのだろうか。
 
 より深刻な問題は、このような強行規定を作ると、中途解約の損害賠償のリスクから、労働者派遣契約がさらに細分化されだろうということだ。そうすれば、仮に立証上の負担を派遣事業者がクリアしても、損害自体の絶対額を小さくすることができるから。

 よって、労働者派遣契約という企業間契約の中途解除に関する損害賠償を強行規定化しても、ほとんと意味がないだろう、つまり平時の法律としても殆ど意味がない。

緊急対策としても、ほとんど意味がなかろう。特に、強行規定化をどのタイミングで行うかによると言え、現在成立している派遣契約には、適用されないだろう。とすれば、まさに現在中途で失職してしまった人々、近々に失職する人には、適用されないということだ。それでは、この法律改正は、誰を救おうというのだろうか。

 全くタイミングを外したおかしな議論だ。


追記

  大竹教授のブログでは、上の記事とはちがう文脈ではあるが、次のように論じられている。


有期労働契約研究会~大竹文雄のブログ~より

 もし、これが有期雇用の雇い止め規制を強化するものであれば、次に日本の景気が回復しても雇用の回復はずいぶん遅くなってしまうだろう。日本で非正規雇用が増えてきた理由についての基本的理解が間違っているのではないか。正規雇用の雇用保障が厳しいからこそ、有期雇用契約が増えてきたのだ。有期雇用契約の雇い止めが厳しくなれば、その上限の前で雇用契約が終了することが増えてくるだけだろう。結局、有期雇用には非常に短期間の雇用しかなくなってしまい、結果的に不安定雇用が増えるだけになるはずだ。

  全く指摘の通りである。どうも、この有期雇用契約に対する本質的「白眼視」が、法制度の議論を不適切な方向に推し進めているように思えてならない。
 僕自身は、雇い主を主体的に選択できるような複数勤務の有期雇用といいうのが、一つの理念型だと思っているので、雇い止め云々という形で、強制的に安定雇用を捻出しようという発想にはついて行けない。
 「安定」雇用を作り出すのは、労働需要の喚起であり、産業政策誘導とマクロ経済政策の役目だと思う。

小松裕「『いのち』と帝国日本 日本の歴史14」

小松裕「『いのち』と帝国日本 日本の歴史14」


P352

 戦争による犠牲者も、公害やコレラ・結核などの感染症による犠牲者も、帝国日本に抗して斃れていった人びとも、すべては田中正造が指摘した「悲命の死者」にほかならない。いま私たちに必要なのは、アジアの人々を含め、帝国日本の発展の陰に犠牲になった無数の「非命の死者」のいのちの叫びに耳を傾けることではないだろうか。
 私たちに、現在まで二万五〇〇〇人近い人びとがハンセン病療養所のなかで亡くなっている事実が見えているだろうか。薬害C型肝炎にみられるように、薬害問題も跡を絶たない。また、一九八八年以来、この国では一〇年連続で三万人以上の自死者を出している。人口三万人の市がまるごと消えつづけていることへの鈍感さは、いまも変わっていない。
 これ以上「非命の死者」を生み出さないためにも、私たちは、あらためて歴史に学ぶ必要があるだろう。

 これから、日本は、人口減少国家になる。
 これは、現在急激に出生率が上がっても、当面50年程度は変わらない人口学的事実だ(これらから、寿命を迎えるコーホートの層の人口が多いので、出産増では人口減少をカバーできないそうだ)。
 とすれば、おのずと「人の命」を大事にする政策や試みが再発見されるはずであろが、そうはなっていない。
 さらに、景気後退期には、もともと貧困レベルすれすれで、「溜め」のない家計にある人々が生存線の下にたたき落とされようとしている。派遣村のように。

 人の命を支えることが、慫慂され、評価されるような政策への移行がなされなければならない。なぜ、たかが通貨の費消を節約するやつがほめられるのか、なぜ、その通貨を身内に回すやつがほめられるのか。
 人の命を大事にするために、人の命をケアする人に報酬を、そして、そのために必要なら財政支出をいかようにでも工夫されるべき。
 日本は、戦前のような欧米列強に匹敵するための経済成長と戦争のために、国民・市民を根こそぎ動員しなければならないような状態にはない(そもそも、経済成長や戦争遂行も結果的に成功した訳ではない)。
 人の命を大事にする「支援型国家」に変わらなければならない。


追記

 以前のエントリーで引用させてもらった、次の言葉、


 「低賃金でもやりがいのある仕事」が、単なるやりがいの搾取という構造に回収されないように
           
             障害者自立支援の動き

 ケアワークが「やりがいの搾取」という構造に絡めとられるのも、小松氏の著作で指摘されている「鈍感さ」の故かもしれない。だから、この「やりがいの搾取」という言葉は重い。
 生活支援サービスを、低賃金の連鎖の中に落とし込ませてはならない。
 金融「博打」に血道を上げてバブルの再燃を期待しているような輩からは、金融取引課税、土地取引課税によってきちんと共助のための税金を徴収し、人間の生活をさせるサービス供給に資源を振り向けるとき。

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