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2011/04/06

復興財源論という欺瞞

 少しずつ、東日本大震災の緊急対応から、被災者のより長期的なケア、そして復興対策へと議論の舵が切られつつあるように思う。
 そこで、鎌首をもたげてくるのが、「復興対策の財源論」だ。

 ここでの争点は、復興のための施策に要する財源を「増税」で賄うか、「国債の日銀引き受け」で賄うかという、財源論だ。
 しかし、ちょっと待って欲しい。
 財源論は何のために行うのかということを等閑視して、(マクロ経済学の)抽象的なロジックを用いて、財政が破綻するだの、デフレ対策に効果があるだのという議論に、何の意味があるのだろうか。

 日本国政府が、復興対策としてしなければならないこと、それは、抽象的な金額の議論ではないはずだ。
 そうではなくて、日本の国土に住む1億2000万の人口、そして実物資本(要すれば生産活動に利用できる具体的な機械設備のこと)を、如何にして効率よく、つまり気持ちよく復興という事業に投入するのかということだろう。
 そもそも、日本では、「緊急雇用対策」を論じ、自殺対策をしなければならないほどに、仕事を求めてやまない人がおり、遊休設備が滞っている。
 こういった遊休労働力や遊休設備がいつ早く復興へと向けて稼働できるようにするのが政府という公共的意志決定主体の役割であろう。
 特に、被災地域については、住むところが欲しい、道路を直して欲しいという、非常に分かりやすい「欲求」が堆積しており、かつ、そこを復旧させ平時の状態に戻すことに異論のある国民はいなかろう。
 とすれば、必要なことは、その目的で人や機械設備を投入するため、働こうという人や機械設備の保有者に、どうすれば被災地の具体的な復興需要へと動員される気になるかを聞いて見ればよいに過ぎない。というか安全に相当程度の報酬であれば、動員されるであろう。あとは、その順番付けをしていけばよいだけだ。
 そして、その安全な環境整備と報酬に必要な資金を、そういうものとして、どのよう調達することが、スピーディーでトータルコストが低いのかを考えれば良いにすぎない。

経済学的に言う費用とは、「ある目的に経済資源を投じた費用とは、その資源を他の目的に投じたときに得られた便益の最大のもの」である。すれば、復興のために遊休資源を動員できるように、仕組みを作ることのコストは0ということだ。なぜならば、その仕組みがなければ、その遊休資源は無為に何の生産活動にも使われていなかったのだから。

 どうも、直ちに打たれる23年度の補正予算は、既存の予算の範囲内で、新規の財源調達をせずにできることに限定されようであるが、仮に、本格的な復興事業事業への着手が「財源調達」論のせいで遅れるのであれば、被災者の皆さんは本当に不幸だと思う。
 ちなみに、復興事業のように「へこんだものを元に戻す」、そして遊休資源の動員のためのインセンティブ作りという事業の性格からすれば、増税などという議論がなぜでてくるのか、全く理解できない。
 財源論の前に、復興事業が復興のための経済資源の動員であるという点で、共通認識をもつ必要があると思う。

 繰り返しになるが、復興のために必要なのは、通貨ではない。あくまで、復興のために働く人であり、稼働する実体のある設備なのだ。税金でも、国債でも、貨幣増発でもない。財源論なる問の建て方自体が間違っている。重要なのは、復興のためにリアルな人、設備を動員することであり、そのために通貨が必要なのであれば、その通貨を、制約要因を加味した上で、最も効率よく調達する方法を考えればよい。くれぐれも、条件付き最大化問題における、目的関数と制約式を取り違えてはならない。

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