社会保障

2009/02/24

予算委員会における「生活支援サービス」についての審議

 2月9日の衆議院での予算審議において、興味深い議論があったので、長くなりますが。


 平成21年2月9日の衆議院・予算委員会の枝野議員の質疑より
  http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001817120090209011.htm


○枝野委員
 まず、大体、今、経済の全体の構造としてどうするのかという話をしているのに、今のような細かい項目を厚生労働大臣がお答えになってもしようがないですよ。全体の話として、子育て支援とか、あるいはふえていく高齢者の皆さんに対するサービスとか、先ほど実は財務大臣が私のお尋ねにはお答えをいただいていないんです。

 これからこの国の雇用は厳しくなっていく。厳しくなっていく中で、しかも、従来のように輸出関連産業の製造業が私は日本の経済の中心にこれからもなってもらわなきゃいけないと思います。しかしながら、雇用の受け皿の中心として従来のような役割を担い続けることができるのかといえば、これは残念ながら、今回の事態で、あるいはこの十年ぐらいの事態の間で、私ははっきりしているというふうに思います。

 なぜならば、圧倒的な人件費コストの差があるからです。中国や東南アジアの国々、新興諸国などは、私たちの国と比べて人件費十分の一とか二十分の一とかと言われていますね。現地でもつくれるようなもの、規格大量生産品であったら、どんなに国内努力をしたって、賃金に十倍の差があったら国内の努力ではどうにもなりません。そういう意味では、大量の雇用を必要とする規格大量生産分野はどんどんどんどん新興諸国にとられていく、これは避けられない、少なくとも自由主義経済をやっている限りは。

 日本の国内においては、そうした中で、でも、付加価値の高い、競争力の高い最先端分野について常に最先端を切り開き続けていくことによって、日本の物づくりというものは日本の経済の中心になってもらわなければならない。

 でも、今までのように、特に日本がアメリカに対して人件費が安いということで高度経済成長してきた昭和三十年代や四十年代のように、大量の雇用の場としての、受け皿としての物づくりということでは、これからはとても困難だ。これからの時代、雇用の受け皿になり得るのは、まさにふえていくのは、お年寄りの皆さん、介護や医療、間違いなく人手がたくさん必要になるんです。そして、少子化に少しでもブレーキをかけたい、子育て支援のサービスを供給すれば供給するほど、当分はそれに応じて需要が掘り起こされる。つまり、お子さんの数がふえることが期待できるんですよ。

 この二つの分野を雇用の受け皿として成長させることがなければ日本の雇用を守っていくことはできない、私はそう思います。違いますか。


○枝野委員
 例えば介護や、例えば保育や、もちろん、介護施設をつくるとかあるいは保育所をつくるという初期インフラは要るかもしれません。でも、初期インフラの話も、実は、これから建物は日本は余ってくるんです、全体としての建物数は。人口が減っていくんですから。それは、改修、改良で幾らでも応用できる余地はたくさんあります。

 そうすると、基本的に、例えば介護のサービスを充実して提供するために中心になって必要なのは人件費です。まさに給与として支払われる、雇用の場として生まれる部分です。保育についてもそうです。例えば医療だって、もちろんでっかい病院の建物も必要だというところがあるかもしれませんが、医師や看護師の人件費です。つまり、出ていった公的資金は給与という形で大部分が国民の皆さんの懐に入って、それはその人たちの可処分所得をふやすことにつながって、それが消費につながっていくんです。

 ところが、もちろん土地の取得費だって日本の国民の皆さんの懐に入るわけですが、たまたま土地を持っていたという人にどんと入るだけで、それが使われる保証はありません。

 それから、さらに言えば、建築とか土木とかというところの資材のかなりの部分は、これは実は、時間があれば国土交通省に調べていただいて、きょうお答えをいただこうと思ったんですが、週末からちょっと時間がなかったので出てこないようなので、きょうはあきらめますけれども、恐らく、公共事業予算で使われている中のかなりのパーセンテージを輸入資材に頼っている部分もあるでしょう。これは、公共事業費として、例えば景気対策として支出をしても、それは外国に出ていってしまうお金です。国内の消費につながっていくような、国内で循環をしていくお金にはなっていきません。

 これだけの少子高齢社会で、必要なニーズが、高齢化対応と少子化対応のサービス、そこの人件費というところにお金を注ぐ需要がこんなに一方ではあるんです。そこに出たお金は国内で循環をするんです。

 さて一方で、これはこの間、野田先生だったでしょうか、自民党の議論の中でも、高齢化の中で、高齢化に対応して予算がどんどん必要になっていく、だから消費税が必要だみたいな話になっていましたが、これから人口は減っていくんですね、この国は。日本列島を走る自動車の台数は減っていくんですよ。日本国民の皆さんが消費する水道の水の量は減っていくんですよ。日本の国内に建っている建物は余っていくんですよ。そういった部分に今までと同じ発想でお金を使い続けることの効果というのは、圧倒的に少なくなっているんじゃないですか。

 例えば、私も、団塊世代や団塊ジュニアではありません、その合間ではありますけれども、小学校の教室が足りなくて校庭にプレハブ校舎を建てている、こういう世代ですよ。プレハブ校舎での授業を小学校のとき受けましたよ。でも、これから、少なくとも、少子化がこれだけ進んでいて、学校の教室が足りないという話はないです、耐震強化はしなきゃいけませんけれども。この人たちが大人になっていったら、どんどんその人たちが必要としている施設が減っていくわけですよ、従来に比べて。

 新しい道路は全く要らないとは言いませんよ。だけれども、今までと同じペースで道路工事する必要なんか全然ない。今までと同じペースでダムをつくる必要なんか全然ない。今までと同じペースで建物をつくる必要なんか全然ない。その分の金をそっくり、例えば介護のサービスや保育のサービスという、少子高齢社会の中でふやさなきゃならないサービス関連の人件費に回せば、直接雇用がふえるんですよ。そして、この人たちは、自分たちでもらったお金を国内で消費するんですよ。このことによって、高齢者の皆さんは、安心が高まるほど貯蓄を切り崩してくれる可能性が高まるんですよ。

 こういう大きな時代の転換に合わせて税金の使い方の転換をするというのが、百年に一度の経済危機だったらやらなきゃならないことじゃないんですか。それが全くそういった方向性が見えない、みんな横並びだということを指摘しているんです。


 大臣というか政府側の答には見るべきものはないので、ご関心の向きは上記のURLから直接議事録をお読みください。

 それにつけても、こういう議論がやっと国会の場で始まりました。是非、この議論が続くことを期待します。

何度も引用させてもらっている

「低賃金でもやりがいのある仕事」が、単なるやりがいの搾取という構造に回収されない


ようにするためにも、心の底から、こういう議論が国会の場で継続され、そしてそれが予算措置の形で実現することを期待。
 もちろんのその予算措置では、障害者支援サービスに、この記事にあるような200億、5%などという小規模ではなく、ケアサービスを提供する人々の自立と自尊を確保できる程の大胆な引き上げでなければならない。

 ただし「lessorの日記」での、この指摘にも注意した上で。

[障害者支援]689単位!?~lessorの日記~より

 ただ国事業部分の金額を上げるだけのことをするなら、そこで拡大する矛盾(というか不均衡)があるということを、せめてここを読みに来てくださる方には知っておいてほしい。真っ当なことと同時に、大変奇妙なことも起きている。どこもが誰もが手放しで喜ぶ話ではないのである。

2009/02/21

西川真規子「ケアワーク」

 西川真規子「ケアワーク」の「第4章 有償ケーアワークを専門化する-スキルの拡充と人材育成」から,抜き書き。


 本章の分析結果から、ケアワークの専門的知識は、公式な教育訓練による演繹的学習や目標志向的なフォーマルな人材育成制度、あるいは介護職の専門職としての自律性を前提にしたインフォーマルな制度よりは、その中間であるセミフォーマルな反芻学習を中心とした内省の促進と共同的な対話を通じた参加型学習によって効果的に伸びていく傾向が見出された。つまり、ケアワーク従事者の専門性を向上させるには、「上司-部下」のような垂直関係でも、完全な水平関係でもなく、これらの中間型の「先輩-後輩」型関係が望ましいということになる。これは、いうまでももなく、これまで家庭や地域で実践されてきたケアワークに共通する特徴である。
 本章で議論してきたように、現場での実践に表出される知識がケアワークの主な知識形態だとすると、実践現場での経験に専門的視点から意味づけを行い、また適切なケアワークの実践に必要なコンテクストを現場で利用者とともに構築し、そのノウハウを「後輩」に教示できる「先輩」の役割は特に重要となる。ケアワークの専門的知識を高めるには、経験を積んだベテランを積極的に輩出し、現場での後輩の反芻学習を支援させ、さらには専門職として望ましい行動を強化させていく役割を担わせていくべきである。


 高齢者介護にとどまらず,幼児保育,学童保育,障害者支援,看護付き添いなどのケアワークとされる就労分野は,「感情労働」と呼ばれる。こういった分野のスキルを涵養するためには,現場における(学習的な)実践が不可欠だということ。
 よって,目下の失業問題とケアの現場崩壊問題とを解消するためには,ケア実践の場を大きくし,その実践の場でスキル養成を行うことができるだけの「余裕」「ため」が必要。 そのためにも,こういったケア分野に対する,(恒常的な)公的資金分配の拡張が不可欠なのだ。ここの分野に,資金を投入して,ケア事業所の経営に余裕が生まれれば,この分野における安定雇用も大きく広がる。
 人手を遊休させておく=失業者を放置しておく余裕は,今の二本にはない。人的資源を生活支援分野へと転換・移動させるために,貨幣が必要なら,そんなものはいくらでも輪転機を回して刷れば良いに過ぎない。

2009/02/19

駒村康平「大貧困社会」

 駒村康平「大貧困社会」の「第5章 貧困社会への処方箋」から、抜き書き。


ワーキングプアへの処方箋

P173

能力とキャリアラダー

 現在日本で不足し、公的に支援すべき専門的な仕事とは何か。それは、~介護職、看護職、保育職などの「個人」に対して「社会的な」サービスを提供する職業である。非正規労働からの脱却を望む人に対して公的支援をするならば、こうした資格を取得できるように支援すべきだろう。もちろんこれらの仕事は、賃金は安く、きつく、危険だからワーキングプアの救済にならないという意見もあろう。もちろん介護保険の「介護報酬」や医療保険の「診療報酬」、保育所予算を大幅に引き上げ、介護職・看護職・保育職の賃金・労働条件を大幅に改善させるのが前提である。そして、そのための財政は広く国民が負担すべきである。これらの専門的な知識に基づいて提供される一方で、「感情労働」とも呼ばれるように働いている人がどのくらい気持ちよく働けるかによって、サービスの質が大きく左右される。少子高齢化のなかで、我々日本人が、日本人労働者による質の高いサービスを受けたいのならば、当然、そうした費用を負担すべきである。


ワーキングプアへの処方箋

P176

社会手当の充実と生活保護制度の改革

  最後のセーフティネットである「生活保護」の運用についても、もう一度検討する必要がある。(中略)
 そこで、①保有を認める資産の範囲を拡大し、生活保護を受けてから最初の半年から一年程度は、資産制限を緩和する、②生活保護を受けながら働いて収入がある場合、一定期間については、生活保護の金額を削らない、③生活保護制度を包括的な生活支援制度に組み替え、就労支援の強化や普通の日常生活、社会生活を送ることができるようなサポートを充実させる、といった必要があるだろう。


貧困世帯の子どもへの処方箋

P180

 日本では、保育所の待機児童に問題が注目され、保育所民営化や幼保一元化の是非ばかりが議論される傾向にあるが、そうではなく、もっと対局から子どもと親・家族を包括して支援する仕組みを考える必要がある。(中略)
 日本の家族・子ども向けの公的支援は、先進国中、最低水準である。たとえば、日本では、小学生低学年に対する学童保育(放課後クラブ)の利用者は79.5万人いるが、それに対する公的補助はわずかに200億円であり、その多くは市町村・都道府県・企業負担(企業が厚生年金の保険料と一緒に政府に払っている児童手当拠出金)でまかなっているため、国の負担は実質的にゼロである。利用できない子どもも多く、スタッフの配置もきわめて脆弱である。子育て・家族支援を拡充するためには、2兆円以上の公的資金の投入は絶対に必要であろう。


 逐一、強く同意。
 こういう政策志向を、政治として展開できるようにするためには、僕は何ができるのだろう。次の総選挙における投票行動の前に、こういった政策を「政治的アジェンダ」にのせなければならない。

2009/02/18

生活支援サービスの「自立」のために

障害者自立支援法の見直しの動き。~note304*~より


 障害者が働いて自立することができるようになるには、福祉で働く人間が「自立」できるようでなければならない。
 何を言いたいのかと言うと、現実的な障害者の自立を法律が謳うのなら、障害者をケアする労働に従事する人間があわや“ワーイングプア”な条件で働いているような状況をも見直さなければいけないんじゃないか、と言うこと。
 「低賃金でもやりがいのある仕事」が、単なるやりがいの搾取という構造に回収されないように、障害者の「自立」をケアする労働者にも経済的にも、文化的にも、人間的にも「自立」することができるための「地面」となるようなように、障害者自立支援法が(続くのなら)見直されてほしい。


密着もしくは断絶している、という機密的かつアンビバレントな感覚にさらされる「ぼくら」の「自立」~ note304*~より

 低賃金でもやりがいのある仕事」が、単なるやりがいの搾取という構造に回収されないように、障害者の「自立」をケアする労働者にも経済的にも、文化的にも、人間的にも「自立」することができるための「地面」が、ぼくは、障害者現場では必要だと考えるし、それは施設の自助努力だけでなくて、制度化も含めて、だ。

 これに関して、ぼくはぼく自身の物欲的な欲望も隠さない、と言うのは、ぼくの考える「自立」は、あくまでも最低限の生活が出来るという水準じゃなくて、最低限の文化的な生活ができる、ことが最低限度の自立だと考えるから。

 読みたい本を、見たい映画を、聴きたい音楽を、着たい服を、食べたい物を、描きたい絵を、飾りたい写真を、表現したいことを、そういったことを自分の努力によって受動/能動できる生活が、自立だと捉えたい。

 自分の努力といっても完全な「自己責任」じゃない、それはアンフェアだ。

 「自己責任」である部分を引き受けられる「制度」が整っている社会であることが前提だ。

 現状は、自己責任だと自分自身が引き受けるにはあまりにもフォーマル/インフォーマルな「制度」が乏しい気がする。

 と言うか、自己責任は相手の責任が明確で初めて、引き受ける対象として自分が見えるはずでどこのだれかも分からない対象から勝手に名指されるという矛盾を抱えているのは、本来のそれじゃないだろう。


 だからこそ、そして「今ここにある経済危機」に対処するためにも、政府の資源振り分けを大きく生活支援サービスへとスウィングしないといけない。

 選挙のためになりふり構わなくなっている現政権が、近々に編成するであろう2009年度の新しい経済対策において、この財政支出構造転換を実現させないといけない。


追記

 今年の2月9日の衆議院・予算委員会審議での、枝野議員の質疑が参考になる。
http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001817120090209011.htm

2009/02/16

生活保護不正受給を掣肘するためには?

生活保護費詐取事件-連帯責任の是非~モトケンブログ~より

 たしかに、事件に全く関係のない職員もかなりいると思いますが、この事件は、市の上から下まで、変だなと思っていたのに何も言わない人間がたくさんいたから被害が拡大したものと思われます。
 それなのに、そのような職員が誰も責任を負わないということになりますと、それこそ「責任の分散化で、職員の無責任体質を強めることになる」と思います。
 「業務上生じた損害を、職員の給与で補填すること」をパターン化させないためには、本件のような事件の発生をパターン 化させないことが何より重要です。
 そしてそのためには、おかしいと気づいた人間がおかしいと声を上げ、その上司はその声を無視できない、無視すれば責任を問われる、という空気をパターン化させる必要があると思います。

 これは,北海道滝川市における生活保護不正受給(正確には,現物給付の対価を不正取得したもの)事件についてのエントリー。
 目下,派遣労働者の方の生活困窮を契機として,生活保護の仕組みに変革が求められ,入りやすく出やすい仕組みにしなければならないときに,こういう事件があると,社会のセーフティネットを再構築しようという議論に水を差すことになる。
 しかし、生活保護やセーフティネットの変革の議論を進める上では,この不正受給の問題を逃れることはできない。
 今回の事件において,不正受給者もさることながら、同じく逮捕されている「介護タクシー」の経営者の反社会性というか、違法性は非常に大きいと想う。こうい輩を掣肘にするためには,社会保障給付に対する詐欺として,より具体化された構成要件を定めることはできないだろうか。つまり単なる財産罪としてはなく,公共信用という法益侵害として

 同時に、こういっ社会保障給付の役割を担う(民間)経済主体の管理監督を含め,行政機関の行う個別の行政処分によって生じる「損害」(個々の市民だけではなく、市民の集合体としての自体や国の財政に対するものを含めて)について,個々の公務員が責任を負う体制が必要だ。その点については、先日のエントリーでも触れた。

 そして、こういった責任に見合う毅然とした対応をった場合の心身の安全の保障,つまり行政介入暴力に対する警察権を含む防護の仕組み(並びに議員及びその関係者からの介入に対する防壁の整備として、介入記録の整備と情報公開とこれらの整備を怠った者への懲罰など)も必須だろう。

 しかし、こうやっていくと,刑罰対象が限りなく広がっていくようで,怖い気もする。特に、具体的な不正受給の穴をふさぐためには、その申請プロセスにさかのぼって、刑法的規律を及ぼすことなってしまう。


井田良「変革の時代における刑事法学の在り方」

 現在の傾向は、これまで一般に承認されてきた、刑事法に関する基本原理を根底から動揺させるインパクトを伴っている。実害の生じる以前の段階にまで刑法的規制を及ぼす傾向は、個人の行動が他人に実害を及ぼすときにのみ、それに対する刑法的規制が正当化されるとする思想(侵害原理ないし危害原則)に正面から抵触する。この思想は、戦後の刑事法学において重要性を再認識され、最近に至るまで広い支持を受けており、法と倫理を分離し、純然たる価値判断の領域への刑法の介入を保障するために用いられてきたが、もはや立法上・解釈上の一元的な指針としての正確を失っているいる。刑事法的規制を合理的に限界づけるための立法上・解釈上の原則とはいかなるものであるべきかがあらためて問われざるを得ない。


 こういう現象や立法が必要なのだとは想うが、井田教授の危惧も共有してしまう。


追記

<神戸市>48億円違法支出、判決の返還請求を放棄へ

 ~弁護士落合洋司(東京弁護士会)の「日々是好日」~ より

 どういった条例改正を考えているのか、よくわからない面がありますが、確定判決により債権を有していながら、それを、合理的な理由もないのに無に帰させるような条例改正を行えば、そういった条例改正に賛成した議員を含め、刑法上の背任罪が成立する可能性もあるのではないかと思います。記事では、「現実には市長や外郭団体が返済するのは不可能」とありますが、返還を求める努力すらせずにそのような言い草をしているようでは、合理的な理由があるとは到底考えられません。

 今後の行方が注目されますが、実際に債権を無に帰させるような条例が成立した際には、関わった関係者について背任罪の刑事責任が問題になるという、前代未聞の事態もあり得るでしょう。

 いくら法的な責任関係を整備しようと言っても、これほど無責任な自治体が存在するとは驚きだ。
 これでは、自治体関係者と不正受給者がグルになってしまったら、債権放棄つうじて、丸儲けということでしょうか。本当に暗澹たる気持ちだ。

2009/02/12

社会保障を巡る風向きは確実に変わっている

 さまざまな運動があったとはいえ、ここまで動いたのは今の政局があったからこそであろう。政治とは、与党であり続けるための努力そのものなのだなあ、と思う。厚労省としては「無念」ってところなのだろうか。いつか自民党が安定した与党として返り咲いたとしても、もう一度応益に戻すのは難しいだろうと思うし。もはや介護保険との統合も絶望的ということか。

応能負担~lessorの日記~より


 引用させていただいたブログは、「障害者自立支援法の見直しを検討している与党は10日、障害者が介護など福祉サービスを利用する際の負担を軽減するため、原則「1割の自己負担」から、所得などに応じた「応能負担」へ改める方針を固めた。」という記事について書かれているもの。

 このブログにおける「さまざまな運動があったとはいえ、ここまで動いたのは今の政局があったからこそであろう。」というコメントは、まさに的をついていると思う。
 このような認識は、例えば、学習院大学の鈴木教授の「生活保護制度抜本改革のかすかななる兆し」にも通底するもので、社会保障の見直し機運は徐々に広まってきている 。
 政権交代への危機感と、景気崩壊への危機感とが共存するという、皮肉な意味での「好機」が、日本の政策決定における力学を大きく修正する作用を及ぼしている。

 また、この「厚労省にとっては『無念』というところなのだろうか」についても、大きく見直し機運が作用してきていると思う。つまり、社会保障における「社会保険帝国主義」=応益ルールの無原則な拡張にストップが掛かりつつあるのだ。ゲスの勘ぐりで言えば、厚労省が、応益ルール=社会保険帝国主義になるのは、財務省にとやかく言われない特別会計という天領を維持したいという本能のなせる「技」なのではないかと思う。天領化自体を悪だとは思わないが、そのためには、天領で行われる個々の行政処分について、きちんと責任追及をする仕組みが必要だ(この点については、前のエントリを参照)。
 私自身は、社会保障の仕組みとしての「社会保険」については、あまり意義を感じていない。特に、実体経済にそくした(つまり、リアルタームでみた)マクロの経済効果という意味では、社会保険料と税は、本質的に同じで、社会保険を金科玉条にすることは理解に苦しむ。
 
 いずれにせよ、この「政権交代への危機感」と「景気崩壊への危機感」が共存して、「異例の措置」が異例でなくなっている現状は、政策の転換という視点では、結構ハッピーな状況なのかもしれない。

2009/02/01

賦課方式と積立方式は,何が違うのか?

目前に迫る悪夢のような未来を避ける唯一の手段は、年金、医療、介護の全てにわたる積立方式化です。これは、直ちに負担引き上げを迫る選択肢ですが、それが政治的に難しいのであれば、給付減をあわせて、国民が飲みやすい現実的な選択肢を作り出すことが可能です。

学習院大学・鈴木亘ブログ(社会保障改革の経済学)


社会保障の財源論,典型的には,年金の財源論について,現在の修正賦課方式から,(修正)積立方式に転換すべきだという議論がある。
しかし,積立方式の場合,その積み立てられている資産が,内国居住者向けの金融資産で運用されている(多くは国債ということだろうが)のであれば,それって賦課方式と何が違うのだろうか。
年金給付というのは,要すれば,年々の国民総生産から一定のルールで配分されたものでしかないから,年金の財政ルールとは,所詮現在の総生産配分に対する権利を,「何に」基づいて算定するかというルールでしかない。

とすれば,現在の生産活動に寄与するかどうかは,現在働くかどうかの問題であり,過去に積み立てたから,現在の配分を受けられるって,なんで正当化されるのだろう。

世代重複モデルの発想からすれば,貨幣や金融資産の拠出とは,自分の次世代から資源の割り当てを受けるための切符を現在手に入れるためのコストだけど,その切符の価値は,その切符を次世代がどう評価するかってことに依存する。ある意味,貨幣や金融資産を媒介とする世代間移転は,ババ抜きってこと。

積み立てたこと自体によって,実体経済の生産性があがるといった効果がないのであれば,賦課方式と積立方式って,現在の一定の生産を分配するという意味では何の違いもないのでないか。
勿論,制度参加者のインセンティブ構造が変わるから,現在の賦課方式が政治コストが高い,つまり一見強制性が強く受け取られがちではあるが,積立方式だって,「昨日たくさん働いたから,今日は働かないけど,今日の分の分け前をたくさんよこせ」っていわれているだけだから,今日働いているいる人にとっては,そんなに納得感が強いとは思えない(これって,現在の高齢者が戦後がんばったから,今の日本があるという主張と同じでは)。

唯一の例外は,年金積立金が,非居住者に対する金融資産である場合。この場合,非居住者の労働成果によって,現在の居住者たる高齢者への成果配分がなされるから,実体経済的に財・サービスが「輸入」されることになるので,積立方式であれば,現在の居住者の労働成果を「収奪」することにはならない。
しかし,年金資金,つまり超長期に安定運用されなければならない資産を,公的機関による海外運用に任せるって,とてもリスク・リターンの整合性を保てないのでは。

いすれにせよ,鈴木氏の自著の「要約」に触発されているだけなので,きちんと読んで改めて考えてみたい。

2009/01/31

相続税と高齢者医療制度

高齢者の中にも豊かな人は確実におり、年齢で医療費を区別する理由はないということだ。原田氏が言うとおり、高齢者は貧しく、治療を受ける回数も高いため、医療費の自己負担分を減らすべきだという議論には無理がある。就労しないという高齢者の特徴は割り引くとしても、日本の高齢者は平均で見る限り所得、消費、金融資産・住宅資産・土地資産といった側面でも現役世代と比較して豊かである。少なくとも豊かな高齢者は、年齢という差別を乗り越えて自立するべきであることは必定であろう。

高齢者は本当に弱者なのか?

約1年ほど前は,来る日も来る日も,ワイドショーのネタであった「後期高齢者医療制度」。今では,派遣切り,派遣村に押されて,話題になることはほとんど無くなりました。しかし,改めて,この指摘は全くもって正当かと。

自分自身も、一時期,後期高齢者医療制度についてそうとうな反発を感じていたが、マクロの人口学的状況を踏まえれば、高齢者の医療費負担の問題について、マスコミの喧伝する、「極端な事例」に惑わされ、さらに政治的アピールのための過度の強調に惑わされてはならなかったのだろう。

 現状の後期高齢者制度では、相当程度の高齢者の「所得状況」には配慮した方策がとられている。逆に、現役世代並の自己負担の範囲が「限定」されていることの方にこそ問題がある。直接の関係はないにしても,医療資源が適切に出産や小児診療に回らない事の遠因ではあろうし,より直接的には,健康保険組合が拠出金に耐えられなくなってきている。

 制度の作りが,乱暴なのだと思われる。老人医療「保険」の仕組みについても,包括的な仕組みの中で,きめの細かい負担能力の査定を行うべきだとう思う。そもそも,医療リスクの高まる集団だけを分離して,社会保険を構築するというは,保険数理からいって、そもそもおかしい。勿論,社会保険は,民間保険のように厳密な拠出負担均等原理が求められないとしても,負担能力をそもそも制度的に期待していない高リスク集団を分離するというのは、コストの強制的な削減を意図していると勘ぐられても仕方あるまい。
 要は,普遍的な医療保険の仕組みの中に,高齢者も年齢の如何に拘わらず加入してもらい,原則は現役世代と同じように,保険料と自己負担分を払うという仕組み。ただし,当然稼得能力に劣る人には,保険料と自己負担分の減少をきめ細かく認めれば良い。
 また,負担軽減を求める者には,フローの所得だけでなく,資産調査(ミーンズ調査)も行えば良いと思う。現住の住宅はともかく,金融資産を豊富に持っている高齢者については,保険料も自己負担分も原則通りに払ってもらうべきだ。
負担軽減についても,保険料軽減パターンや自己負担軽減パターンなど,いろいろな選択肢を用意すべきだ。健康に自身にある人は,保険料軽減パターンお選ぶだろうし,資産の少ない人は,ショックアブソーバーとして、特定時期の出費ヘッジとして自己負担軽減パターンを選ぶかも知れない。

 勿論,資産調査には,それに付帯していろいろ問題が出てくる。資産隠しも横行するだろう。そこで,一案。
 相続性の仕組みを活用してみる。
 医療保険への加入状況、保険料納付状況や自己負担分状況によって、相続税の税率や適用段階を変更するのだ。つまり、保険料を原則通りに払っていた被相続人についての,相続税の限界税率を少し下げる等の措置により,高齢者が医療費負担の「貢献分」を相続税の軽減という形で評価するのだ。
 こうすれば、メカニズム・デザイン的に、金融資産などの流動性の高い資産の保有者に、保有の申告インセンティブが生まれると思うがどうであろうか、

そもそも,最近,相続人の年齢が平均60歳を超えているそうだ。つまり、社会保障の負担者と受給者という意味での世代間への所得分配機能が,相続には消滅しつつあるということ。金融商品を高齢者から高齢者に相続させていては、この国の世代間の公平はいくらまっていても進まない。
 事業承継関係でしか、相続税は話題にならないないが、今後の世代間の公平や、高齢者世代内の公平を考えれば、資産配分の不平等を調整するべく、相続税を「社会貢献」へのインセンティブに使うのも一つの手だと思うが。
 この点,この国会で審議されることとなる税法改正には,興味深い条項が入っている。

八 その他(附則関係)

2 税制の抜本的な改革に係る措置

⑤ 資産課税については、格差の固定化の防止、老後における扶養の社会化の進展への対処等の観点から、相続税の課税ベース、税率構造等を見直し、負担の適正化を検討すること。

所得税法等の一部を改正する法律案要綱(財務省)


 同趣旨のことは,自民党平成21年度税制改正大綱 9頁にもある。

 医療保険(介護保険でも同じ論理が成立するとは思う)と相続税のリンクは,突飛かもしれないが,ベーシックインカム論や給付付き控除の議論にあるように,税制と社会保障は本来分離して議論されるべきものではないはず。
 行政組織の分立は,仕組みの本質が相見えないことの根拠にはならないのだから。

2009/01/20

21世紀の傾斜生産方式

 第二次大戦後の日本の経済を復興させるために行われた「傾斜生産方式」という政策がある。
 要すれば、他産業への生産波及効果、石炭や鉄鋼など、当時の技術水準で、特に他の産業の中間投入となる産業分野に重点的に資金や資源を投入することで、日本の供給能力を再構築しようという政策だ。

 さて、最近の厚生労働省の資料では、「雇用誘発係数を主要産業と比較すると、社会保障分野(特に介護分野)の雇用誘発係数は高い。」つまり、社会保障分野における需要を増加させると、雇用を増加させる効果が大きいということらしい。

 第二次大戦後の供給能力不足と異なり、需要不足の日本の現状では、雇用誘発力の大きいサービス分野、特に潜在的ニーズが、資金制約や事業所不足によって制約されている保育(学童保育を含む。)、医療、介護(障害者援助を含む。)といった生活支援サービス分野への公的リソースの投入を「傾斜配分」してみたらどうだろう。
 道路については、需要があると「強弁」するくらいなのだから、こういった自然的な需要が、支払い制約によって制限されている分野に、公的リソース、要すれば予算を配分すれば雇用は一気に安定化するでしょう(勿論、労働異動のための時間とコストは必要ですが)。
 
 勿論、介護分野や医療等の分野については、人手不足が問題なのではという議論もあるだろう。だから、厚生労働省は、雇用対策として介護福祉士の集中的な育成をするらしい。
 でもちょっとまって欲しい。


「介護」にしろ、「農業」にしろ、なりたい人が少ないのでは無く、なっても食べていけないから「働き手」がいないのである。実際、毎年何万人もの若者が介護福祉の専門学校や大学を卒業し就職しているが、給与や労働の待遇に納得いかず多くが辞めていく。ほとんどの職場で人手不足なのは、なり手がいないからでは無く「定着率」が悪いからだ。雇う施設側も、利益を出す為にはギリギリの人員でまかなうしかない。


                         ~まるでテトリス。緊急雇用対策になぜ?「介護」。~


 介護分野で人手不足なのは、勿論、介護スキルの蓄積が薄いという側面もあるでしょうが、基本的には、賃金を筆頭とする労働条件が悪いからでは。とすると、介護労働に支払われる報酬の原資を広げないことには問題の解消にならない。勿論、長期的に介護スキルの涵養が必要であることが否定されないが、賃金原資を制約したままで、介護市場への労働者供給を増加させれば、賃金水準はさらに悪化。勿論、人手自体が増えれば、一人当たりの夜勤が減少するといったことで、労働条件の改善は図れるかもしれませんせんが、介護等の分野はワークシェアではなくて、投入される人的資源のネット増が求められているはず。
介護報酬への公的支援の大幅増を行わずに、介護人材だけを育成するというのは、順番が逆。そもそも、税の投入を増やして、利用者負担を増やさずに、生活支援サービスの報酬を大きく上げれば、自ずと人材育成はなされるに決まっているのだから。

 保育、介護、医療といった生活支援サービスに分野に重点的に、予算を経常的に投入することが先ではないか。そうすれば、自ずと、こういった分野に必要な人的資本への投資が、労使双方のインセンティブに基づいて促進されると思うが。これが、今の日本に求められる「公共投資」なのではないのかな。
 そういう意味で、保育、医療、介護といったサービス給付型の社会保障への租税投入こそが、21世紀の日本に求められる「傾斜生産方式」なのではないか。


蛇足
なんとなく、ニューディールという言葉が飛び交っているので、違うフレーズで攻めてみました。
う~ん、まじめに考えると「保育、介護(高齢者、障害者)、医療」に労働力を動員する経済政策に「傾斜生産方式」というフレーズを冠するのは、傾斜生産方式は効果がなかったという説もあるから、あまり適切なメッセージではないのかな。

2009/01/15

生活保護給付における就労インセンティブ

 2008年から09年の年末年始にかけて、大きく話題となったことの一つに「派遣村」の騒動があった。この「派遣村」騒動をきっかけとして、失業者に対する「生活保護」の重要性がクロースアップされている。例えば、これ。

 そもそも、派遣労働者に失業給付が的確に措置されていないこと自体が大問題であって、それは社会保障制度の在り方として、きちんと検討すべきものである。しかし、失業保険制度の再構築の成就を持っていては、既に生じている失業者、そして2009年問題を契機として、年度内にもさらに大量の派遣労働者解雇には間に合わない。
 そこで、まさに今緊急的に活用が期待されるのが、生活保護制度による社会不安の払拭ということなのだろう。

 ただ、「派遣村」村民の皆さんになされたような、生活保護の「要件緩和の特例」的措置に対して、予想される批判が、失業者の「就職えり好み」問題。つまり、求人はあるのに、求人に応じない「失業者」の生活保護を与えるなという批判。

 失業給付を受けるのであれば、その場合、制度の当然の前提として、求職活動か職業訓練を受けることが義務づけられる。一方、生活保護の場合、この点が必ずしもはっきりしない。生活保護法上も60条において、「被保護者は、常に、能力に応じて勤労に励み、支出の節約を図り、その他生活の維持、向上に努めなければならない。」として、勤労義務が訓示的には定められています。しかし、雇用保険法32条1項・2項のような条項は、生活保護法にはない。
 
 勿論、生活保護法27条によって、保護実施機関(社会福祉事務所など)は被保護者に対し、「指示」をすることができ、同62条によって、その「指示」が守られない場合には、生活保護の支給を止めることができるようにはなっている。
 この指示として、求職活動や職業訓練を被保護者に対して義務づけるということが手続的には考えられる。ちなみに、生活保護についても、生活保護法17条において「生業給付」として技能取得訓練用の費用も支弁できることとなっているので、生活保護の枠組みの中で行う求職活動の指示は、それほど不自然なことでもない。
 
 しかしこの場合、社会福祉部署と公共職業安定所の連携、情報共有が問題になる。失業保険の場合、給付と求職活動等のモニタリングを共に公共職業安定所が行うことになっているが、生活保護の場合には、この部署が社会福祉事務所と公共職業安定所に分離する。
 社会福祉事務所が、求職活動等についてモニタリングしようとすれば、公共職業安定所の協力を得られないと難しいで。現場での工夫が求められる。
 この辺りの自治体と公共職業安定所の連携は勿論模索されているのだろうが、もっとシステム化、効率化が求められよう。要すれば、厚生労働省の中で、社会援護局と職業安定局とで、生活保護受給者の求職活動に関するモニタリングの仕組みについて、通知、要綱の形で、システム化することが必要だ。
 なお、個人情報保護法制上の手当も必要(職業安定法5条の4参照)か?
 
 生活保護給付については、求職活動・職業訓練をする誘因・インセンティブをどうやって被保護者に強力に与えるかという工夫が大事で、その方策の一つが、この求職活動についての丁寧なモニタリング(と本当はカウンセリング、コーチング等のモチベーション管理)。

 他方、「あめ」の形で、インセンティブを与える方法もある。例えば、昨年末の厚生労働省の「クリーン・ヒット」施策として、「就職安定資金融資」事業がある。この融資事業の肝は、返済開始時点(半年後)において就職していた場合、返済額の一部免除措置を講じている。融資額にもよるが、この仕組みは、それなりの就労インセンティブを与えるだろう。ただし、確信犯的に働かない者については、機能しないが(その場合、そもそも返済意思が最初からないので)。

 生活保護の場合には、この返済免除という「あめ」の仕組みで就労インセンティブを与えることはできないので、「むち」を考えなければならない。
 例えば、罰金刑が確定しているが、無資力のために払えない場合には、刑法18条で、労役場留置という措置が用意されている。この類推で、生活保護法(場合によっては、雇用保険法)を改正し、給付を受けていながら求職活動や職業訓練を行わない悪質者に対し、生活保護法63条のように金銭返還義務を課し、その返還命令に従わない場合には、上記の労役場留置に入れる(ただし、あくまで行政処分であり、前科とはしない)という「ムチ」を用意するというのはどうか。
 
 いずれにせよ、ヨーロッパの経験から分かるように、失業者を、長期の無業状態という社会的スティグマ状態に排除するのは、経済効率・経済厚生の観点から得策ではない。この人口減少国家においては、特に。
 政策的に、できれば安定した有業状態、つまり社会的包摂状態へと移行させなければならない。そのためには、一見無慈悲でも、きめ細かい事実認定に基づく「脅し」も必要なのかも。

より以前の記事一覧

2014年9月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ