金融政策

2014/09/13

大本営発表「景気は回復している」

内閣府の政策コメンテータ委員会というとこで、「3ヶ月前と今と景気の状況は?」と問いかけたら、57%の参加者が「景気は回復している」と答えたとの報道があった。

どういう経済指標を見ると、そういう答えができるのか不思議でしかたがない。
7月末までの統計データの実績を見る限り、悪くなっている指標も多く、「横ばい」はまだしも、回復のエビデンスは全くでてこない。

日銀短観や法人企業景気予測調査が「上昇」判断が多いという話をことさらに言祝ぐ論説もあるが、この手の景況感、それも現状や先行きについての調査については「使い方」が、完全に間違っています。
日銀の岩田規久男副総裁が言っているように、マクロ経済政策、特にマクロの金融政策を検討する上で、マーケット参加者の現在の予想を把握することは重要です、しかし、それはその予想が将来実現するからではなくて、現在の経済主体の行動をコントロールするからであり、将来の予測値として意味がある訳ではありません(だから、実績が予測通りになるかどうか自体には関心がない)。
これが正しい景況感統計の使い方です。

しかしマスコミでは、実績統計データを無視して、こういう「見通し」だけを言祝ぐ傾向があり、1997年のときも、こういう認知ラグが景気の悪化の振幅を増幅させたきらいがあります。

だから、この手の「見通し」調査に基づいて、現状を把握していはいけないのです(この手の調査の「現状判断」だって実績に応じた判断ではないので、実態評価としての信憑性はあまりありません。だって、8月に7-9月期の実績がある訳ないのですから)。

いずれにせよ、先の「政策コメンテータ委員会」の57%の方々は、8月末に公表された7月末まで(たかだた1ヶ月前)の実績統計データが示すものを凌駕するほどの経済改善のエビデンスを8月中に入手されているのでしょね。

そうでなければ、それは単なる「大本営発表」でしかありません。

来年の10月に消費税率を上げること妥当かどうかは分かりかねます。
しかし、消費税率を上げるための世論工作のために、悪い経済実態について、「回復している」などというのは、経済分析、経済評価として全くの愚論です。
大事なのは、実績データ、エビデンスに基づく実態判断のはずです。特定の目的のために、レトリックをもてあそぶのは、本末転倒だと思います。

ポチッとよろしく!

2011/04/10

「年齢階層間の分配問題」と「現在消費と将来消費の代替問題」の峻別

 同じ議論で恐縮ですが、また「世代間格差」とい言葉使いについての批判です。この言葉の「誤用」が誤謬を蔓延させているからです。
 世代間格差という用語を、ある時点における「年齢階層間の分配問題」を指すものとして使用するのか、「現在消費と将来商品の代替問題」を指すものとして使用するのか明確にする必要があります。

 現在の何らかの財政支出を公債発行で賄うことが、現在の遊休労働力や遊休資源の活用に繋がるのであれば、機会費用は何ら存在しないのですから、世代間の格差などというものは存在しません。要すれば、公債償還時の所得再分配をどうすれば良いかを考えるだけですから、重要なのは、公債を誰に配分し、償還時の条件をどうすることが、所得再分配上の弊害を最も防げるかを考えれば良いだけです。

 このような思考は、新古典派総合が陥った資源配分の効率性と所得分配の効率性の議論を分離できるというナイーブな議論だとの批判があるでしょう。しかし、少なくとも、財政支出を行う現時点における「資源配分の効率性」(言い換えれば、財政支出の適正性)の検討作業と、公債償還を行う将来時点における「所得分配の効率性」(厚生経済学的な意味での税金再配分の公正性)の検討作業を峻別することの重要性は下がらないと思います。ちなみに、財政支出時点においては、公債引き受け自体は任意に行われているので、財政支出の内容についての決定が合理的であるかどうかが問題だかと思います。他方、公債償還時においては強制徴収される税金が自動的に公債所有者への再配分に利用されることがあらかじめ決定してしまいますので、資源配分の効率性と所得配分の効率性が同時決定となることは確かです。

 このように考えれば、遊休労働力などが存在しない経済における公債調達の問題についても、現時点の資源効率の問題と将来の所得効率の問題は種別できることが分かります。

 よって、復興財源の問題について、復興債が将来世代に負担を残すなどという議論は即刻停止するべきでしょう。

2011/04/06

「世代間負担格差」という妄言

 復興財源論について、相変わらず、何の積極的論証をすることなく、国債を増発することが難しいだから税という論法が広まっている。では、税な出来るのかという点については疑問なしとし得ない。特に、この震災という危機において、被災者を救いたいという素朴な正義感に「つけいる」形で、何の展望なく増税すべきと論じるのは、「お国のために我慢せよ」として、鍋釜まで金属資源とし拠出させた戦前軍部のファシズム思想以外の何者でもなく、非常に恐ろしいことだと思う。

 また、復興財源を国債調達で賄うことと、いわゆる「国債による負担先送り=世代間格差論」を結びつける議論においては、何を況やである。
 この論法の「落とし穴」を生み出しているのは、サミュエルソンの生み出した代表的家計を設定しての「世代重複モデル」による分析の適用範囲を無節操に拡大してしまった結果だ。
 じっくり考えて欲しいのであるが、現代の科学技術においてタイムマシンがある訳でもないのに、「現代の世代が将来の世代の負担で便益を享受している」という言質は、何を意味しているだろうか。
 タイムマシンがないのだから、将来世代の労働成果を現在の我々が享受できる訳はない。
 とすれば、将来世代にとっての「負担」とは何か?
 つまるとこころ、財政の支出自由度が狭まるというだけに過ぎない。
 つまり、公債の償還額の歳入に対する割合が増えると、裁量的歳出の選択の幅が小さくなるということは確かだ。しかし、これ以外の弊害は、突き詰めて考えてみると、存在しなのではないか。
 繰り返すが、この世にはタイムマシンは存在しないのだ。
 将来の労働成果を現在享受することはできないのであって、現代世代が享受できる便益は、現代世代の労働成果(及び実物資本という形で蓄積された過去世代の労働成果)であって、将来世代の労働成果でない。マクロの実物経済という視点からは、「世代格差」ってなんだということになる。

 勿論、公債の累増が待ったく問題ないと言っているのではない。
 公債とは、公債を購入できる金融的な富裕層が、税負担から資金の償還を受けるものである。この「金融的な富裕層」とは、現時点において労働力を豊富に提供した者ではなくて、過去・現在の購買力配分のルールの結果、購買力をなぜか相対的に多く保有している者にすぎない。そういう者に、現在の労働成果である法人税や所得税によって徴収された資金が配分されるというのは、逆進性を持っている蓋然性が高い(勿論、公債保有者が年金基金等零細資金を集合させたものである場合には成り立たない。また、税金が資産課税によって主として賄われている場合にも議論が異なる)。
 公債によってファイナンスされる資金の使途が、不平等感を涵養するような使い道になっている場合にも適当とは言えない。例えば、年金の場合に問題になるように、国民年金について一般会計繰り入れでファイナンスしており、結局、この繰り入れを公債でファイナンスしているが、国民年金を保障される人たちが、公的資金による助成を受けることを正当化される人々に限定されているのかという疑問がある(こういう点から、生活保護と国民年金を一本化して、負の所得税にすべきという議論が出てくる)。しかし、これは公債償還時の税負担をする世代と現在年金を享受する世代の問題ではなく、現在の公的資金の使途としての妥当性の問題であり、公債の問題ではない(仮に、国民年金の財源不足を税や埋蔵金で補っても、問題の本質が年金支給の不平等なのだから、何の問題の解決にもまらないことが理解されるだろう)。
 勿論、反論として、現在の公債発行増により、公債償還時の年金支給のために増税が必要になれば、若年世代から高齢世代への資金移転が起こり問題だという点を上げる者も出てこよう。ここで、「世代」の言葉のすり替えが起きているのだ。
 増税でまたなった資金を年金として支給するというのは、まさに典型的な所得再分配政策であり、所得分配としての正当性を議論すればよく、あくまで公債償還=増税時における年齢格差であって、公債発行時の社会が、公債償還時の社会を搾取しているのでなんでもない。
 そもそも、何度も言うが、タイムマシンが存在しないのだから、実物経済として、将来世代を搾取した、負担を押しつけたりはできないのだ(将来世代の生産性向上のために現代世代が実物資産を残すことができるが)。

 だから、公債発行については、それが所得再分配にどういう影響を及ぼすかという厚生経済学的規範的議論があり、ごく子細な問題としては、公債償還時の歳出自由度を欲する人にとっての「支配欲求」の問題はあるかもしれないが、喧伝される「世代間格差」なんてものは存在しない(それは、サミュエルソンモデルが世代間への資源移転の経済効率性を論証するレトリックとして構築した重複世代モデルの過剰な利用だ。債券を加味した世代重複モデルの使用というのは、クルーグマンが編み出したベビシッターモデルのように貨幣の効率性と限界を巧妙に説明するようなモデルに限定すべきだろう)。
 いわんや、復興財源論の議論に、世代間負担の論法を持ち出して、増税を求めるようなロジックは極めて危険なファシズムだと思う。

復興財源論という欺瞞

 少しずつ、東日本大震災の緊急対応から、被災者のより長期的なケア、そして復興対策へと議論の舵が切られつつあるように思う。
 そこで、鎌首をもたげてくるのが、「復興対策の財源論」だ。

 ここでの争点は、復興のための施策に要する財源を「増税」で賄うか、「国債の日銀引き受け」で賄うかという、財源論だ。
 しかし、ちょっと待って欲しい。
 財源論は何のために行うのかということを等閑視して、(マクロ経済学の)抽象的なロジックを用いて、財政が破綻するだの、デフレ対策に効果があるだのという議論に、何の意味があるのだろうか。

 日本国政府が、復興対策としてしなければならないこと、それは、抽象的な金額の議論ではないはずだ。
 そうではなくて、日本の国土に住む1億2000万の人口、そして実物資本(要すれば生産活動に利用できる具体的な機械設備のこと)を、如何にして効率よく、つまり気持ちよく復興という事業に投入するのかということだろう。
 そもそも、日本では、「緊急雇用対策」を論じ、自殺対策をしなければならないほどに、仕事を求めてやまない人がおり、遊休設備が滞っている。
 こういった遊休労働力や遊休設備がいつ早く復興へと向けて稼働できるようにするのが政府という公共的意志決定主体の役割であろう。
 特に、被災地域については、住むところが欲しい、道路を直して欲しいという、非常に分かりやすい「欲求」が堆積しており、かつ、そこを復旧させ平時の状態に戻すことに異論のある国民はいなかろう。
 とすれば、必要なことは、その目的で人や機械設備を投入するため、働こうという人や機械設備の保有者に、どうすれば被災地の具体的な復興需要へと動員される気になるかを聞いて見ればよいに過ぎない。というか安全に相当程度の報酬であれば、動員されるであろう。あとは、その順番付けをしていけばよいだけだ。
 そして、その安全な環境整備と報酬に必要な資金を、そういうものとして、どのよう調達することが、スピーディーでトータルコストが低いのかを考えれば良いにすぎない。

経済学的に言う費用とは、「ある目的に経済資源を投じた費用とは、その資源を他の目的に投じたときに得られた便益の最大のもの」である。すれば、復興のために遊休資源を動員できるように、仕組みを作ることのコストは0ということだ。なぜならば、その仕組みがなければ、その遊休資源は無為に何の生産活動にも使われていなかったのだから。

 どうも、直ちに打たれる23年度の補正予算は、既存の予算の範囲内で、新規の財源調達をせずにできることに限定されようであるが、仮に、本格的な復興事業事業への着手が「財源調達」論のせいで遅れるのであれば、被災者の皆さんは本当に不幸だと思う。
 ちなみに、復興事業のように「へこんだものを元に戻す」、そして遊休資源の動員のためのインセンティブ作りという事業の性格からすれば、増税などという議論がなぜでてくるのか、全く理解できない。
 財源論の前に、復興事業が復興のための経済資源の動員であるという点で、共通認識をもつ必要があると思う。

 繰り返しになるが、復興のために必要なのは、通貨ではない。あくまで、復興のために働く人であり、稼働する実体のある設備なのだ。税金でも、国債でも、貨幣増発でもない。財源論なる問の建て方自体が間違っている。重要なのは、復興のためにリアルな人、設備を動員することであり、そのために通貨が必要なのであれば、その通貨を、制約要因を加味した上で、最も効率よく調達する方法を考えればよい。くれぐれも、条件付き最大化問題における、目的関数と制約式を取り違えてはならない。

2009/11/20

そして、金融調節=財源対策

ここからの続き。


 景気回復策が模索されている現状においては、財政のファイナンス方策についても景気対策としての側面に留意しなければならない。つまり、財政支出のファイナンスを増税で賄うのでは、(限界消費性向の高く、流動性制約下にある者への所得再分配という限界的効果をのぞくと)総需要を拡大させる効果を期待できない。
 また、市中消化による国債発行では、結局既存の金融資産が国債に変わってしまい、一種のクラウディングアウトが生じることとなる(通貨増発効果が減殺される)。とすれば、足下においては、財政支出を増加させるためのファイナンスは、国債増発、それも通貨増発効果を併せ持つ、中央銀行引き受けで行うべき状態にある。

 この点は、日本銀行単体の金融調整の効力が低下していることからも、支持されよう。というのも、日本銀行による従来型のインターバンク市場を中核とする金融市場経由の金融調節では効果がなくなっている(銀行の貸し渋り現象や企業の資金余剰主体化)。そもそも、金融機関の信用創造行動が、オーバローン、オーバーボロウーと表された「銀行の積極貸し出し行動」から大きく変化せざるを得ない時代において、銀行の貸し出し行動を前提とした制度設計では、意図した金融調整機能が発露しないのは当然である(また、これが、日銀は受動的金融調節しかできないという日銀理論の「論拠」となり、日銀のパフォーマンスの悪さの免罪符となっている)。
 また、更にいえば、動学的効率性条件が満たされていない、つまり「その経済における投資収益率が成長率を上回る」 という条件が満たされていない現状の日本経済では、投資行動を「喚起」するタイプの金融マクロ経済調整手法は意義を持たないといわざるを得ない。

 この点、直接給付的手法を財政支出の中核的戦術として採用し、そのファイナンスを中央銀行引き受け=通貨増発で執り行う場合には、対象を社会的弱者という一般的には消費性向の高い者に調整することによって、直接消費を喚起するという効果を有し、かつ「金融政策」の経路としても、確実に通貨増発効果を期待できるということから、金融政策と財政政策の適合性が高い政策ミックスとなると評価できよう。

 なお、国債増発というと、将来への負担の先送りだという批判が脊髄反射的に繰り出されるが、日銀のバランス・シートを拡大させたままで維持すれば、「負担の先送り」という議論は成り立たない。つまり、国債を日銀引き受けで発行し、その国債の償還期限が到来した暁には、その借り換え原資を新たな日銀引き受けの国債で調達すればよい。これにより、日本銀行のバランス・シートの額は維持され通貨の縮小を招かずに済むことになる。
 金利の問題についても、日銀引き受けであれば、日銀への利払い分をそのまま国庫納付金として国庫に償還させればよいのであり特段の問題ではない。国債の市中消化とは、消費税を含む将来の納税収入を金融資産保有者に対し再配分することを約束するものであり、所得・資産配分が非常に逆進性を有している。通貨供給を増加させることが必要とされていて、中央銀行引き受けによる国債増発の余力の大きい現状の日本においてあえて逆進性の高い原資調達を行う必要はない。
 この面からも、景気対策(や成長戦略)のための財政支出原資は、中央銀行引き受けで調達されるべきである(少なくともこの1~2年間は)。


そして、まだ続くのです。

2009/10/08

国債増発への期待と出口戦略への懸念

リンク: 政府 税収減で国債増発へ - ココログニュース

赤字国債発行へ=税収減不可避、10年度予算編成-政府方針 10月6日 時事通信

 政府は5日、2010年度予算編成に関し、歳入不足を補うため、赤字国債を増発する方針を固めた。10年度税収は09年度当初見通しの約46兆円を割り込むのは確実で、政府は40兆円を下回る可能性もあるとみて、不足分は赤字国債で賄わざるを得ないと判断した。
 鳩山由紀夫首相は就任前から、一貫して国債増発を否定してきた。しかし、昨年秋からの景気低迷で法人税や所得税などの税収が大きく落ち込み、09年度税収見通しは下方修正が避けられない情勢。首相は10年度予算編成に当たり、厳しい現実に直面して路線変更を迫られた形だ。 

 そもそも税収見積もりの見込み違いによる「穴埋め」について、民主党政権を批判するのは筋違い。マクロ政策的には、国債発行はもっと増やして良い、それも市中消化では、税金が原資となる利子を国債を購入する余裕のある資産家に支払うという、非常に所得配分を格差拡大方向に傾けることになるので、日銀引き受けで行うべき。

 その一方で、下記のように日銀は、はやくも出口戦略を検討などと報道され、それに対し「闘志」亀井金融大臣が懸念を表明しているそうだ。

日銀などの臨時異例の措置、出口論探る時期ではない=亀井担当相 10月6日 ロイター

 亀井静香郵政・金融担当相は6日の閣議後会見で、金融危機への対応として日銀が企業金融支援のためコマーシャルペーパー(CP)や社債を買い取る臨時異例の措置などについて「(足元の)景気は回復過程に入っているとは思わない」とし、出口論を探る段階では「ない」と述べた。

 残念ながら、橋本行革時代に唱われた「日銀の独立」などというものが、結局、日銀官僚組織=金融機関支援組織の独善を生んだだけであったということ。
 近時のマクロ経済学の進歩及び各種の金融調整実務の積み重ね、就中、日銀の反面教師を踏まえ、世界中の中央銀行が「期待」に働きかけることの重要性、特に緩和期待の重要性をいかに涵養するかに腐心しているのに、自己の過去の過ちを学ばない日銀という組織には呆れると言わざるを得ない。
 物事、出口を見据えておくことは大事だ、しかし、出口のタイミングを図る基準、契機を曖昧にしたまま、出口戦略をちらつかせるのは、戦術論として愚の骨頂である。マクロ経済上の指標をきちんと明示した上で出口措置を講じる時期を炉汁べきで、「市場が正常化しつつある」などというご託宣はたくさんだ。

 とにかく、日本のマクロ経済状況を自殺しなくても良い状況に復帰させるため、個別の助成先・政策対象を選別し、仕切りたがって、成果を出せない官僚機構にも、与信先選別能力について圧倒的な不信を持たれている日銀・金融機関にも頼れない以上、人為=政治による所得再分配を、国債増発(日銀引き受け)+生活困難層への直接給付という財政・金融政策のハイブリッドで展開するべき時だ。

2009/10/04

民主党の「リフレ派研究会」?

「金融ボーイズ」の血騒ぐ  2009年9月28日 AERA

デフレ音痴の党変える
 もう一つは、鳩山政権の経済政策の中で最大の難所となるデフレ対策。バブル崩壊後、自民党はデフレを克服できず、選挙や構造改革の足を引っ張り続けた。この間、物価や所得の減少によるデフレの痛みと、構造改革による痛みを政治もメディアもあえて混同し、既得権を持つ人たちが「痛み!」を連呼。冷静な経済議論をかき消してしまい、デフレの処方箋は、迷走し続けている。
 2007年の名目GDPは515兆円、10年前の1997年も同じ515兆円で、「成長」の跡は見られない。
 夫が「給料は3万円減ったが、物価下落の影響を除いた実質値は5000円アップになる。昇給したのと同じだからお祝いをしてくれ」と言って喜ぶ妻はいない。やはり、給与の3万円ダウンは深刻に受け止められるが、それがデフレのせいなのか、構造改革が原因なのかを追究する夫婦もいない。
 同じような状況が経済全体で起きているのだ。
 そこで、鳩山首相の側近であり、旧東京銀出身の小沢鋭仁環境相は昨年、「リフレ研究会」なるものを党内にひっそりと立ち上げた。「リフレ」とはマイルドなインフレで物価下落をとめる金融政策で、持ちかけたのは意外なことに道路問題の追及で忙しいはずの馬淵澄夫氏。元財務官僚の大串博志氏らも参加した。だが「日銀にインフレターゲット政策をのませ、2%程度の物価上昇を起こすのが民主政権の課題です」と刺激的に話す識者の勉強会に招かれた当時代表代行の菅直人氏は一言、
「非常に面白いが、民主党の言っていることとすべて逆じゃないか。急に逆はできないよね」
 野党時代の民主党にありがちだったデフレ観は「物価が下がることは暮らしやすくてよいこと」「金利生活者のお年寄りのために金利は上げるべきだ」といった感じで、国民にはわかりやすいが、人気取りを狙った素人感覚の域を出なかった。デフレで不良債権処理にのた打ち回った銀行ボーイズから見れば、「噛みつきたくなるような問答」だったという。
「財政と金融は一体なので政府にマクロ経済がわかるプロが増えることは不可欠。デフレもすべてが悪いわけではないが、行き過ぎは問題で、金融緩和を日銀と一体となって進めるべきです。無駄削りは必要だが、必要な財政投資もあります」(今井氏)


 この辺り、民主党の「庶民派感覚」での「金利低下=銀行ぼろ儲け」という発想は短絡と言わざる得ない。しかし、資本市場(インターバンク市場、国債のバルク市場)を経由した銀行のコスト構造を因果経由とする信用創造について、不信感あるいは、もっと激しい表現で言えば、不公正感があるのも事実。
 とすれば、マクロ経済改善のために政治的に可能な方策とは、日銀にファイナンスを「強制する」財政法5条ただし書を発動して、財政を通じて家計を直接支援するということ、つまり「見える手」による信用拡張=リフレということなのかも。

 国や自治体が「無意味な」道路や構築物(国立マンガ喫茶)を作るという経路を通じた財政政策、金利や金融機関の資産構成の変更といったコスト効果を通じ市場経由の金融政策、こういった旧来型のマクロ政策に対する不信を払拭して、デフレ払拭の効果のある政策を実施するためには、やはり、財政法5条ただし書を発動して、日銀引き受けで国債を発行し、社会保険への「補充」や流動性制約下にある家計への直接給付(価値財的発想からはバウチャーの導入)へそれらの原資を当てるという方策しかないであろう。

2009/10/03

預金取扱機関への不審

金融機関の融資監視へ 金融相「返済猶予後も支援を」 2009年10月2日 asahi.com

 亀井静香金融相は2日、銀行からの借金返済を猶予する措置(モラトリアム)を受けた企業に対しても、追加融資といった資金繰りの支援を続けるよう、金融機関を指導していく方針を明らかにした。全国に900人以上いる金融庁や財務局の検査官を動員して、融資状況を監視させる。


 こういうことを言われる前に、日本の預金取扱機関は、何らかの代替策を提示してしかるべきだったのではないのでしょうか。 
 というか、はるか昔から日本の預金取扱機関の貸出先審査・選別能力には疑義が呈せられてきました。さらに、目下のデフレ・プロセスにおいて、日銀の緩和抑制スタンスとともに、この預金取扱機関の姿勢が、金融緩和プロセスにおいて最重要の信用創造過程をつぶして来た訳です。にもかかわらず、株主利益と預金者保護を金科玉条にして思考停止に陥ったきた訳です。
 貸出機関としての「公共的」役割、資金循環を円滑にするという役割についての不信感を払拭しないから、モラトリアムに対する「自業自得」という国民意識の底流が生まれているのだと思います。
 日本の銀行が、土砂降りの時に傘を差しだしてくれる、トトロに出てくる少年のようだと評されるようになれば、このモラトリアムの話も立ち消えとなるでしょう。

 また、「一方、いわゆる日銀の行う金融政策についても、その政策が依拠する金融市場の「自律」メカニズムによって、予定調和的に市民の公正概念に適合するような資金の拡散・分配が実現するなどという「幻想」も剥落している」訳で、この資金循環上の目詰まりを解消しないことは、マクロ経済的にも問題であるのですから、その点についての自覚が求められると思います。
 ただ、この目詰まり解消にモラトリアムが意義を有するかと言えば??????

追記:
リンク: 政権交代で景気後退!? - ココログニュース

 こういう論調が出てくるのも理解できるが、ことモラトリアム問題については、既存の預金取扱金融機関の内包する問題が大きい。これは、前政権においても問題視されていたものだ。
 この金融目詰まり問題を含め、現下の経済問題を民主党政権への政権交代によるものとするのはどうかと思うし、株価がご祝儀相場で動かないことは、マーケットが冷静である証拠ではないか。

2009/09/29

財政政策と金融政策の実質的差異とは何なのか?

新ケインズ派DSGEからみた経済政策に関する教訓

~ハリ・セルダンになりたくて~より


 今のところ、矢野の理解する「新ケインズ派DSGEからみた経済政策に関する教訓」は以下のようにまとめることができます。

1. 景気対策の中心は中央銀行による金融政策である
2.中央銀行は政策金利がゼロ金利になっても将来の期待に働きかけることで景気回復へ貢献できる
3. デフレ期待は投資を抑制する(投資に摩擦がある場合のトービンのqによる)
4. 流動性制約下の家計が一定の割合いる場合には財政政策もそれなりに効果がある
5.資産価格を取り入れたフィナンシャル・アクセラレーターDSGEにおいてもインフレ率安定が最重点政策であることは変わらない


マクロ経済政策を実施する手法として、「金融政策」と「財政政策」のどちらが優れているのかという議論がある。近時のマクロ経済学の進展においては、上記の整理のように、金融政策を評価する論調が強くなっている(私個人は、上記の整理に強く同意するもの)。財政政策の積極論拠とされた乗数効果の存在も否定されれつつあるのだから(例えば、小野「不況のメカニズム」を参照 )。

 しかし、そもそも財政政策と位置づけられる具体的な財政(支出)活動と金融政策として通貨当局、つまりは日銀の活動/オペとの間にある実質的な効果に関し、差異/境界戦線は実は曖昧なのでではないか。

 例えば、「天下の愚策」とされた先だっての定額給付金は、財政政策なのか、金融政策なのか?
 給付金が、市中で運用されていない国の資金、つまり国庫に帰属する実物資産を「原資」として実施されたものであれば、金融政策的効果を持つものではない(実物資産を処分して、給付金の原資となる市中の通貨を一旦吸収してはき出しているだけだから)。しかし、国債増発、特に日銀の長期オペが追随する形で行われる増発によって歳入が図られたのであれば、その効果において金融(緩和)政策であったと評価できよう。それは、一般の金融緩和策とはことなり、作り出された信用が、市中の金融市場を経由して無人格的に拡散するのではなくて、政府の人為によってその拡散の方向付けがされたということである。
 日銀のオペと連動しない場合であっても、市中の実物資産が国債に代替する形であれば金融緩和政策的効果を生じよう。金融資産と国債が代替してしまう場合には、評価が微妙となるが、金融(緩和)政策的効果は期待できまい。
 他方、増税によって賄えば、市中から通貨を国庫に吸収して、それを市中に戻すだけであるので、金融政策的効果は存在すまい。これは実物資産を処分して原資を調達した場合と同様である。資金の国庫への吸収が、任意の経済取引によって生じるか、税収という強制措置によって生じるかの違いでしかない。

 とすると、結局、金融政策と財政政策の効果においての差異とは、国の移出・歳出をどのようにファイナンスの方法にあるのであって、その実施機関の差異によるものではないということだ。それゆえ、上記のエントリの「1.景気対策の中心は中央銀行による金融政策である」の「中央銀行による」の部分は割り引く必要があろう。勿論、通貨当局が財政支出に追随する必要があるという点を強調するのであれば、その通りだが。
 ただし、通常想定される通貨当局による金融緩和施策と、国債の日銀引き受けを原資として財政支出の拡大を行う場合とでは、(特に、支出が直接の移転支出とされるとすると)資金の経由機関、拡散メカニズムの差異が生じるということになる。逆にいえば、その程度の違いでしかないということになる(まあ、この点では、日銀のオペの遂行方法に対する不信を表している点では、中央銀行中心主義を信頼しないという意味で、非常に重要な含意を持っているのかも知れないが)。

 こう考えると、財政政策という手法は、独自のマクロ経済手法として存在してはおらず、課税理論で議論されているような、デッドウィエイトロスを生み出す所得財分配効果しかないってことでしょかね。この辺りは、上記の「4.流動性制約下の家計が一定の割合いる場合には財政政策もそれなりに効果がある」という財政政策に対する評価と整合的な理解ということになるのでしょうか。


更に、こで注目しないといけないのは、政策手法により、「資金の経由機関、拡散メカニズムの差異が生じる」という点。
 近時の民主党の直接給付措置の重視という姿勢がはっきりと看取することができる。
 国が具体的な財・サービスの直接購買に支出するのではなくて、相対的に流動性制約、資産制約に陥りやすい市民層への移転支出に回すという政策活動に正当性があるように感じられるということだろう。言い換えれば、国が具体的な財・サービスを合理的に選択するという能力が欠如していると評価されているということなのであろう。一時期の公共事業神話のように、国一丸となっての成長というコンセンサスがとれなくなっているということだ。
 一方、いわゆる日銀の行う金融政策についても、その政策が依拠する金融市場の「自律」メカニズムによって、予定調和的に市民の公正概念に適合するような資金の拡散・分配が実現するなどという「幻想」も剥落している。
 よって、マクロの分配は財政=金融政策として、国庫を通じた人為的購買力分配を図りつつ、個別の財・サービスの選択は(一定の価値財志向を残す範囲で)個々の市民の選択に任せるという仕組みでの対応が、そこはかとなく出てくるのであろう。この辺り、社会保障について、バウチャー的発想、措置から契約へという議論は、こういう思想的、市民感情的潮流を反映していると評価できるのではないだろうか。

 同時に、国債を原資とする直接給付というマクロ経済政策が志向されるとすれば、それは、以前のエントリーでも指摘した「官僚パッシング」と「小さい政府」が政策志向として共存しているということであり、「税金の使い方に、我々国民(実際には、個々人)の意向が反映されていない」という不満の表出が政治的に「くみ取られた」ということなのかもしれない。
 ちなみに、ここでも述べたように国債を相当程度発行することは、それを適切に日銀に引き受けさせれば、将来世代への負担の先送りになどにはならないので念のため(若干のインフレはあるかもしれないが、今日発表の消費者物価指数(平成21年8月分、同9月中旬東京都区部速報)はまたまたデフレ傾向(前年同月比マイナス)を見せているのだから問題なし)。

 いずれにせよ、こういう動静は、政治社会学として、「選挙とマクロ経済政策の関連」という興味深い課題を提供していると思う。

2009/01/22

今日の日銀、金融政策会合

 本日2009年1月22日、日銀の金融政策会合において、昨年2008年末に決まっていたコマーシャル・ペーパーなどを直接購入して、市中に直接、信用=流動性を供給するべく、具体策を決定した。
 しかも、その規模は、事前のマスコミ等の予測であった2兆円をを超える、3兆円とのことだ。(「企業金融に係る金融商品の買入れについて」の別紙 「コマーシャル・ペーパー等買入れの概要 」)

 これは英断として評価されると思う。
 これで明日以降のマーケットにおけるスプレッドの動向、更に、90円前後を推移する円高基調の為替レートについても、どういう影響が出てくるのか注視されるところだ。

 ただ、残念というか、やはりというか、国債の買い入れ方針については、変更はなく、年間16.8兆円が上限となっている。(「長期国債買入れの当面の運営について 」

 既に、2008年の二次補正予算が参院で審議中であり、2009年本予算についての審議の緒にもついていないが、既に、2009年の補正予算という報道も出てきている。例えば、ここ

 昨日就任したオバマ大統領へのクルーグマンの「アドバイス」にもあるように、世界全体、特に欧米において、財政出動機運が高まっている。その動機において、政治的側面が強い、もっと直裁にいえば、選挙目当てではあるとはしても、さらなる財政出動へと日本も舵をきろうとしている。しかし、特別国会の剰余金などで賄えなくなる時期もそう遠くない。
とすれば、内閣と日本銀行の協調を演出して、「ビッグ・イベント」「レジーム転換」が求められることになるではないか。そのためには、例えば、長期国債の買い入れ上限なども、次年度の新規発行国債約33兆円に相当する分を買ってしまうというのも一つの考え方ではないか。
 いずれにせよ、レジーム転換が、日銀引き受けなのか、長期国債の買い入れ上限の撤廃なのかは分からないが、デフレ期待の払拭のためにも、慎重居士ではなくて、思い切ったスタンドプレーが必要だ。

 白川総裁も、

日本の場合には、相当、足もとの状況が悪化しているが、米国に比べれば、悪化の度合いは限られている。そうした中、日本が米国と全く同じ措置を取ると、金融資本市場の機能を低下させてしまう。FRBもバランスを取りながら、政策設計を財務省と相談して行っているが、日本銀行も、先般、決定会合で議論を行い、CPの買取りも含めて他の金融資産についてどういった対応があり得るかということを、現在、真剣に検討している。

(平成 21 年第2回経済財政諮問会議 議事要旨 10P)


などといっていないで、「異例の措置」でいいから、できることは全部して欲しい。また、国会の方も、定額給付金の話ばかりではなくて、財政法5条ただし書の発動を真剣に議論して欲しいものだ。


2014年9月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ