統治のあり方

2014/09/17

「4-6月期と1-3月期を平均すれば昨年の10-12月期よりも高い水準」という欺瞞

またぞろ内閣府の何とか会議では、足下の景気を悪くないとうそぶいているようだ。

その根拠が、今年の1-3月期と4-6月期のGDPの平均は、昨年の10-12月期よりも高いということだそうだ。これは明らかに統計でごまかしをしようとしている典型的な論法。

Gdp_6

最大の問題点は、「在庫純増」の取り扱い。


4-6月期のGDPの二次速報の前期比はマイナス1.8%の低下だが、需要項目のうち、プラスの寄与をしているのは、在庫純増と純輸出だけである。

これだけでも、国内の自律的な需要が弱いことは明らか(特に、純輸出のプラスは輸出の増加ではなくて、輸入の低下であり、これも内需が悪いことの間接証拠)。


そして、問題は在庫の前期比寄与度がプラス1.4%もあること。

こんなにひどい在庫の積み上がりが生じたのは、丁度リーマンショック直後の2008年10-12月期。こういう経済環境の悪い時にしか生じないような在庫の積み上がりが生じているのだ。

鉱工業指数でみる在庫循環(生産と在庫)も在庫積み上がり局面(出荷と在庫でみると、完全に)に入ろうとしており、4-6月期の在庫の増加は決して前向きの「積み増し」ではなくて、企業が意図しない「在庫の積み上がり」(要すれば、97年と同じで根拠のない需要予測から作りすぎている)であることは明らか。

その「需要」があるので、結果的に4-6月期はマイナス1.8%に留まっているのであって、これを除けば需要の減退はマイナス3%以上になる。


今回のマイナス1.8%に対して、確かにリーマンショックの時は、GDPが前期比マイナス3.3%低下であったが、この低下の大部分は純輸出のマイナス2.9%低下寄与によるもの。

内需の各項目の寄与度はマイナス1%前後に留まっている。しかし、今回の民間最消費支出の低下寄与はマイナス3.2%低下であり、他を圧倒して内需が悪いこと示している。

 

その何とか会議に参加している企業経営者は、PLを読むことが全くできないのだろう。どこの企業に、PLで在庫純増を会計上の売上げと認識する人がいるだろうか。

その何とか会議に参加している経済学者もいるそうだが、マクロ経済学の学部の1年生の最初からやり直した方が良いと思うよ(実績と計画の均衡の区別が全くできていない。普通それが分からないと単位はもらえないと思うよ)。

 

来年10月という1年以上も先に消費税を上げることが良いかどうかの判断はしかねる。

しかし、現在の景気の状況を「回復」とか、「良い」という欺瞞で塗り固めるのは止めてもらいたい。ただちに、対策(金融政策も含めて)を講じるべきだ。

 

捕捉

 ぼちぼち出始めた8月の動向も悪いですね。

 乗用車の売上げや百貨店の売上げ(実質的な前年比は増税分を割り引くとマイナス)、貿易統計の8月上中旬の赤字も前年比で増加。マンション販売も悪いし、外食もだめ。いいとこ全くないですが、これで景気が回復とは・・・・

2011/04/06

復興財源論という欺瞞

 少しずつ、東日本大震災の緊急対応から、被災者のより長期的なケア、そして復興対策へと議論の舵が切られつつあるように思う。
 そこで、鎌首をもたげてくるのが、「復興対策の財源論」だ。

 ここでの争点は、復興のための施策に要する財源を「増税」で賄うか、「国債の日銀引き受け」で賄うかという、財源論だ。
 しかし、ちょっと待って欲しい。
 財源論は何のために行うのかということを等閑視して、(マクロ経済学の)抽象的なロジックを用いて、財政が破綻するだの、デフレ対策に効果があるだのという議論に、何の意味があるのだろうか。

 日本国政府が、復興対策としてしなければならないこと、それは、抽象的な金額の議論ではないはずだ。
 そうではなくて、日本の国土に住む1億2000万の人口、そして実物資本(要すれば生産活動に利用できる具体的な機械設備のこと)を、如何にして効率よく、つまり気持ちよく復興という事業に投入するのかということだろう。
 そもそも、日本では、「緊急雇用対策」を論じ、自殺対策をしなければならないほどに、仕事を求めてやまない人がおり、遊休設備が滞っている。
 こういった遊休労働力や遊休設備がいつ早く復興へと向けて稼働できるようにするのが政府という公共的意志決定主体の役割であろう。
 特に、被災地域については、住むところが欲しい、道路を直して欲しいという、非常に分かりやすい「欲求」が堆積しており、かつ、そこを復旧させ平時の状態に戻すことに異論のある国民はいなかろう。
 とすれば、必要なことは、その目的で人や機械設備を投入するため、働こうという人や機械設備の保有者に、どうすれば被災地の具体的な復興需要へと動員される気になるかを聞いて見ればよいに過ぎない。というか安全に相当程度の報酬であれば、動員されるであろう。あとは、その順番付けをしていけばよいだけだ。
 そして、その安全な環境整備と報酬に必要な資金を、そういうものとして、どのよう調達することが、スピーディーでトータルコストが低いのかを考えれば良いにすぎない。

経済学的に言う費用とは、「ある目的に経済資源を投じた費用とは、その資源を他の目的に投じたときに得られた便益の最大のもの」である。すれば、復興のために遊休資源を動員できるように、仕組みを作ることのコストは0ということだ。なぜならば、その仕組みがなければ、その遊休資源は無為に何の生産活動にも使われていなかったのだから。

 どうも、直ちに打たれる23年度の補正予算は、既存の予算の範囲内で、新規の財源調達をせずにできることに限定されようであるが、仮に、本格的な復興事業事業への着手が「財源調達」論のせいで遅れるのであれば、被災者の皆さんは本当に不幸だと思う。
 ちなみに、復興事業のように「へこんだものを元に戻す」、そして遊休資源の動員のためのインセンティブ作りという事業の性格からすれば、増税などという議論がなぜでてくるのか、全く理解できない。
 財源論の前に、復興事業が復興のための経済資源の動員であるという点で、共通認識をもつ必要があると思う。

 繰り返しになるが、復興のために必要なのは、通貨ではない。あくまで、復興のために働く人であり、稼働する実体のある設備なのだ。税金でも、国債でも、貨幣増発でもない。財源論なる問の建て方自体が間違っている。重要なのは、復興のためにリアルな人、設備を動員することであり、そのために通貨が必要なのであれば、その通貨を、制約要因を加味した上で、最も効率よく調達する方法を考えればよい。くれぐれも、条件付き最大化問題における、目的関数と制約式を取り違えてはならない。

2011/03/19

震災復興のための広域搬送と受け入れ先確保のために総理がすべきこと

徐々に交通拠点網が復活しつつある中、ここ1ヶ月については広域搬送網の整備が問題になります。これなしには、被災地への物資補給も被災地からの重傷者の広域搬送による被災地負担軽減もままなりません。報道を見る限り、あまり優先順位をつけずに場当たりで「できたところから」になっているようですが、これでは、日本全体に「血栓」を広めているようなものです。いつまでたっても効率化されません。
いずれにせよ、短期の受け入れ施設(宿泊施設、要介護者の受け入れ、保育所、病床)の特例的整備を同時に実子しつつ、広域搬送の「定型化」、つまりルートの固定化が必要になります。また、この瞬間は、広域で被災地に「ものを入れる」ということだけに注力されていますが、向こう1ヶ月程度の期間では、被災地の負担を低減するため、乳幼児(母子)、病者、老人、障害者等の弱者を被災地域から運び出すことが、全体の負担を低減させることにつながりますから、こちらを計画的に進める必要があります。
 このためにも、比較的余裕のある遠隔地の余裕のある空間に空路及び海路で人を搬出するロジスティックを構築するべきです(前回のエントリーにあるように、関西経済圏との関係から空路は静岡、海路は金沢を拠点にするのが良いと思います)。


 さらにまた、ここ半年程度では、被災者の受け入れ先(居住場所)確保が問題となります。この点での最大にポイントは、被災者を受け入れる自治体等の組織体が得をするメカニズムを早急に講じる必要があるという点です。これは、日本国の予算案発議権を憲法上専有する内閣の長たる総理の決断でしか可能とはなりません。
 つまり、23年度初頭に組み替えられるであろう補正予算において、地方交付税の算定基礎に、被災4県(原発の関係で茨城を入れます)に住民票を有する者が半年以上滞在した場合には、一人につき数百万を交付税として交付すると総理が言明するのです。あるいは、短期1ヶ月程度の被災者受け入れ経費として自治体が負担した分は、23年度補正予算で全額補助すると言明するのです。
 そうすれば、日本中の自治体が被災者を受け入れようと競争することになるでしょう(ただし、交付税不交付団体である東京都は除かれますが)。
介護施設についても同様で、被災地からの要介護者等を受け入れれば、国庫からの自治体の保険会計への支出増を背景として点数を上げるとするのです。この資金については、介護保険自体に恒常的に必要となる資金はありませんから、復興債で賄っても問題はありません(ちなみに、復興資金調達の問題については、矢野浩一先生が素早くモデル解析をなされています http://dl.dropbox.com/u/2260564/tohoku/tohoku001.pdf )。
 先に述べたように、被災者の広域搬送先では特例的な受け入れ施設整備が必要になりますが、緊急的に整備された人的・物的ストックで移動可能なものは、今後の被災地における復興住宅整備に転用することも必要でしょう。
 また被災避難者に介護福祉士、保育士、理学療養師、看護師等の資格をとるための研修・教育を避難地の専門学校等で行うという手がありますが、そのような被災者のための介護士、保育士教育についても、そのような生徒を受け入れた専門学校や看護学校に雇用調整助成金から支援を出せばよいのです。
昨晩のような総理演説よりも、被災者を受け入れた者・組織体には、最大限の財政支援をするという「内閣の重要政策に関する基本的な方針」を論じることが総理の仕事です。おそらく、現在の日銀であれば、そのために必要な復興債引き受けをする胆力はあると思います。

 なお、被災者の皆さんへの住居対策については、より長期的な視点から、現在の「ストック充実策」のみではなく、流通整備策として、以下のような議論も必要かと思います。

○長期的に人口減少国家であり、かつ、目下のように「明日住むところがなくなった」という者、あるいは劣悪な住居に追い込まれてしまう世帯が増加するという世情における政策目標として、「優良な住宅ストックへの投資拡張」(都市整備を含む。)を設定するという発想自体が、適合的でない。

○目下必要なことは、「住宅賃貸市場」の「機能強化」である。具体的には、賃貸住宅の稼働率が下がりながら、賃貸料や賃貸条件(敷金条件、保証人条件)が利用者に有利な方向に動かない現状をどう打破するか、ということ。

○ごく短期的には、資金弱者が住宅を借りる場合の最大の障害である「敷金」と「保証人」について、この住居契約条件を設けない賃貸業者に対して、資金融通(一定期間の賃料未払いと原状復帰費用の保証)をすることが求められる。これは、生活保護制度と歩調を合わせて行えば、「窓口」に金を積むこと(見せ金)で、生活保護費用の支出を減少させることができる。

○中長期的には、賃貸条件(単純な家賃レベルだけではなくて)において、障害となっている条件、より具体的には、入居時・転居時に必要となる固定費を減少させることが重要であり、そのような入居条件の誘導方向に合致する賃貸住居への投資を促進するような政策(新設、改装費用の融資の条件緩和、あるいは、入居者リスクを保険的にシェアする仕組み=入居者信用リスク情報の共有)が必要である。

○このような仕組みは、特に地方公共団体が、管轄下のどの地域に住民という担税力を集めたいかという観点で、町作りの構想、職住接近(生活支援サービス拠点をどこに)の構想と整合的に進めることが適当であることから、各種の独立行政法人の窓口と市町村が連携することが重要であり、国の資金を交付税等のメカニズムで分配する形で実施する方が良い。

○いずれにせよ、住宅ストック投資の「拡張」によるトリクルダウン論は、
 ・住宅ストックの数量的需要が人口学的に減少する日本においては、スットク投資は無意味であり、これを強行すれば住宅バブル(将来的なローン破綻潜在者の蓄積=被災者の困難の二重化)を招く
 ・住宅ストック投資への税制面、金融面での優遇は、資金保有者(信用力の高い者を含む。)への助成政策であり、逆進的な面が強い
という観点から、不適当である。

○とにかく、スットク重視とトリクルダンウン論という発展途上国的発想から、既存の住宅ストックから生まれる住宅サービスというフローの質の向上と円滑流通(フローの資源配分の効率性重視)という先進国的、成熟国家的発想への転換が必要。

2009/11/19

中核的財政支出方法論~ターゲット戦術の破綻(信用失墜)~

ここからのつづき。


 ここまでの戦略論、つまり政策の目標設定論に続いて、どのような財政支出を構想するべきかという戦術論が必要となる。
 ここで振り替えなければならないのは、一時期の世論調査における「公的支出の無駄排除、官僚嫌悪」と「社会福祉の再建」とが同居している点である。この点をとらえて、一方の論者は「市場主義」(小さな政府)が指示されていると解し、他方は「福祉社会」(大きな政府)が指示されていると主張し、さらに他の論者は、日本人世論の矛盾をなげくといった議論が展開されていた。
 しかし、これは何ら矛盾なく解釈することができ、いわば「ターゲット戦術の破綻」と解釈することができる。

 何らかの経済政策、特に「経済成長志向の政策」と称されるものについては、「選択と集中」の美名の元に、政策リソースえをい特定に経済主体や経済対象(地域)に「ターゲット」を絞って支出されることが多かった。問題は、その「ターゲット」選定の非効率性である。この選定行為は、政治的に決められるか、官僚機構によって決められてきたが、その決定の成果がこととごとく失敗しているということである。典型的には、技術開発政策の支援先決定と公共事業の箇所付けである。これらの選定行為は、その経済成果を強調しようとすればするほど、矛盾を露呈することになる。つまり、経済的にペイするのであれば、そのメリットを享受する人々がコスト負担するはずであって、政策的支援、つまり税金投入は必要ないということである。とすれば、費用便益分析の理論的には、公的政策の対象になるということは経済的失敗が確約されているとも言い得る。
 また、所詮政治プロセス、官僚機構プロセスには「素人」集団であし、選別課程を担える能力をもっていないのである。また、「専門家」を活用するにしても、相当厳しい責任追及制度を含めたエージェント問題を解消する手法を確立しない限り、素人集団は専門家によるレント活動に利用されるだけに過ぎない。
 「公的支出の無駄排除、官僚嫌悪」とは、このターゲットを政治プロセスや官僚プロセスを通じて選定することの不効率、不公正を国民が実感しているということの表象であると考えることができる。国民は公的経済による社会福祉の充実を指示しているのであろうが、それが行政的に「勝手に」選別された経済主体に「給付」されることを忌避しているのであって、いわば「ターゲット戦術の破綻」とでもいうことが出来るであろう。
 
 では、どのような政策実施プロセスを考えればよいのか。
 まずは、どうやっても完全な透明性確保の難しい「供給サイド」の事業主体への「補助」は支持されない。これでは、同じ「過ち」の繰り返すとなるからである。   
 やはり、需要者=消費者=市民側の購買力を「エンパワー」するバウチャー型の直接給付を中核的な財政支出の戦術論とすべきである。この直接給付の対象は制度設計によって広くも狭くもできるが、生活保護給付にみられるような不透明な支給基準設定や支給対象認定を排除するために、その目標設定と実施体制に関し、公務員に対する責任追及の仕組みをしっかり作ることが重要である。
 また、足下で問題となる景気対策上の失業者訓練を時限的に予算化するにしても、雇用調整助成金を浪費する雇用企業側や資格スキルの訓練をする教育機関といった価値・サービスの供給側への助成ではなくて、雇用される個人や訓練を受ける個人をエンパワーするために需要側への支援を基本とする制度設計をおこなうべきである。

 このように需要側をエンパワーすることによって、市場による評価という選択メカニズムが機能することになる。これは、政治的、官僚機構による「セレクション」に飽いた国民感情にもフィットすることになるし、官僚機構等の素人性打破にもつながる(その点では、エコポイント制度は、環境効率性の高い商品に対する市場選考メカニズムを発露させる契機を内包しており、さらなる制度の精緻化の研究余地のある仕組みであろう)。
 政府は、この需要側エンパワーによる市場選考機能の「回復」のための措置、つまり古典的な「市場の失敗」是正策に自らを縮減させるべきであって、需要側の選考能力をエンパワーするような、情報流通の確保、多様なサービスの展開の認識力強化(支援対象メニューのローリング・スパンの短縮)などに努めるべきなのだ。


まだ、つづく。

2009/11/07

新しい政策シンクタンクには、政策実現手段の「実装」が必要

ここからのつづき。


 行政国家化する現代においては、民主的正統性を維持しつつ、行政執行の枠組みを具体化するには、一定の作法・ノウハウが必要なことは否めない(これが行政の専門性という表現の本質である。行政官は、結局のところ、特定の学問分野等の専門家ではない)。というのも、それらの作法とは、行政法として法令群(及び解釈運用の積み重ね)に具現化されるものであり、その範囲内にリバイアサンとしての行政執行権力を統制することにより、人権尊重と民主主義を守っているからである。
 問題は、その法令群を「うまく扱う」ノウハウを官僚機構が独占していることであり、その中で、個人としての官僚も息苦しさを感じている点である。

 この観点からすると、上述の運動体としての「成功例」にも問題があり、それは、 これらの運動体だけでは、結局、政策を具体的な仕組みとして、文字(条文)や財政支出(事業要求)に落とし込むノウハウがないという問題だ。弁護士や法律学者が運動体に関与してはいても、立法作業には特有のノウハウを要する(一例を上げれば、昨今の民法債権法改正試案においても、条文化は意図的に避けている)。財政支出として事業化する場合にも、その要求作業や業務執行フローの設計をどのよう進めるか(財政の民主的統制)という点で、一定のノウハウが必要となる。
 この「ノウハウ独占」という問題を突破するために、何らかの変革をしようにも、その変革のために、立法作業と予算化作業が必要であり、鶏が先か卵が先かという、堂々巡りになってしまう。
 このノウハウが偏在しているのが、官僚機構ということであり、貸金業法や割賦販売法の場合も、官僚機構の中にかの運動体と価値観を共有して実作業を行う官僚個人個人(任期付任用を含む。)が存在したことにより、実現できた面は否定できないのではなかろうか。とすると、このノウハウを自己調達できないという意味で、これらの運動体も自己完結した政策変革の実現単位ということはできない。

 これまでは、業界団体等の利益団体が、官僚機構のこのノウハウを「独占的に」活用して、政策を実現してきた。しかし、これからの日本では、それでは公正な社会は作れないであろう。特に、社会の人口動態の変化とともに、必要な政策課題が変化するなかで、固定的な利益団体では、課題の変化に対応できない。そのため、既存の資源配分を墨守することにエネルギーが注がれることになり、(ヒックス補償基準を加味しての)日本全体の最適化の桎梏になることとなろう。官僚「機構」である限り、既存の利益団体のインプットによって、その機序を作動させることになりがちであり(組織の慣性)、利益集団に包摂されない、本当に政策的対応が必要な面(サイレント・マイノリティー)への目配りが果たせない。

 新しいシンクタンクは、当然のことながら、官僚組織内のリソースを活用できない以上、学者や評論家による理念提案ではなくて、自力で具体的な条文化と予算化(執行体制の設計を必須要素として含む)の提案をしなければならない。それができないと、実現プロセスに載らない「机上の空論」として退けられてしまうだろう。
 そのためには、官僚機構の「ノウハウ独占」を打破するべく、元官僚など、「ノウハウ」を体化(エンボディー)した官僚経験者個々人(現役の官僚を含めるべできであろう)を含む形で、シンクタンクを組織し、常に官僚機構内部での行政手続を追跡・追従できる形で、政策変革の具体策を立案することが適当ということになるだろう。
 政策の執行についてはともかく、政策の立案の局面において、本当に競争=選択肢を作り出すためには、こういう元官僚(や個人としての官僚)を有効利用した組織が、政策執行機関としての行政組織の外に作られる必要があるのではなかろうか。

2009/11/06

サイレント・マイノリティーこそが「政策シンクタンク」の基盤

ここからのつづき。


 そもそも、政策革新を行うためには、相当のエネルギーが必要である。
 特に、現状の日本のように、閉塞感が漂い(相対的)貧困率の高さが問いただされようとしている社会では、これまで以上に多様な政策革新を試みて、閉塞感が打破されるような資源配分を実現する方策を見出すべく、既得権に相当程度切り込むことが必要となる。
 そのためには、政策革新を実現させていく手法として、「変化」あるいは「変革」を望む具体的なニーズを保有している層を発掘・動員し、その運動力・機動力を政策という形に結実させるロードマップを確立する必要がある。

 例えば、貸金業法改正に向けたキャンペーンは、政策実現の手法論としては見るべきものがある。判例を通じて形成された「高金利」規制によって、本来不要な過剰支払いをさせられていた多重債務者の「意思」を集約化させ、訴訟実務の積み重ねを超えて、法改正を実現するための大衆運動へと組織化することに成功した一例であろう。 
 と同時に、この運動は、現時点においては、いわゆる業界団体のような恒常的利益団体として、存在している訳ではなく、目的達成とともに組織体としては消滅した、非常にバーチャルな組織体であった。同様な手法で、「組織化」されつつ、政策を実現させた運動体としては、割賦販売法改正の際の「割賦販売法改正実現会議」などもその例に上げることができるであろう。

 これらの運動体は、その動機の純・不純はともかく、「虐げられている」とされている弱者の「意思」を集約化し、政策化(あるいは政治アジェンダ化)した。そして、それら「弱者」を虐げていた強者から資源がその弱者に還流させる仕組みを作った。さらに、その資金環流の流れから幾ばくかの資金を運動体の構成要素に還元させること(およびその予想)で、運動体を組織し活性化させたと評価できよう(その資金環流の行き過ぎ事例が、昨今の過払い金バブルと批判される不祥事)。

 このように、現状の閉塞感と経済停滞を打破するような政策革新のためには、サイレント・マイノリティーの政策ニーズを政策として具体化し、運動体と組織化し、その資源再配分過程から、運動体/組織体の運営等に要する経費の適正な還流を受けるような「政策シンクタンク」という在り方が、適当ではなかろうか。


以下、まだつづく。

2009/11/05

新しい「政策シンクタンク」のイメージ

 政策の革新、つまりは現状の資源配分を改変し、日本の閉塞感を打破するような政策の立案実現が求められている。このためには、政策企画立案機能の解放、つまり政策の立案分野における競争環境の実現(政策企画の競争原理の導入)を必要としよう。しかし、これまでの「○○総研」とされるような単なるリサーチ機能を担う組織では、この政策革新を望む上で心許ない。

 おそらく、既存のシンクタンクとは異なる、新しい政策シンクタンクとは、

・既存の政治勢力、利益団体によって掬い上げられていないニーズに基づいて、資源配分を変える構想力とそのニーズを組織化するノウハウ(立場)
・国の法体系に基づいて、条文化と予算化を行えるノウハウ

を兼ね備えた組織ということになるのではなかろうか。

 こうった機能を備えた組織のイメージを展開すると、資源配分を変えることによってメリットを受けるプレイヤー(当該政策の直接の裨益層とはずれる可能性がある)から、資金的援助を受けつつ、元官僚等を母集団とする頭脳プールを維持管理する組織ということになる。
 アナロジカルに言えば、資源配分上、政策展開上の弱者を潜在的顧客として、政策サービス実現サービスを売る職人集団というイメージである。


以下、具体論は続く。

2009/10/21

日本の政治はTDLに学べるか

僕がTDLで働いているいた時に一番スゴイと思ったこと

 僕がTDLで働いているいた時に1番スゴイと思ったのは、アルバイトが新しいサービスや既存サービスの改善策を提案してそれがどういうプロセスで実際に現場に反映されるか、全てロードマップとして提供されていて、それを自由に利用することが可能になっていた点。

 何が言いたいかというと、これは政治家とかも良く言うんだが、皆さんのお話聞かせてください!アイディアをください!と言っても、話の通り道とその案内図が無ければ、永久に反映される事は無いと言うことだ。あー、スッキリした。

 憲法上請願権もあるし、そのための請願法ってのもあるけど、これはまあなんの実効性もないというのが、憲法学説上の通説。だから、選挙による選択という方法でしか、日本国民はフォーマルには、政策判断を開示することができない。

 だけど、政策パッケージの選択でしかない。だから、たまたま政治家の耳目を引いたり、官僚機構に恒常的なパイプがないと、個別の政策アイディアを政策検討プロセスに乗せることができない。非常に理不尽なシステムになっている。

 だから、政策実現のロードマップ(それは自動的に採用するという意味ではない)によって、どこに、どういう資格(一定数以上の賛成とか、その賛意を示す人に資格制限を設けるとか・・・)であれば、政策提案ができるのかを、明確にするというのは、民主的立憲主義という思想からして、非常に有効かも。

2009/10/17

キャリア制以外のスタッフ公務員

 ここの続き。


4.メリット(キャリア)制以外のスタッフ公務員

 「選良」たる無任所大臣制度が「使えない」最大の理由は、その無任所大臣を支えるスタッフ機構が存在しないためのでると考えられる。
 日本の行政組織法制度では、常設の一般職公務員組織は、内閣官房、内閣府、国家行政組織法上の行政機関しか存在しない。そして、これらの組織の長とは、すなわち「主任の大臣」であり、それぞれ内閣総理大臣(官房長官)、内閣総理大臣又は特命担当大臣、各行政担当大臣であり、無任所大臣を支える行政組織は存在しないこととなる。
 つまり、無任所大臣が実質的な機能を果たすことができなくなるのは、国家行政組織法上の分担管理原則の下、「主任の事務」が存在する各省庁の大臣でなければ事務スタッフたる公務員を統括できない制度となっているからである。

とすれば、その無任所大臣に事務スタッフを配置すれば良いということになるが、現行の公務員制度の下では、そのスタッフは、既存の行政組織からの出向(悪く言えば、寄せ集め)にならざるを得ない。無任所大臣は、行政事務の分担管理を担わない以上、恒常的にこなすべき行政事務が存在しないのであるから、固定組織が存在するはずもないので、無任所大臣の任命と同時にスタッフ機構の採用を行うということになる。しかしながら、現行の国家行政組織法は、法定される省組織に大臣が配置されるという組織先行主義が採用されているので、大臣の任命に応じて組織・人員を編成するという発想が元々採用されていない。
 また、行政事務の分担管理の「束縛」「拘束」から解き放たれた政治家=選良たる無任所の国務大臣を含む閣議における多数決意思決定システムを実質化するための無任所大臣、そしてその無任所大臣を支えるスタッフ機構については、メリット・システム(試験採用と単一組織内の階層制)で城塞化された既存の行政執行機関と切り離された形で構築することができるかどうかが重要であることになる。
 一方、無任所大臣が選良としての知見を行使する上でのスタッフ機構である以上、行政実務に知悉する人員を確保することが必要であることは、これまでのいわゆる諮問会議的組織が実質的に骨抜きになっていったこと鑑みて当然である。とすると、このスタッフ機構は、既存の官僚「組織」には依存しないもの、個々の官僚個人については柔軟にその任用を行うことができきる仕組みが必要であろう。

 よって、無任所大臣に対し、内閣法を改正(内閣法21条以下の内閣事務官の規定:つまり、無任所大大臣の事務スタッフの庶務事項に関する帰属は内閣官房ということ)して、事務スタッフを配置できるようにすることが適当であるが、その際には、

①当該事務スタッフについて任期付採用を(運用上)原則とし、 (内閣法上無任所大臣付事務スタッフは、「一般職の任期付職員の採用及び給与の特例に関する法律」に基づく職員である旨を規定)
②当該任期付職員に、既存の一般職の公務員を(公募で)採用することができ、 (内閣法上で、無任所大臣が当該一般職を採用する旨を明らかにした場合には、当該一般職を統括する行政庁の長は、「派遣」するものとする)
③一定の地位保障 (「国際機関等に派遣される一般職の国家公務員の処遇等に関する法律」3条と同様に、「派遣職員は、その派遣の期間中=任期付採用の任期中、職員としての身分を保有するが、職務に従事しない。」とし、また、同11条又は官民交流法18条2項にあるように職務復帰時の均衡配慮義務を規定。この配慮義務に労働紛争でいうところの地位確認訴訟まで認めるかどうかは要検討)

して、一般職公務制と政治的任用とのバランスをスタッフ採用方策を図り、行政運営の実務・事務に知悉した人材を官僚組織の人事ルールによらずに政治主導(及び個々の一般職公務員の意向)で採用することができるようになろう。

なお当面は、この任期付任用の人員は総定員法の枠外とし、この任期付採用の根拠法上に人数面の上限を設けることなる。また、その給与に要する人件費(若干の事務費)についても、採用が年度途中でなされるなどの事情により、当初予算で措置できないものについては、補正予算を編成することなく、予備費をもって充当できる旨を明文で規定することなろう。こうしなければ、結局、既存の官僚組織の人員定数(いわゆる「座布団」)の拠出を待たねば、スタッフ組織を編成できないこととなり、官僚組織からの自律という本旨にもとることとなるからである。

2009/10/16

無任所大臣の活用

 ここの続き。


3.無任所大臣の活用(国政を担う選良の集う場として)

 内閣=閣議を「官僚制の悪弊=セクショナリズム」を打破する上では、手続きプロセスの改革と同時に、その構成メンバーの改革も必要となる。特に、官庁セクショナリズム(政策の総合性の欠如)の原因の一つに分担管理原則による「大臣の官僚組織への取り込まれ」問題がある。この問題を打破するため、現行の内閣法でも認められているが、その活用が全く図られていない「無任所大臣制」の実質化が有効である。
 無任所大臣とは、閣議に参加する権利を保有するが、行政各部を直接指揮監督しない大臣という意味であり、その根拠は、内閣法3条2項の「行政事務を分担管理しない大臣」との規定である。

 翻って、明治初期の「参議」制では、各役所の長たる卿(例えば、外務卿)と、国政の意思決定機関たる太政官(正院の会議)の参加である参議とが別(参議の方が上)という職制もあったのであり、現在のような各省の長と閣議参加者とが自動的に同一人格に期するという在り方は、実は論理必然ではない。
 明治六年の政変の際に、参議と各省長官を兼任する制度(参議省卿兼任制)を導入し、省卿を内閣に参加させることにより、政府意思の一体化による政治の引き締めを図った例からしても、内閣=執政機構の意思統一を図り、行政執行の現場を統括する面で、この閣議メンバー=行政大臣制は一定の効果があろう。
 しかし物事は、一長一短であり、現行のような国務大臣と行政大臣を原則兼務するという在り方は、行政各部に対する内閣の統制を強める面(長所)もあるが、その一方で、大臣が行政各部に取り込まれるという面(短所)がある。これまでの内閣の運営において、後者の短所が目立ってきており、それが「脱官僚」「内閣機能強化」というスローガン(ドクトリン)を掲げさせる端緒となっているものと考えられる。

 閣議が、行政執行の最高意思決定機関として、政策の総合性を確保する統制機関として機能するためには、特定の行政執行組織(部隊)とは距離を置き、一等地高い目線で、意思決定をするという仕組みが必要であろう。そのための「総合調整」「統制」は、行政執行機関からは超然とした「選良」としての人格によって担われる必要があろう。
 このために、現行の内閣法でも既にその存在が予定されている無任所大臣の積極的活用が必要である、そしてそのために必要であれば、内閣法で定める国務大臣の人数も増加させる必要がある(なぜならば、そうしないと行政組織の長たる国務大臣=主任の大臣の数が、行政組織の数と殆ど同数なので、一人の国務大臣が複数の主任の大臣(又は特命担当大臣)を兼任しないと、無任所大臣を配置できないため)。

 さらに続く

2014年9月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ