経済・政治・国際

2014/09/14

妥当な円レートの継続のために

L_038

近頃、やっと少し貿易に円レートの適正化の結果が、発露してきているようである。
すでに主要な製造業の海外展開は進んでおり、為替レートの如何にかかわらず、輸出が増えることはないという(さかしらな)言説がもてはやされています。しかし、これは近視眼的なものの見方で、過剰な円高によってもたらされた異常を正常に戻すには、もっと時間が必要と言うことにすぎません。
経済学者のクルーグマンが、「ヒステレシス効果(履歴効果)」という概念で説明しています。

設備投資のようなサンクコストを生み出す経済行動は、その行動を変化させる変数の変動に対して遅れて変化するということですし、変化が適正水準より一時的に大きく変化しないと、サンクコストを生じさせる行動を変化させる引き金にはならないということです。

つまり、海外での日本企業による設備投資行動を変化させるために、適正な円レートが数年続くだけではなくて、一時的には、円安方向にぶれる必要があるということです。
日経新聞等に掲載される記事では、「マーケットインのためには、市場の近傍で生産しなければいけないので、日本では投資しない」といういかにも言辞があふれていますが、こんな経営戦略論の初等教科書に書かれている程度のレベルの低い(そして、あほな経済評論家が愚かにも信じている)命題が、永遠の真理でないどないことは、いくらもで反証をあげることができます。たとえば、iPhoneは、中国で生産されていますが、最も大きい市場はアメリカです。そして、生産している中国ではシェアを下げています。建設用機械やジェット旅客機などでも、地産地消になど全くなっていません。

要すれば、相対コストの問題であって、日本の製造業が国外に出て行ったのは、ひとえに(表面的な)コストのこの問題です。そして、その相対コストを決定している最も大きい要因は為替レートです。
ヘクシャー=オリーンの定理から分かるように要素価格は、(為替レートの調整が機能していれれば)均等化します。だから、労働法制の問題とか、規制緩和等の問題はミクロの資源配分の効率性の問題であるが、マクロの相対コストの問題には、ほとんど影響しません(こういった非効率な要因があれば、為替が下がって、非効率性を吸収します。もちろんこの場合、交易条件は悪化します)。

重要なのは、為替の適正化、そして一時的な円安化であって、それが達成されれば日本国内で作る方が相対コストが低くなるので、日本に製造拠点が帰ってくるとは必然です。

そこで当面大事なことは、円安を維持しつつも、過剰な経常収支の赤字にならないような方策です。
現在の貿易収支の赤字の拡大を生み出しているのは、化石燃料等の鉱物資源の輸入という議論もあるかもしれませんが、実際にデータを見てみると、東日本大震災の前の年である2010年と比較しても、数量ベースでは1割も増えていません。輸入の増加が大きいのは、情報通信機械工業です。もとも輸入がその時期にも多くなっていたはずなの2010年と比較して2割上も輸入が増加しています。そして、情報通信機械工業の国産は5割を割ろうとしています。つまり、数量ベースでは、貿易収支の赤字拡大の原因は、価格面からは鉱物資源ですが、数量面からはテレビやスマホといった情報通信機械なのです。

この輸入をどうやって縮減し、円安状態で、経常収支の赤字を減らしていくかということが議論に、今後なっていくものと思います(アップルの新製品が出るたんびに、祭りを起こしているのは、マクロの日本経済からすると、あまりに滑稽です。私にとっては、Apple Watchなんかより、Moffbandの方が数億倍、物欲を刺激すると思いますがね)。

2014/09/13

大本営発表「景気は回復している」

内閣府の政策コメンテータ委員会というとこで、「3ヶ月前と今と景気の状況は?」と問いかけたら、57%の参加者が「景気は回復している」と答えたとの報道があった。

どういう経済指標を見ると、そういう答えができるのか不思議でしかたがない。
7月末までの統計データの実績を見る限り、悪くなっている指標も多く、「横ばい」はまだしも、回復のエビデンスは全くでてこない。

日銀短観や法人企業景気予測調査が「上昇」判断が多いという話をことさらに言祝ぐ論説もあるが、この手の景況感、それも現状や先行きについての調査については「使い方」が、完全に間違っています。
日銀の岩田規久男副総裁が言っているように、マクロ経済政策、特にマクロの金融政策を検討する上で、マーケット参加者の現在の予想を把握することは重要です、しかし、それはその予想が将来実現するからではなくて、現在の経済主体の行動をコントロールするからであり、将来の予測値として意味がある訳ではありません(だから、実績が予測通りになるかどうか自体には関心がない)。
これが正しい景況感統計の使い方です。

しかしマスコミでは、実績統計データを無視して、こういう「見通し」だけを言祝ぐ傾向があり、1997年のときも、こういう認知ラグが景気の悪化の振幅を増幅させたきらいがあります。

だから、この手の「見通し」調査に基づいて、現状を把握していはいけないのです(この手の調査の「現状判断」だって実績に応じた判断ではないので、実態評価としての信憑性はあまりありません。だって、8月に7-9月期の実績がある訳ないのですから)。

いずれにせよ、先の「政策コメンテータ委員会」の57%の方々は、8月末に公表された7月末まで(たかだた1ヶ月前)の実績統計データが示すものを凌駕するほどの経済改善のエビデンスを8月中に入手されているのでしょね。

そうでなければ、それは単なる「大本営発表」でしかありません。

来年の10月に消費税率を上げること妥当かどうかは分かりかねます。
しかし、消費税率を上げるための世論工作のために、悪い経済実態について、「回復している」などというのは、経済分析、経済評価として全くの愚論です。
大事なのは、実績データ、エビデンスに基づく実態判断のはずです。特定の目的のために、レトリックをもてあそぶのは、本末転倒だと思います。

ポチッとよろしく!

A3一枚で分かる消費増税による反動減

2011/10/27

営利性と組織法制度の不整合

最近、非常に気になっているのは、成長分野(?)としての、農業やヘルスケア、グリーンエネルギーといった分野は、典型的な規制産業で、「営利法人」の参入規制がなされているが、この分野の成長を期するのであれば、規制を緩和して、「株式会社」の「自由」参入を認めるべきだ、という議論。
これ一見、「もっとも」と思える部分もある。そもそも、これらの分野でビジネスを継続的に行おうと思っているのであれば、そのためのリソースを調達する必要があるのだから、何らかの対価獲得が必要なのであり、現にどの分野においても利益は得ている。農業だって、農家の人々は農産品で稼いでいるし、医療法人だった理事や従業員たる医療従事者に給料という形で利益を分配している。 再生エネルギーの場合には、発電自体というよりも送電網を電気通信事業法のように「解放」(=接続義務)していないことに問題があるので、ちょっと参入者の直接的な参入規制とのとちょっと違う面がある。

要すれば、農業やヘルスケア、グリーンエネルギーといった分野において、営利事業者が事業活動を行うこと自体は可能なのであり、規制緩和により営利法人が参入できるようにしろというの、現時点の言葉の厳密な意味からするとおかしい。ポイントは、株式会社が、農地を買ったり、病院を直接運営したり、送電網に「自由」に接続できるようにすることが必要かどうかということなのだろう。
おそらく、グリーン発電に株式会社が参入して、一定の技術的条件の下に地域独占の電力会社の送電網に必ず接続できるようにすることは何の問題もなく合理的であると思う。で接続させて流される電流の質を規制するのは至極まっとうな規制であり、薬事法違憲判決の趣旨からしても、行為規制をなすべきで、それで十分であり、それを体現したのが買取法。とすると、別に株式会社、さらに事業者である必要すらないということで、これは解決。
他方、医療や農業は違い、株式会社を入れることが、日本のこの分野の構造問題をすべて解消する「魔法の杖」でるかのような主張すらあるが、これはおかしいと思う。というのも、農業全般や医療サービス全般を展開する組織のあり方として、株式会社という手法が適当なのか疑問があるからだ。なお、ここでいう株式会社とは、会社法で定義する株式会社というよりも、金融商品取引法の規律を受ける上場株式会社という意味で使っていることに注意されたい。会社法に則して言えば、譲渡制限株式を発行している公開会社が近いであろう。このような株式を譲渡自由の原則におく株式会社という存在の歴史は、決して古いものではなく、せいぜい遡れても19世紀末に成立した法的枠組みだ。この枠組みは、大きな固定資産を作り出すべく、市場から巨額の資金を調達するために考案された方法であり、そのような資金集中のインセンティブを維持するよう最適設計されているもの。
他方、農業や医療サービスが、そういった巨額の資金調達を必要とする部分がある場合もあるであろう。例えば、陽電子診断装置などの大規模な先端医療機器をフルスペックで備えた医療施設や、平野部を非常に広汎に整地し機械式で行う規格品的な穀物生産農場などは、大規模資本を集約して、その利益を分配するという組織形態が適当であることは理解できる。しかし、医療や農業はそうではなくて、巨額の資本を必要とせずに、規模を拡大することなく丁寧なサービスや労務を提供することで維持されるという組織運営もある。それは例えば棚田のような労働集約農業であったり、往診などをきめ細かく提供する必要のある診療所など。そういった分野に、株式資本を入れて出入り自由にすることが不可逆的な社会システムの変化、すなわち破壊を招くことになることは必至だろう。こういう分野と株式会社という法システムが、インセンティブ構造の上で整合性がないことは、コムスンの例を見れば明らかだろう。
もちろん、国民の努力によって維持されている医療保険という社会資本や日本の国土という土地資本の利用可能性が、特定の既得権者に囲い込まれていることは問題であるが、その利用可能性を何の安全回路ももうけずに、本来そのような「資本」を生産要素として利用することがインセンティブ構造上不整合な組織に、解放するというのも、愚かしいことである。
そういう意味では、先にも述べたように、どの分野でも営利を追求するというインセンティブは働いているのであるから、社会資本や自然資本をどのような組織体に解放することが適当なのかを、その資本を活用して、どういう形態の事業を行おうとしているのかに応じてきめ細かくみることが必要なのだと思う。

2011/04/10

「年齢階層間の分配問題」と「現在消費と将来消費の代替問題」の峻別

 同じ議論で恐縮ですが、また「世代間格差」とい言葉使いについての批判です。この言葉の「誤用」が誤謬を蔓延させているからです。
 世代間格差という用語を、ある時点における「年齢階層間の分配問題」を指すものとして使用するのか、「現在消費と将来商品の代替問題」を指すものとして使用するのか明確にする必要があります。

 現在の何らかの財政支出を公債発行で賄うことが、現在の遊休労働力や遊休資源の活用に繋がるのであれば、機会費用は何ら存在しないのですから、世代間の格差などというものは存在しません。要すれば、公債償還時の所得再分配をどうすれば良いかを考えるだけですから、重要なのは、公債を誰に配分し、償還時の条件をどうすることが、所得再分配上の弊害を最も防げるかを考えれば良いだけです。

 このような思考は、新古典派総合が陥った資源配分の効率性と所得分配の効率性の議論を分離できるというナイーブな議論だとの批判があるでしょう。しかし、少なくとも、財政支出を行う現時点における「資源配分の効率性」(言い換えれば、財政支出の適正性)の検討作業と、公債償還を行う将来時点における「所得分配の効率性」(厚生経済学的な意味での税金再配分の公正性)の検討作業を峻別することの重要性は下がらないと思います。ちなみに、財政支出時点においては、公債引き受け自体は任意に行われているので、財政支出の内容についての決定が合理的であるかどうかが問題だかと思います。他方、公債償還時においては強制徴収される税金が自動的に公債所有者への再配分に利用されることがあらかじめ決定してしまいますので、資源配分の効率性と所得配分の効率性が同時決定となることは確かです。

 このように考えれば、遊休労働力などが存在しない経済における公債調達の問題についても、現時点の資源効率の問題と将来の所得効率の問題は種別できることが分かります。

 よって、復興財源の問題について、復興債が将来世代に負担を残すなどという議論は即刻停止するべきでしょう。

2011/04/06

「世代間負担格差」という妄言

 復興財源論について、相変わらず、何の積極的論証をすることなく、国債を増発することが難しいだから税という論法が広まっている。では、税な出来るのかという点については疑問なしとし得ない。特に、この震災という危機において、被災者を救いたいという素朴な正義感に「つけいる」形で、何の展望なく増税すべきと論じるのは、「お国のために我慢せよ」として、鍋釜まで金属資源とし拠出させた戦前軍部のファシズム思想以外の何者でもなく、非常に恐ろしいことだと思う。

 また、復興財源を国債調達で賄うことと、いわゆる「国債による負担先送り=世代間格差論」を結びつける議論においては、何を況やである。
 この論法の「落とし穴」を生み出しているのは、サミュエルソンの生み出した代表的家計を設定しての「世代重複モデル」による分析の適用範囲を無節操に拡大してしまった結果だ。
 じっくり考えて欲しいのであるが、現代の科学技術においてタイムマシンがある訳でもないのに、「現代の世代が将来の世代の負担で便益を享受している」という言質は、何を意味しているだろうか。
 タイムマシンがないのだから、将来世代の労働成果を現在の我々が享受できる訳はない。
 とすれば、将来世代にとっての「負担」とは何か?
 つまるとこころ、財政の支出自由度が狭まるというだけに過ぎない。
 つまり、公債の償還額の歳入に対する割合が増えると、裁量的歳出の選択の幅が小さくなるということは確かだ。しかし、これ以外の弊害は、突き詰めて考えてみると、存在しなのではないか。
 繰り返すが、この世にはタイムマシンは存在しないのだ。
 将来の労働成果を現在享受することはできないのであって、現代世代が享受できる便益は、現代世代の労働成果(及び実物資本という形で蓄積された過去世代の労働成果)であって、将来世代の労働成果でない。マクロの実物経済という視点からは、「世代格差」ってなんだということになる。

 勿論、公債の累増が待ったく問題ないと言っているのではない。
 公債とは、公債を購入できる金融的な富裕層が、税負担から資金の償還を受けるものである。この「金融的な富裕層」とは、現時点において労働力を豊富に提供した者ではなくて、過去・現在の購買力配分のルールの結果、購買力をなぜか相対的に多く保有している者にすぎない。そういう者に、現在の労働成果である法人税や所得税によって徴収された資金が配分されるというのは、逆進性を持っている蓋然性が高い(勿論、公債保有者が年金基金等零細資金を集合させたものである場合には成り立たない。また、税金が資産課税によって主として賄われている場合にも議論が異なる)。
 公債によってファイナンスされる資金の使途が、不平等感を涵養するような使い道になっている場合にも適当とは言えない。例えば、年金の場合に問題になるように、国民年金について一般会計繰り入れでファイナンスしており、結局、この繰り入れを公債でファイナンスしているが、国民年金を保障される人たちが、公的資金による助成を受けることを正当化される人々に限定されているのかという疑問がある(こういう点から、生活保護と国民年金を一本化して、負の所得税にすべきという議論が出てくる)。しかし、これは公債償還時の税負担をする世代と現在年金を享受する世代の問題ではなく、現在の公的資金の使途としての妥当性の問題であり、公債の問題ではない(仮に、国民年金の財源不足を税や埋蔵金で補っても、問題の本質が年金支給の不平等なのだから、何の問題の解決にもまらないことが理解されるだろう)。
 勿論、反論として、現在の公債発行増により、公債償還時の年金支給のために増税が必要になれば、若年世代から高齢世代への資金移転が起こり問題だという点を上げる者も出てこよう。ここで、「世代」の言葉のすり替えが起きているのだ。
 増税でまたなった資金を年金として支給するというのは、まさに典型的な所得再分配政策であり、所得分配としての正当性を議論すればよく、あくまで公債償還=増税時における年齢格差であって、公債発行時の社会が、公債償還時の社会を搾取しているのでなんでもない。
 そもそも、何度も言うが、タイムマシンが存在しないのだから、実物経済として、将来世代を搾取した、負担を押しつけたりはできないのだ(将来世代の生産性向上のために現代世代が実物資産を残すことができるが)。

 だから、公債発行については、それが所得再分配にどういう影響を及ぼすかという厚生経済学的規範的議論があり、ごく子細な問題としては、公債償還時の歳出自由度を欲する人にとっての「支配欲求」の問題はあるかもしれないが、喧伝される「世代間格差」なんてものは存在しない(それは、サミュエルソンモデルが世代間への資源移転の経済効率性を論証するレトリックとして構築した重複世代モデルの過剰な利用だ。債券を加味した世代重複モデルの使用というのは、クルーグマンが編み出したベビシッターモデルのように貨幣の効率性と限界を巧妙に説明するようなモデルに限定すべきだろう)。
 いわんや、復興財源論の議論に、世代間負担の論法を持ち出して、増税を求めるようなロジックは極めて危険なファシズムだと思う。

復興財源論という欺瞞

 少しずつ、東日本大震災の緊急対応から、被災者のより長期的なケア、そして復興対策へと議論の舵が切られつつあるように思う。
 そこで、鎌首をもたげてくるのが、「復興対策の財源論」だ。

 ここでの争点は、復興のための施策に要する財源を「増税」で賄うか、「国債の日銀引き受け」で賄うかという、財源論だ。
 しかし、ちょっと待って欲しい。
 財源論は何のために行うのかということを等閑視して、(マクロ経済学の)抽象的なロジックを用いて、財政が破綻するだの、デフレ対策に効果があるだのという議論に、何の意味があるのだろうか。

 日本国政府が、復興対策としてしなければならないこと、それは、抽象的な金額の議論ではないはずだ。
 そうではなくて、日本の国土に住む1億2000万の人口、そして実物資本(要すれば生産活動に利用できる具体的な機械設備のこと)を、如何にして効率よく、つまり気持ちよく復興という事業に投入するのかということだろう。
 そもそも、日本では、「緊急雇用対策」を論じ、自殺対策をしなければならないほどに、仕事を求めてやまない人がおり、遊休設備が滞っている。
 こういった遊休労働力や遊休設備がいつ早く復興へと向けて稼働できるようにするのが政府という公共的意志決定主体の役割であろう。
 特に、被災地域については、住むところが欲しい、道路を直して欲しいという、非常に分かりやすい「欲求」が堆積しており、かつ、そこを復旧させ平時の状態に戻すことに異論のある国民はいなかろう。
 とすれば、必要なことは、その目的で人や機械設備を投入するため、働こうという人や機械設備の保有者に、どうすれば被災地の具体的な復興需要へと動員される気になるかを聞いて見ればよいに過ぎない。というか安全に相当程度の報酬であれば、動員されるであろう。あとは、その順番付けをしていけばよいだけだ。
 そして、その安全な環境整備と報酬に必要な資金を、そういうものとして、どのよう調達することが、スピーディーでトータルコストが低いのかを考えれば良いにすぎない。

経済学的に言う費用とは、「ある目的に経済資源を投じた費用とは、その資源を他の目的に投じたときに得られた便益の最大のもの」である。すれば、復興のために遊休資源を動員できるように、仕組みを作ることのコストは0ということだ。なぜならば、その仕組みがなければ、その遊休資源は無為に何の生産活動にも使われていなかったのだから。

 どうも、直ちに打たれる23年度の補正予算は、既存の予算の範囲内で、新規の財源調達をせずにできることに限定されようであるが、仮に、本格的な復興事業事業への着手が「財源調達」論のせいで遅れるのであれば、被災者の皆さんは本当に不幸だと思う。
 ちなみに、復興事業のように「へこんだものを元に戻す」、そして遊休資源の動員のためのインセンティブ作りという事業の性格からすれば、増税などという議論がなぜでてくるのか、全く理解できない。
 財源論の前に、復興事業が復興のための経済資源の動員であるという点で、共通認識をもつ必要があると思う。

 繰り返しになるが、復興のために必要なのは、通貨ではない。あくまで、復興のために働く人であり、稼働する実体のある設備なのだ。税金でも、国債でも、貨幣増発でもない。財源論なる問の建て方自体が間違っている。重要なのは、復興のためにリアルな人、設備を動員することであり、そのために通貨が必要なのであれば、その通貨を、制約要因を加味した上で、最も効率よく調達する方法を考えればよい。くれぐれも、条件付き最大化問題における、目的関数と制約式を取り違えてはならない。

2011/03/31

生産拠点の「疎開」

 それほどではないもの、メディアでは、今回の震災で自動車や電子産業のサプライチェーンが危機に瀕しているという報道がはされていはいる。さらに、この影響は北米の自動車産業やiPad2にも波及するとかしないとか。
 岩手や宮城、福島からの直接の通関統計をみると、自動車部品や電子部品の類の直接の輸出はそれほどでもないし、産業連関表などを見ても、東北地域からの中間投入への依存は関東その他の地域の機械産業において、顕著に高いとはいいにくい気もする。

 もちろん、ここの取引関係においては、代替性のない部品の生産が途絶するということもあるのだろう。そういう代替性のきかない部品については、いっそのこと生産拠点自体を暫時「疎開」させてしまったらどうなのだろう。

数日前のテレビで、被災地で製品の個性的なデザインで評価されていたとする工場の社長さんが、洪水で壊滅した工場建屋の中で奇跡的に水没しなかったパソコンをみて「これで設計データは守れた、7,8割は大丈夫だ」と話していた。今や、製造業に必要で代替のきかない生産要素とは、人と設計データ、設計思想だということなのだろう。

 であるならば、人と設計思想ごと、安全な場所に移転してしまえばよい。
 中小企業基盤整備機構のような独立行政法人や、各県の土地開発公社が、工場用地や貸し工場の空きを山のように抱えている。サプライチェーンの頂点にあるアセンブラーが、そういった空き空間を借り上げ、簡易な建屋を確保し、工作機械もばんばん整備すればよい。アセンブラーがしないのであれば、国が復興債で整備してまえばよい。
 さらに、電力が不安定な関東からも離れて、いっそ中国地方や四国、九州にいってしまうというのも一興ではなかろうか。そうすれば、関東地方や東北地方への電力の負荷も減少し、遊休地の活用もできる。

 こういう大胆なことは政治の力じゃやないとできないじゃないのかな。あるいは、どこかの県知事が、土地開発公社の土地を開放するといえばよいのに。それとも、門真や豊田ではもう始まっているのかな。

2011/03/26

3月11日という偶然の一致

3月11日といえば、東北関東大震災の日であり、福島原発クライシスの日です。しかし、この日には、もう一つ別の出来事が起きていました。11日というのは金曜日ですから、定例閣議のある日です。

 http://www.kantei.go.jp/jp/kakugi/2011/kakugi-2011031101.html

 これが、11日の閣議の案件の一覧ですが、このページの中段からの「法律案」の中に、全然目立ちませんが地味に「電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法案」というものがあります。

 この法案は、いわゆる全量買取制度といって、既に太陽光発電では措置されている(正確に言えば、制度が動き出すのは、この4月から)自然エネルギー発電の余剰電力を固定価格で電気事業者が買い取る仕組みを構築する法律です。

 概要はこちら→ http://www.meti.go.jp/press/20110311003/20110311003-1.pdf

 11日の朝に、全量買取制度のための法案が閣議決定され、同じ日の午後の持ち回り閣議で、原子力災害対策本部設置の閣議決定がされるということになっているのです。

 「311」は、日本のエネルギー機序の在り方、そして経済の在り方の画期を象徴する日付になるのかもしれません。

2011/03/19

震災復興のための広域搬送と受け入れ先確保のために総理がすべきこと

徐々に交通拠点網が復活しつつある中、ここ1ヶ月については広域搬送網の整備が問題になります。これなしには、被災地への物資補給も被災地からの重傷者の広域搬送による被災地負担軽減もままなりません。報道を見る限り、あまり優先順位をつけずに場当たりで「できたところから」になっているようですが、これでは、日本全体に「血栓」を広めているようなものです。いつまでたっても効率化されません。
いずれにせよ、短期の受け入れ施設(宿泊施設、要介護者の受け入れ、保育所、病床)の特例的整備を同時に実子しつつ、広域搬送の「定型化」、つまりルートの固定化が必要になります。また、この瞬間は、広域で被災地に「ものを入れる」ということだけに注力されていますが、向こう1ヶ月程度の期間では、被災地の負担を低減するため、乳幼児(母子)、病者、老人、障害者等の弱者を被災地域から運び出すことが、全体の負担を低減させることにつながりますから、こちらを計画的に進める必要があります。
 このためにも、比較的余裕のある遠隔地の余裕のある空間に空路及び海路で人を搬出するロジスティックを構築するべきです(前回のエントリーにあるように、関西経済圏との関係から空路は静岡、海路は金沢を拠点にするのが良いと思います)。


 さらにまた、ここ半年程度では、被災者の受け入れ先(居住場所)確保が問題となります。この点での最大にポイントは、被災者を受け入れる自治体等の組織体が得をするメカニズムを早急に講じる必要があるという点です。これは、日本国の予算案発議権を憲法上専有する内閣の長たる総理の決断でしか可能とはなりません。
 つまり、23年度初頭に組み替えられるであろう補正予算において、地方交付税の算定基礎に、被災4県(原発の関係で茨城を入れます)に住民票を有する者が半年以上滞在した場合には、一人につき数百万を交付税として交付すると総理が言明するのです。あるいは、短期1ヶ月程度の被災者受け入れ経費として自治体が負担した分は、23年度補正予算で全額補助すると言明するのです。
 そうすれば、日本中の自治体が被災者を受け入れようと競争することになるでしょう(ただし、交付税不交付団体である東京都は除かれますが)。
介護施設についても同様で、被災地からの要介護者等を受け入れれば、国庫からの自治体の保険会計への支出増を背景として点数を上げるとするのです。この資金については、介護保険自体に恒常的に必要となる資金はありませんから、復興債で賄っても問題はありません(ちなみに、復興資金調達の問題については、矢野浩一先生が素早くモデル解析をなされています http://dl.dropbox.com/u/2260564/tohoku/tohoku001.pdf )。
 先に述べたように、被災者の広域搬送先では特例的な受け入れ施設整備が必要になりますが、緊急的に整備された人的・物的ストックで移動可能なものは、今後の被災地における復興住宅整備に転用することも必要でしょう。
 また被災避難者に介護福祉士、保育士、理学療養師、看護師等の資格をとるための研修・教育を避難地の専門学校等で行うという手がありますが、そのような被災者のための介護士、保育士教育についても、そのような生徒を受け入れた専門学校や看護学校に雇用調整助成金から支援を出せばよいのです。
昨晩のような総理演説よりも、被災者を受け入れた者・組織体には、最大限の財政支援をするという「内閣の重要政策に関する基本的な方針」を論じることが総理の仕事です。おそらく、現在の日銀であれば、そのために必要な復興債引き受けをする胆力はあると思います。

 なお、被災者の皆さんへの住居対策については、より長期的な視点から、現在の「ストック充実策」のみではなく、流通整備策として、以下のような議論も必要かと思います。

○長期的に人口減少国家であり、かつ、目下のように「明日住むところがなくなった」という者、あるいは劣悪な住居に追い込まれてしまう世帯が増加するという世情における政策目標として、「優良な住宅ストックへの投資拡張」(都市整備を含む。)を設定するという発想自体が、適合的でない。

○目下必要なことは、「住宅賃貸市場」の「機能強化」である。具体的には、賃貸住宅の稼働率が下がりながら、賃貸料や賃貸条件(敷金条件、保証人条件)が利用者に有利な方向に動かない現状をどう打破するか、ということ。

○ごく短期的には、資金弱者が住宅を借りる場合の最大の障害である「敷金」と「保証人」について、この住居契約条件を設けない賃貸業者に対して、資金融通(一定期間の賃料未払いと原状復帰費用の保証)をすることが求められる。これは、生活保護制度と歩調を合わせて行えば、「窓口」に金を積むこと(見せ金)で、生活保護費用の支出を減少させることができる。

○中長期的には、賃貸条件(単純な家賃レベルだけではなくて)において、障害となっている条件、より具体的には、入居時・転居時に必要となる固定費を減少させることが重要であり、そのような入居条件の誘導方向に合致する賃貸住居への投資を促進するような政策(新設、改装費用の融資の条件緩和、あるいは、入居者リスクを保険的にシェアする仕組み=入居者信用リスク情報の共有)が必要である。

○このような仕組みは、特に地方公共団体が、管轄下のどの地域に住民という担税力を集めたいかという観点で、町作りの構想、職住接近(生活支援サービス拠点をどこに)の構想と整合的に進めることが適当であることから、各種の独立行政法人の窓口と市町村が連携することが重要であり、国の資金を交付税等のメカニズムで分配する形で実施する方が良い。

○いずれにせよ、住宅ストック投資の「拡張」によるトリクルダウン論は、
 ・住宅ストックの数量的需要が人口学的に減少する日本においては、スットク投資は無意味であり、これを強行すれば住宅バブル(将来的なローン破綻潜在者の蓄積=被災者の困難の二重化)を招く
 ・住宅ストック投資への税制面、金融面での優遇は、資金保有者(信用力の高い者を含む。)への助成政策であり、逆進的な面が強い
という観点から、不適当である。

○とにかく、スットク重視とトリクルダンウン論という発展途上国的発想から、既存の住宅ストックから生まれる住宅サービスというフローの質の向上と円滑流通(フローの資源配分の効率性重視)という先進国的、成熟国家的発想への転換が必要。

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